ほっとひといき

41歳、晩婚3年目の夫婦ふたりの生活について。

本当に久々の更新

2017-09-29 16:57:11 | Weblog
 なんと、一年近く更新していませんでした・・・。

 あっという間の一年でした、でも特に何も変わってはいないのですが。


 今日はとても秋らしい1日で、こういう日が好きだな〜〜〜。


  ここのところ、色々と趣味が増えすぎてしまって、なんとなく収集がつかない感じなんですが、


  少し、何もかも縮小していかねば、ペースを落としていかねば、と思っています。


 このままでは、なんとなく自分を見失ってしまう感じすらする。


 私は本来、一人でいることの方が楽で、でも今はいろんな習い事をしすぎていて、そこでの交流に少々疲れている。


 本当は、あまり人と喋りたくないし、ポツン、としているのが性に合っているのに、人の集まる場所に行くと、ついつい無理して合わせてしまって、疲れるのです。


 そーゆーのをなんとかしたい。

 知り合いなんて、ほんのちょっとでいい。


でも、年をとってくると、すぐにみんなお仲間、みたいになっちゃって、めんどくさい。一人でいると、かえって気を遣わせたりもするので・・・・

 日本は、個人主義じゃないからね〜〜〜。



 いきなりは無理なので、少しずつ、少しずつ、収束していかねば。






  と、ちょっと愚痴ってみたくなりました。


  秋だし、ふらりと温泉でも行きたいな〜〜〜。


  あ、御朱印集めを始めたので、神社仏閣巡りに行きたい。


  旅に出たいなあ。秋ですものね。

京都

2016-09-26 12:48:18 | Weblog
 週末、京都へ行ってきました。

京都は、何度も行ったことがあり、もうそれほど見たいところはなかったものの、久しぶりたったので、少しわくわくしたのですが・・・・

 以前から観光地であったものの、なんだかけた違いの世界的観光地になっていて、すごかったです! 今、どこに行っても外国人は多いのだけど、バスなどは、8割外国人で、ビビりました。
 一番すごかったのは、アジア系の方が、おそらく貸自転車で、車道の真ん中を走っていたこと・・・・。危なすぎる!京都、日本ではないのかも~~~~!

 そして、鴨川のほとりはすべて川床店で、あまりにものお店の多さにもびっくり。夜は夜で、9時くらいでも、八坂神社にどんどん観光客は入って行って、街を歩く観光客の多さに、ここはバリ島にみたい、とさえ思ってしまった。アジアの南の島のリゾート地の夜の雰囲気だった。

 ・・・もう、すでに日本は、観光・サービスの国になっているのだな、と実感しました。京都はすでに、観光での収益が、かなりのパーセンテージになっているのではないだろうか?

 ということで、今回は今まで行ったことのなかった伏見稲荷へ行ってみました。(外国人の選ぶ、ナンバーワンの観光地らしい)あの、鳥居を見てみたかったのです。

 私は、お稲荷さんが昔から怖くて(あの、キツネが異常に怖かったのです)お稲荷さん系にはほとんど行ったことがなかったのですが、伏見稲荷はなんとなく大丈夫な感じがして、思い切って行ってみました。(どれだけ怖かったかというと、マンションを購入するときに、もう一つ候補があって、そちらのほうが、立地が良かったのですが、すぐ隣に小さなお稲荷さんがあって、それが怖くて候補から外したくらいです)。
 赤い鳥居も、昔から怖かったのですが、これだけ多いと、かえって大丈夫なんですよね、不思議。

 で、伏見稲荷。入ってすぐ、本殿はあって、むやみに登山しなくても大丈夫になっています。ただ、あの有名な鳥居のトンネルをくぐるには、やはり歩かねばなりません・・・・

 これは、かなりハードでした。つうか、これ、参拝、というよりも、トレッキングですよね???山登りの団体が、ガンガンと登ってくるくらいだったもの~。
 もちろん、私は途中で挫折いたしました。もう、汗だくで、もっと寒くならないと、無理だ、と思いました・・・・。夏に、宮島にロープウエィで行ったとき、「トレッキングの靴とウエアを買わなくちゃ、ここは無理」と思ったのですが、宮島にせよ、伏見稲荷にせよ、トレッキングコースだよね・・・。私がしたいのは、もしかしてトレッキングだったのか??

 ということで、神社の雰囲気とか、そういうのを感じる、というか記憶する余裕はなく、山登りのちょっとした爽快感と、ハードさだけが、思い出となりました・・・。確かに、すがすがしかった☆

 そして、トレッキング中に思ったこと。

 神社で、何か願い事をしたり、しますよね。でも、それはもう、しなくていいんじゃないかなーってこと。(実際、私はほとんどお願いごとはしたことがないのですが)
 神様、(と呼ばれているもの)は、お願いなんてしなくても、たぶん全部知っているんじゃないかなー。全部、届いてる。

 神様にお願いして力をもらったとか、パワースポットで何かを得たとか、特別なことをしなくてこ、全部届いているし、いつも受け取っている。

 それは、気づいていても気づかなくてもいいこと。

 自分の決めた人生を全うすることです。
 

お盆

2016-08-17 12:29:35 | Weblog
 このお盆は、遠出することもなく、だらだらと家で過ごした。

お盆の少し前に、夫のほうの墓参りに行った。そこには夫の両親と祖父母が眠っている。

 お盆になると、どうしても、義父を思い出してしまう。生前、毎年お盆に食事に行っていたから、お盆になるとそのことが自然と脳裏をよぎるのだ。

 お墓参りに行ったころから、なんとなく 戦前の満州のことを知りたくなった。というのは、義父は引き上げ者で、亡くなる前の年くらいのお盆に、ふとこれまで聞くことのなかった引き上げの記憶を語ったからだ。

 引き上げのことは、思い出すことも苦しい記憶だと思う。皆、そうであると聞いていた。ただ、ある時を境に、どうしても口にしなければ、と思うようになるのかもしれない。

 そういう今となっては義父の思い出がよみがえってきて、なんだか取りつかれたように、満州のことを調べた。・・と言っても、家には資料などはもちろんなく、主にネットでなので、偏ってはいるのだが。

 そうこうしているうちに、ドラマ「大地の子」を見てみたくなりました。

これは有名な山崎豊子氏の小説で、満州開拓団の残留孤児のつらく厳しいストーリーだ。

 私は、基本、辛い話が苦手なので、普通なら絶対に見ない(もちろん放送時、再放送時にも見ていない)のだが、これをむさぼるように、一気に見てしまった。

 これが、ものすごく感動で、毎回3回は号泣してしまうような 心に迫るドラマだった・・・・。見終わった今も、思い出して涙が出てきます。


 国と政治と時代に、いかに人間が翻弄されてきたか、人間の憎しみや、恐ろしさ、しかし、その中にあっても、愛というものがいかに強いか・・・・。

 いろんなテーマが埋まっているのだが、私が一番感動したのは、親子、父と息子の結びつきだ。

 残留孤児である主人公は、紆余曲折の果てに、愛情に満ちた養父に巡り合う。その養父が、主人公を思う気持ち、それが切なくて、そこにある不変の「子供を思う気持ち」に心を打たれた。

 そこに心を打たれたのは、やはり、私が生まれてきて 今まで生きてきた中で、言葉にしなくても 結局受け取った 親が子供を思う気持ち、をいまさらながら何度も気づくからだ。

 私は親ではないが、やはり、どちらの立場からも・・・人類が持っている基本の感情だからだ。

 そして、見ているうちに、重なってしまった。 
 ドラマの、その中の父と息子の関係(父親は、肉親と義理父)が、どうしても、夫の亡くなった父親が、息子を思う気持ちに重なる。
 私にも父親と兄がいるのだが、次々に彷彿されるのは、やはり夫とその父親のすがたで、

いかに義父が夫と愛していたか、ということが改めて思い出されて、それが泣けてしかたなかった。

 ドラマの中で、養父が、労働改造所(シベリア抑留みたいなところ)に冤罪で入れられた息子の直訴のために、何か月も野宿して、裁判所(みたいなところ)の順番を待ったところ、また、やっと釈放になった息子が帰ってくるはずの北京駅で、何日も待ち続けたところ・・・それが、間違いなく義父なら同じことをするだろう、と姿が重なり、苦しく切なくなった。

 また、最後の長江下りに実父と出るところ、その微妙な距離感と実父の気持ち・・・やはりそこも同じように重なった。

 実父と養父、それが親子関係の持つ二つの側面をまた表していて、それがとても現実的なのだとも思う。


 このドラマにたどり着いたのは、なんだか亡くなった義父からのメッセージのような気がしてならない。

 義父は、亡くなってもなお、息子に愛情を伝えたかったのではないだろうか?

 夫は、父親の愛情を受け取るタイミングがなかったようにもなんとなく見えるし、(そういう親子関係の時代だったと思う)義父にしても同じなんだと思う。

 だけども、そのなかでの精一杯の愛情を義父がもっていて、やはり子供のために必死だったのは、私から見ても、いや、私からみるとわかる。

 夫は、気づいていても気づきたくない思いがあったりもするのだろうが・・・・。いずれ気づくのだと思う。

 私は、この大地の子のドラマを、夫に見てほしいと思ったのだが、そういうことは強制することでもないし、時期がくることを待つしかないな、と思ったが、思わず言ってしまった。
 あなたはお父さんに、ものすごく愛されていたと思うよ。

 これは、お墓詣りで、私が義父から受け取ったメッセージ、のような気がするのだ。

 

 

沖縄 つづき 2

2016-07-13 07:50:20 | Weblog
 家に帰ってからも、2日間くらい、なんだか眩暈がするというか、ふらふらする?のでおとなしくしていました。

 ああ、もう年だわ~、あかんわ~。と思いつつ。

 しかし、です。

 そのあと、ものすごーくパワーアップしてきたのです!

 気力体力充実。そして何気に楽しいなんかもう、生きてるだけで楽しい、というか。朝、起きるときから「さあ、今日は何ができるかな?」なんてワクワクしちゃうのです。


 こんなこと、あまりない・・・旅行中の感じ?ワクワクする感じ?

 今日も、ルーチンの一日、あっという間に終わる一日、みたいじゃなくて。

 子供のころの夏休みみたいな?

 何かがリセットされてるのです。

 もしや、これ、あのパワースポットに行ったから?


 そして、ふと思った。

 ものすごいパワーで、疲れ切っていた私はふらふらになったんではないだろうか?もちろん、暑さのせいもありますが、マッサージでいうと、揉み返し、みたいな?好転反応が出て、何日かだるかったのかも~。

 シルミチュー、そして浜比嘉島、すごいパワーです。

 だけど、厳かな場所なので、まじめな気持ちで行ったほうがいいです。

 写真も、一枚もとる気持ちが起こらなかったくらいのとこなので・・・。


 という感じで、沖縄旅行は終わりましたが、私の旅行は今始まったばかり、という気分の今日この頃なのでした

沖縄 つづき

2016-07-12 19:37:08 | Weblog
 感謝の気持ちで浜比嘉島を後にした私。

 しかし、ここはパワースポットだわ、間違いなく。パワースポットを探したわけじゃないけど、なんとなく体が求めちゃったのかな、疲れていたから。と漠然と思いながら、レンタカーを運転していたら、

 ・・・・だんだん眩暈がしはじめてきたのです!
そして、吐き気も。

 やばい、もしや熱中症か??? 水分もとっているけど、慣れない沖縄の暑さで、やられちゃったのかしら???

 あわてて、高速に乗って、SAでポカリを飲み、休憩したけど、とっても体がだるい。

その日は帰る日で、飛行機の時間まで、那覇のほうでショッピングでも、と思っていたのですが、とてもそんなことできそうにないので、よれよれになって、かなり早めに空港にたどり着き、ずっと座って休んでいました。
 2時間くらい休んだら、だいぶ良くなってきたので ちゃちゃっとお土産を買って、サクサクチェックインして、搭乗までも、また1時間くらい休んで、飛行機にのりました。


 あー、やばいやばい、沖縄の暑さをなめてたわー! ほんと気をつけなちゃ。暑さに強い自分を過信しすぎてたわ。

 そしてやっと家に辿りついたのでした。

 そして次の日。

 やっぱりなんとなく体がだるくて眩暈がする・・・。

久々の更新!

2016-07-12 19:14:00 | Weblog
 4か月も更新していませんでした・・・・。ちょっと、忙しすぎ!

しかし、やっと落ち着いて、もう自分へのご褒美に、一人沖縄へ行ってきましたよ

はあー、飛行機が飛びたった瞬間に、「あー、これでいろんなことからしばらく遠ざかれる!」とほっとしてしまいました・・・沖縄、めちゃ暑かったんですけどね。

 今回はのんびりしょう、と思ってリゾートホテルに泊まったのですが、ホテルのプールは昼にはもう、いられないくらいに暑くなるので、なんとなく出かけるしかなかった・・・。

 っで、なんとなく気持ちの趣くままに、ドライブしたのですが、ふっと、海中道路、行ったことなかったなあー、とうるま市に向かい、サクサクと海を渡って、島方面へ。

 で、なんとなーく、右側の島、浜比嘉島に向かってみました。

 ここが、ものすごくよかったのです。 とても小さな島で、昔の沖縄っほくて、浜もきれいで。それで、小さな島を、ぶらりドライブしていると、シルミチュー、という看板が。

 ガイドで見てみると、沖縄の神話の神様の祠があるそうなので、行ってみました。

 ここが、すごかった。 浜からすぐだけど、こんもりした森の中にある神社みたいなとこなんですが、 歩いているうちに、尋常ではないエネルギーがビシビシきて、ものすごくパワーが強いのです。

 私は全然敏感ではないのですが、その私でさえこんなに普通にびりびりする(特に手のひら)なんて、よほどの磁場なんじゃないだろうか?

 かなり長い石段を上ると、そこには鍾乳洞みたいな祠があり、中には入れないように鍵がかけてありました。 なんていうか、あまりに何かがありすぎて、長くはいられないというか、よほどお願い事などがないかぎり、だらだらといられるような場所ではないのがわかったので、
「来させていただいてありがとうございます」と手を合わせ、階段をおりようとしたとき、

 年配の女性がやってきました。「どこから来たの?」とフレンドリーに話しかけてくださって、「広島から」というと、ちょっと目を丸くしていました。
 その方のお話だと、シルミチューは、子宝の神様として知られていて、自分の子供になかなか授からなかったころ、拝みにきたらすぐに授かった、ここはすごいのよ。中部に住んでるけど自分のおばあちゃんのおばあちゃんのころから、ずっと来てる場所で、橋が架かってない頃は船に乗ってね。

 と、お話しを聞かせてくださいました。 そうなんだー、もっと早く、来たかったな!と思いつつも、 ここに来た不思議をなんとなく思いました。

 私の中で、子供がいない、ということが、ここで昇華された気もします。

 なんとなく、ありがとう、という気分になった私なのでした。

 しかし、その後、ちょっと大変なことが・・・つづく!

辻仁成さん

2016-02-28 17:30:32 | Weblog
 先日、辻仁成さんのお弁当のツイッターを初めて見て、はまってしまった!

ものすごくセンスよくて、しかもめちゃ男飯でおいしそう。

 どれもこれもお弁当がすばらしくて、感動してしまいました・・・・。ちょっと泣ける弁当です。

 それで、そのツイッターの言葉を集めた本「息子に贈ることば」を読んでみました。

 写真(もちろん料理の!)入ってるかな?と勘違いしてたのですが、これはツイッターに乗せた辻さんの言葉を集めた、ツイッター集みたいな感じです。 ネットと違い、縦書きになっているので、ちょい文学っぽい感じかな? 若干読みずらいかなあ・・・でも、文章、心にしみます。

 私は、辻さんのことは、たぶん世代が近いせいか「エコーズの人だった」という認識が一番ありました。(当時エコーズ、あんまり興味なかった・・・)その後、作家になられたんですけど、あんまり本は読んだことなかった。「サヨナライツカ」の本と、映画「冷静と情熱の間」を見たことしかなく、恋愛小説書く人かな?と思っていたのですが、実際はもっと純文学に近い人のようです。

 そういうわけで、それほど興味なかった辻さんなのですが(例の離婚騒動の時も、まあ離婚もするだろ、芸能人は大変だね、くらいの感想で。)

 だけどお弁当で、すっかり心をつかまれました!!!

 これ、女子力とかそういう範疇ではないと思う・・・。やっぱり、この方は一流の作家なんだわ!と改めて思いました。あのお弁当は、ふつうの人にはつくれないよ。 そうとう表現力において磨きをかけたり律した人じゃないと。 一線の作家であるために、ことかたがどれだけ鋭く、そして繊細に、妥協せずに生きられているかってことがたぶん、全部出てるね。もうそのボーダーラインはものすごくもともと高い。

 長いことパリに住んでらっしゃるとのことですが、たぶん 苦しい道を必ず選ぶことを自分に課しているんじゃないなと思います・・・。そういう意味では、全部選んでるんでしょうね。

「息子に贈ることば」は、まだ少ししか読んでないのですが、ちょっと読んだだけで、辻さんの生きる苦しみ、みたいなものが、じんわり伝わってきます。 なんだか自分まで異国に住んで子供を育てているような気になってきちゃう・・・。
 結構、重いですが、好きです。この本は、一気読みせずに、ちょこっとちょこっと読んでいきたいな。

 ツイッターは横書きで、写真もあるのでライトな中に、エッセンスが入ってるって感じなんですけどね。

 もっと、いろんな本を読んでみなくては、と思いました。

 たぶんこの方、ものすごく感覚が鋭くて、天才肌なんだと思う・・・だから人よりなにもかもが大変なんじゃないかとも思います。ちょっと理解されなくて、誤解が多くて。

 でも、それでおつりのくる人生にどんどんなってきてるんじゃないだろうか?

 私はとにかく、あのお弁当を見ると、ハッとして、よし!と元気が出てくるのです・・・・。

 辻さん、頑張ってください! まだまだ寒いし、(きっとパリはもっと)朝はつらいと思うけど、あの弁当を励みにしてる人は沢山いますよ~。

 



 

 

春節

2016-02-01 10:56:46 | Weblog
 今日、外に出たらすごい風で、落ち葉の舞い上がり方がなんとなく龍を思わせた。

ふと、春節なんだねー、と思い出した。

 中国からは沢山旅行客がやってきているとのことなので、龍も舞っているのでしょうか・・・

 春節とはよく言ったもので、今日は外にでても、春を感じた。春のエネルギーが始まっている感じ。 うちの猫は冬はそんなに活動的ではないのだが、今日はなんだかうれしそうに走っていた。

 空気が変わっていくのがわかる。 旧暦って、大事だな。アジアではやはり旧暦だよね。

 季節の節目にちゃんとあっているもの。
 
 昨日、ちょっとした気持ちの切り替えがあった。

 ふとしたことで、いつもは思い出さない過去の出来事を思い出して、それは、今までの感覚では、「自分が傷ついたし、えらい目にあったよね、このことはどう考えてもマイナスの記憶だ」みたいなことなのですが、

 あ、あれは、愛ゆえにだったんだな。 と、今まで少しは残っていた怒りみたいなものが、すーっと溶けてなくなった。

 それで、少し何かの基準が変わった気もします。

 自分は、愛を受け取るのが、本当に苦手なのだ、ということにも・・・。

 苦手というより、本能的に怖いと思ってさえいるみたいで。
 
 そういう人、実は多いのではないでしょうか?

 未熟児で生まれたことが関係しているのかも? 

 ちょっと、そういうことに気づいてきました。
 

 
   

雪の日、広響の第九

2016-01-24 19:14:12 | Weblog
 久々の寒波の中、広島交響楽団の定期演奏会。

 演目は、マーラーのさすらう若人の歌、と第九でした。

 マーラーの歌曲はとてもうつくしく、これは失恋の歌らしいのだけど、なぜかうっとりしてしまうほど。

 二部の第九は、これは、もうすばらしかった。

 広響を勇退される秋山さんの指揮は、冴えわたっていて、今までで一番くらいではなかっただろうか?

 秋山さんの指揮は、自我がきっちり昇華されていて、ものすごくピュアだ、と改めておもった。そこには音楽の普遍性だけが横たわる、だから、自分のなにかが反映されて、それが結果浄化みたいになる、と私は思う。

 今日の第九は、合唱が、広島とくべつ合唱団、とのことで、地元の合唱団や大学がミックスされているようだったので、・・・正直あんまり期待していなかった。
 というのも、昨年、東京オペラシンガーズの第九を聞いて、鳥肌がたつような感動を受けていたので、「ちょっとクオリティーがなあ・・・」と思っていたのです。

 第4章が始まって、歌いだしやはり「こんなものよね」と実は思ってしまった。合唱のクオリティー^は、正直たりないな、と思った。しかし、しかしです。

 途中からどんどん引き込まれていったのです。 ハッとするようなものは確かになかった。だけど、確実に空気を動かし、しみじみとこころにしみこんできて、私は、こんなに心を打たれたことは、正直初めてたっだ。
 最後の一番もりあがるところでは、ああ、これが本当に祝福、というのだ、と気付き、その時、間違いなく、ホールでは天国の扉が大きく開いていたような気持ちになった。
 演奏している人、合唱している人の気持ちが、すばらしかったのだと思う。今回の題目は「友よ、平和を」
 その大きな気持ちが一つになっていたのだと思う。
 
 最後は、もう感動して涙がとまらなかった。もちろん、拍手は鳴りやまなかった。

 このコンサートは小さなコンサートかもしれないけど、確実に何かを伝えた。


 そして、家に帰った思った。

 音楽ってなんだろう? すばらしい名器やすごい演奏・・・・?クオリティ?
 
 そういうことを考えさせられる、すばらしい演奏会だったと思う。

 

シンクロ

2015-08-28 17:28:25 | Weblog
 このところ、シンクロで新しい情報を受け取る、ということが妙に頭にあって・・・というのも、

「お知らせと思える出来事をを少しずつ合わせてみると、自分の本当にほしかった情報が得られたり、新しい道が開けたりする。シンクロというのは、メッセージである」という話を、立て続けにきいたり読んだりしたからです。

 その時は、「よくわかんなけど、とにかく小さなことでもお知らせと思って、心にとめておこう」

と思っていたのですが。

 今日、それが、「ああ、これだったのね!」と納得行くことがありました。


 来月、沖縄に旅行に行く予定を立てていたのです。

最初の予定の日程①は、格安航空の底値+リゾートホテルの底値から、「ここの3日間なら、安くて、思った通りのホテルに泊まれる」
という日にちを選んで決めていました。

 ほかの候補も沢山あったのですが、泊まりたいホテル(朝食がおいしい、と言ったらわかるでしょうか?)が、その日程が、ぎりぎり泊まれる値段だったので、それに合わせる形になっていました。

 それで、昨日、「もうそろそろリクエストしとかないと」と、まず、先日底値を確認した格安航空のサイトで、購入しようとしたら・・・・なんと、たった何日かで値段が数千円上がっていまして。

 初めて格安航空を利用するので知らなかったのですが、毎日変動するんですね、値段が。

 それで、なんとなく「もう少し考えよう・・・」と思って、ネットで調べていたら、予定日の前の週に、激安ツアーを見つけました(何と二人で四万円)。

 それで、昨夜、そこに問い合わせのメールを入れていたのです。

 その時は、「格安航空の値段が思っていたのと違ったことが、もっと安いのがあるというお知らせなのかも?」と ほんわり思っていたのですが・・・

 まあ、一番いい形が、絶対にやってくるに違いないから、シンクロを信じて一晩待っていよう、と決めました。

 そして、今日、今日はきちっと決めよう! と思っていた矢先に、ネットのツアー会社から電話が。 格安ツアーは、ホテルはオッケーだけど、飛行機の時間が、申し込んでしばらくしないと分からない、とのこと。12時~14時発の間の幅があるのとこと。

 それで、なんとなくそこが引っ掛かって、とりあえず、保留に。

 どうも、このツアーじゃない気がするなあ。

 それで、夫に、「激安で、滞在時間が短くなるツアーと、値段は倍になるけど、良いホテルでゆっくり滞在するのと、どっちがいい?」とメールしたら

 「もう、年なんだし、良いところに!」という返事が。

 でも、この時はちょっと迷っていました。 ツアーのほうは、12時台発に絶対なるような気がしていたからです。

 しかし、もう断ろう、と思って電話をかけたら話し中で繋がらなかったので、
 とりあえず、先に、良いほうのホテルの予約だけでもしとこうと思ってログインしたら・・・・

・・・そのホテルのその日の値段が、跳ね上がっていたのです!

 ありゃりゃ~これは無理だわ。。。。ということは、やはり、格安ツアーのもほうがいいのかな?

 すこし、考えてみることにしました。 

 いろんなことを考え併せると、 こんなに、スムーズに行かないのはなにかが、違うからなんだと思った。、まず、日程が違う(もっとよい日程がある)
 そして、ホテルも違うのかも、と思えてきました。沖縄旅行自体が違うのかな?と最初は思ったのですが、沖縄に関しては、もう何度も波が来ていたので、やっぱりやめようかな?と思うたびに、いかなきゃ、と思うシンクロがあったので、ここは違わない筈。

  そのリゾートホテルに決めるとき、色々な候補の中から選んだのは、「以前泊まった時が、わりと良かったから」という理由ですが、よく考えてみるとその時、「よいけど、そこまで良かったわけじゃない、でもはずれでもない」という、抜け感のない感じだったのも確かです。

 そして、他に第一候補に挙がるも、あまりにも高いのであきらめたホテルがあったのです・・・。

 それで、もう一度、日にちをずらして検索すると!

 一日ずらしただけで、以前より航空券は安く、そして、一番泊まりたかったホテルが、日程①のホテルよりも、2割位安くなってるのです・・・。

 あ、これだったんだ~~~!

 一番ぴったりのわくわくするプランがやってきてくれました。

 だから、日程①がスムーズに運ばなかったんだわ。 で、格安ツアーも今一つ乗れなかったんだわ。

 サクサク、新プランの予約をした後、ツアー会社から電話が。

 「あ、ごめんなさい、断りの電話をいれようとしたんですが、繋がらなかったんです」
 というと、「実は、出発の時間が、12時台になりました」とのこと。

 もし、新日程が決まっていなかったら、こちらにしていたかも・・・・とても感じのよい事務員さんだったので、申し訳なかったが、断るつもりで、他を決めてしまったことを話して、キャンセルしました。

 うーん、だから電話がつながらなかったんだわ。だって、繋がっていて、時間を聞いたら、申し込んでいたかもしれないもんね。

 という感じで、シンクロの展開を体験することができました。

 なんていうか、カードがどんどんくるので、ぴったりのところまで、見切り発車しないことがポイントかも。あと、 きっと、ぴったりのプランが来る、と思うこと。
 

 シンクロって面白いです。 ピタッとくるまで、あまり強引にいかないでも、ちゃんと気付いていれば来るんだと体得しました。

 なんだか嬉しくなってきちゃった