湖岸に臨んで作られた坂本城址公園から主君織田信長の安土城のあった方角を望んで
(海と錯覚させられそうですが、水平線の上に見える三角形の山が近江(おうみ)富士とも呼ばれる
三上山(みかみやま)ですが、左手の霞がかった、なだらかな山の連なりの奥のほうに
織田信長お気に入りの、超モダンなハイテク城と推定される安土城が
聳えていた近江八幡の辺りです。)
坂本城址公園内に立つ明智光秀像(上)台座には明智光秀の詠んだ歌と業績(下)
(左)昨年12月初め明智光秀像の立つこの城址公園から車で10分ほどの明智光秀の墓所がある西教寺を訪れた際に撮った明智光秀公辞世句である。
(右)坂本城址公園入り口に建つ坂本城址の石碑である。本丸など主要城郭はこの石碑の裏に覗いている畑に続く住宅のあたり、写真左てからさらに琵琶湖沿い北西寄りに占めていたらしい。近年はそうでもないが雨量の少ない梅雨期には日本最大の琵琶湖(近畿地方の水瓶ともいわれる)も干上がるおそれがあり、そういう時に坂本城の石積みの一部が姿を現してローカルな話題になることもあります。
安土桃山時代、明智光秀は京都は本能寺に滞在中の織田信長を急襲して、天下を取ったが
織田信長の家臣としては自分より低位ながら、出世街道を驀進中の羽柴秀吉による弔い合戦と化した
山崎の戦で敗北、腹を切った後、秀吉が天下びととなった。
数多の小説や映画、芝居で過去幾度となく俎上にのせられたであろう明智光秀の真意。
おおかたは、人心掌握の才と、目から鼻に抜ける鋭敏な賢さを認められていた秀吉とは違う意味で
怜悧な頭脳を信長から買われていたという光秀だった(本能寺の変で森蘭丸に「謀反人を報告せよ」
との問いに「明智光秀殿かと思われます」との返答を得るや「明智め!」と呻き、一瞬天を仰ぐも
間髪を入れず「是非に及ばず」。常に即断即決の武将信長は、緻密なシュミレーションに基づく襲撃計画
用意周到さを電光石火に見てとったのだろう。「手出し無用」と、警護の兵へ言い渡したという)
が、織田信長への忠誠の証として生母の命を差し出さされたことや
家臣一同の面前で、ボスによって立ち居振る舞いを論われ、鉄拳制裁を受けたこと
などへの私憤が溜まり直情径行的に、主君に弓を引いたというものでしょう。
わたしとしては「山門焼き討ち」と業績の碑文にあるように、往時高野山と1,2を争う
日本仏教最大の宗教勢力であった坂本の比叡山延暦寺
(世界遺産で、坂本駅からケーブルカーが稼働する)焼き討ちに起因するミニホロコースト(虐殺)
に端を発していると観ています。大坂・石山本願寺攻めや、長島や北陸の一向宗根絶やし攻めの先例にもあるとおり
天下統一のためには僧侶を蛇蝎の如く嫌い、紅毛人のキリシタン宣教師を厚遇したりしているが、
比叡山延暦寺焼き討ちは、粛清の集大成とも言われているほどで、僧兵は勿論非力な婦女子、さらには乳飲み子
の首をねじきったり、筆舌に尽くしがたい残虐非道を命じたと言う。
家臣のひとりとして職責を果たしはしたものの、神をも畏れぬ信長のこの所業を許せなかったのではなかろうか?
天が看過されるはずがない。下克上の世とはいえども、天に代わって成敗いたす。
もはや家臣でも主君でもない、鬼畜以下の織田信長を天誅するは我にあり、という考えに至ったと思いたい。
織田信長に成り代わって最高統治者として、意のままに采配を振るいたいとか、否とかについては希薄だったのでは。
ただ昨年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」によれば織田信長の姪でヒロイン江の「なぜ伯父上
を殺されたのですか?」との涙まじりの鋭い追求に明智光秀が窮し、つい先刻屆いたおやかた様からの書状に
「そなたを大事に思っておる
ついてはその働きぶりに高位の要職で報いたい」とあった、と明かすシーンがありました。
ちと早まったか、と後悔の念もあるいは光秀に兆したのかもしれない。
やはり真意は本人でも説明できるものではないのだろうか?
古今東西の歴史に「if」は無いものねだりである。
天下布武を錦の御旗に掲げた織田信長だったが、豊臣家が大坂冬、夏の陣で滅亡後
徳川家康を始祖とする、世界史にも類例のない最長不倒平和がもたらされた政権が誕生したのだから。
写真を撮ってブログエントリーに備えていたとき図書館で借りた本で
小学館で出版の「後世に伝える言葉」新訳で読む世界の名演説45(井上一馬)を読んでいました。
プロレタリア宣言(カール・マルクス)、自由を王とせよ(ネルソン・マンデラ)最後の弁明(ソクラテス)
山上の説教(イエス・キリスト)、火の説法(釈迦)、ゲティスバーグ演説(エイブラハム・リンカーン)
老兵はただ消え去るのみ(ダグラス・マッカーサー)など
の歴史的名演説の最新の現代語訳ですが、シーザー追悼演説(マーク・アントニー)シェイクスピア作
「ジュリアスシーザーより」が目に留まりました。「ブルータスよ、おまえもか!」で有名な
エンペラーシーザーを腹心の部下ブルータスの謀反で殺めたという歴史的事件です。
シェイクスピアの考える真意によれば、シーザーの親友アントニーがシーザーのお弔いの場で
シーザー討たれてやむ無しから一転、逆に謀反の咎を負うべきはブルータスだと
ローマ市民を焚きつける追悼演説をさせるのが、実は抗いがたき悪意のせいであると断じる。
そして、首尾よくことが運ぶかどうかは、ただ神のみぞ知ると、うそぶかせる。
坂本城址公園はときおり、小雪の舞う中、謀反人としてお天道様の下を歩けない明智光秀の
気持ちを斟酌してか(よけいな心遣い?)明智光秀の立像も寂しげで、大津・坂本城主を顕彰する
という佇まいはとうてい感じられなかった。
明智光秀は約10年ほど坂本城主を勤めた後、お隣京都の福知山城(現福知山市)の主となり
城下の人々からは善政を敷いた名君と慕われていたという。
敵は本能寺にあり!の大号令はこの福知山城(あるいは亀山城)を出発してから発せられたのだそうである。
※ブログのカテゴリーに自宅周辺の散策としていますが、このエントリーでは自宅周辺
ではなく車で30分弱の中距離になります。
謎だらけがロマンを呼ぶのかなぁ!?
日光東照宮の近くに明知平という処もあり
信長・秀吉・家康との関係の真意はッ??
テン
放置が随分続いてるなと思うや、突然思い出したように長文でエントリーしてくる私のブログを、以前から度々御訪問いただき、ありがとうございます。自宅周辺にとどまらず、私の住む滋賀は、京都、奈良に次ぐ古代から、近世の日本の歴史に登場する故事来歴の宝庫です。歴女ブームとか、歴史再発見が、こういう閉塞感漂う時代だからこそ、見直される一面もあるのではないでしょうか。黴臭い苔むす博物館や歴史資料館に押し込めておくのではなく、何かそこから得るものがあるはずですよね。引き続いてこの訪問レポートも暫時カテゴリーに重ねてゆくつもりです。