私の自己実現日記

日常生活にかかわる些細な望みごとや

こうあってほしいという願いごと

についてのささやかな考察です。

玄住庵に芭蕉を偲んで~文学づくし~松尾芭蕉

2012年01月15日 23時16分00秒 | 自宅周辺の散策


年が明けて2回目のエントリーですが、初回の旧年そして

新年の挨拶のアップロードでは、自宅周辺の散策として

徒歩10分の石山寺に纏わる源氏物語。

この度は徒歩7分の玄住庵で松尾芭蕉を偲んでみました。

土着の近津尾神社の境内の一遇に玄住庵跡の石碑があり

ちょっとした小高い駆け上がりに復元された亭風の庵が

建っています。

茅葺きの門を潜ると、板張りの上がり口に句投句箱

が設置され、隣の記帳簿風の綴じ帳には2句から3句ほどが

認めてあり、名古屋在住の投句者の署名がありました。

また傍らには、お馴染みの記念スタンプグッズまで。

白いパネルは平成23年度芭蕉の足跡を辿ろうとの企画で

滋賀県内一円で松尾芭蕉が詠んだ句にちなんで

俳句趣味の方々の投句コンテスト入賞作

でしょうか、間近な石山寺や浮御堂、三井寺、義仲寺などで

詠まれた俳句が掲げてありました。

玄住庵のガイド板にあるように「奥の細道」紀行の翌年

(元禄3年)から大津は国分のこの庵で、自炊生活を始めたとあり

私はすぐさま元禄15年の赤穂浪士の吉良邸討入りを想起しました。

世にも名高い後世の忠臣蔵は玄住庵住い12年後になります。

2つの歴史的事実に関連性は無いのでしょうが

松尾芭蕉の正体は忍びの者だったという仮想のもと

ハードボイルドタッチで

スパイものの時代小説を読んだ記憶があります。

生国はお隣の三重県伊賀上野市だが、長らく江戸に

住んだそうだ。(この項ウィキペディアであたってみました)

花鳥風月を愛でる風流な俳諧師は表の顔で、ひと皮剥ぐと

旗本直参あるいは御家人に繋がっていたのでは?

公儀の密命を帯びて直弟子の曾良を伴って、みちのくくんだりへの旅。

疑惑がありそう。 

徳川幕府は、遠隔の地の有力な大名、豊かな国力を背景に

軍事力に勝る雄藩(例えば私の生まれた薩摩)などの

動静になみなみならぬ、興味関心を抱いていたという。

このみちのくの旅では、322年前になるが3.11東日本大震災の地も訪れている。


ベートーベンが楽聖と尊称されるのと同様に、俳聖松尾芭蕉の

「奥の細道」紀行で詠んだ有名な”夏草や----”、”閑さや---”

は割愛して、この玄住庵で詠んだ句を案内板から

“先づ頼む椎ノ木も有り夏木立”

(芭蕉研究者の間で異論もあるそうだが)大坂御堂筋のあたりに住ん

でいた頃詠んだ辞世の句でキーボードから開放させてください。

“旅に病み夢は枯野をかけ廻る”









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