旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

やっと沖縄が「みえた」かも知れない

2019年11月11日 22時00分38秒 | 旅のこと
旅の終わり、私はいつも帰りの飛行機の中で手帳に思いついたことをどんどん書きつける。
ハワイからの帰りなんて、それだけで日本に着いてしまってびっくりした。いきなりドンって
音がしたから何事かと思ったら、着陸していた・・・それぐらい集中して書きつける。
多分この時間が一番鮮やかにその旅を「言葉」に変換していると思う。

今回もそれは変わらず。

沖縄に通い始めて22年。今回の旅でストンと腹におちたことがあった。今までモヤがかかって
どうしてもわからなかったことが、本当にある瞬間「あっ!今わかった」とわかったのだ。
思わず立ち止まって、まわりを見渡して、空を見上げて、ふぅと息をはいて、誰にかはわからないけれど
「ありがとう」って心の中でつぶやいてしまった。

それは読谷祭りの夕方のことだった。
読谷村のヨナハさんに連れられて、祭り会場で飲んで食べてうたって踊って、とにかくもういい感じに
できあがりつつある夕方だった。福星もなんとなく雰囲気をつかんで自分たちであちこち歩きまわっては
インチキ臭いあてもんで小銭をせっせと巻き上げられたり、周りの大人にいろんな食べ物をもらって嬉しそうにしていた。
私と友人とヨナハさんは泡盛とビール片手にバカ話。牛汁のうまさに感動しつつ、まつりに身をゆだねていた。

読谷村にももちろん米軍の基地がある。基地を中心に町があるといっても過言ではないぐらい
基地がドカンとそこにある。私たちのホテルも基地のゲート真正面だった。ギョッとしたけれど
これが読谷村の「暮らし」であるならば、それをほんの少しでも体感したいと思った。
基地があるということはその基地に関係する人の「暮らし」もそこにある。それはとても身近で
すっと馴染んで、おそらくここからここまでと線引きできるものではない。人間の「暮らし」は
そんなシステマティックにはできていない。

祭りにも大勢の基地関係者(というと仰々しいが、ようは同じ村に住むご近所さん、みたいな
感じで短パン、タンクトップ、でっかいベビーカー連れの家族や友人たち)が来ていた。
ものすごく当たり前だけれど、私たちと同じようにビールを飲み、ウインナーをほおばり、
子どもをあやし、トイレに並んだりしている。そりゃそうだ。

そんな光景をいい感じにネジのゆるんだ頭で俯瞰していると、あまりの平和さに「あれ?
もしかして沖縄の人が願っているのはただただこういう夕方なのでは?」と思った。
軍人でも観光客でもゆるやかに受け入れてくれるおおらかさとしたたかさ。混ざり合った
状態を「不安」ととらえるのではなくここからうまれるものに希望をもつことのできる人たち。

『基地に反対しているのではなく、戦争に反対しているんだ。だから基地に反対しているんだ。』

やっとやっとそれがわかった。私が今まで見ていた視野のせまさが心から情けなかった。
なんで沖縄の人たちがここまでやりこめられても抵抗を続けるのか。なんであんなアリとゾウが
戦っているみたいな辺野古の現場から撤退しないのか。なんであんなに強くなれるのか。
なんであんなに優しく戦えるのか。

ずっとずっと探していた答えを私はようやく自分で見つけることができた気がした。
この答えは私の答えであって、マルではないかも知れない。あなたの答えとは違うかも知れない。
でもそれで構わない。私は私の見つけた答えを信じて生きていく。考えていく。
それしかできないから。

基地に反対していることだけを見ていたら、きっと私もいつか見失っていただろう。
沖縄の人は心から平和を求めている。平和の尊さを本土の人間の何倍も知っている人たちが
まだまだ現役世代にたくさんおられる。私が阪神大震災の揺れを体にこびりつけて年を
重ねているように、沖縄の人は戦争の恐ろしさと大事な人を理不尽に失う悲しみを抱えたまま
ここまで年を重ねてきたんだ。一緒や・・・

もう心底戦争が嫌なんだ。もう二度とあんな目にあいたくないんだ。
あんな光景をもう一度見るくらいなら、どれだけ勝ち目がなくても抵抗を続けたほうがまだ
マシだと思っているのかも知れない。だからこそ「あきらめる」という選択がはじめから
ないのかも知れない。

「わかった」ことはすぐに伝えたい。ヨナハさん聞いて、今すぐ聞いて、と話したら
顔の全部で笑ってくれた。「こんな沖縄をもっともっと知りたい」と言うと「まつりを
最後までみなさい」と誇りに満ちた顔で(いや、ただの酔っぱらいのゆるみきった顔だった
かもしれない)ビールを追加された。福星は行方不明やけど、多分大丈夫。どっかにいる。
(いた)

まつりの最後は再現された立派な船の出航と、(すいません知識不足)
大輪の花火とカチャーシー。

ほんのすこし沖縄が「みえた」夜。「わかった」だなんて一生言えないけれど
旅をしたから「みえた」こと。そこにいたから「みえた」こと。
私は私の答えを自分でみつけたいだけ。自分のものさしをもっていたいだけ。

平和を求めるために抵抗を続ける沖縄の現状はやっぱり異常だ。
抵抗の先にあるものは、この日の夕方、読谷まつりの会場に全部あった。
言葉にすると恥ずかしくてすっ飛ばしたくなるけれど、愛、平和、共生。
そしてこのみっつがあるところでしか人は穏やかに「暮らす」ことができないのだ。
読谷村の小さなまつりが教えてくれたこと。ヨナハさんが教えてくれたこと。
今度は私が誰かに伝えたい。そう今このブログを読んでくれているあなたに伝えたい。

「好き」の力はこれぐらいすごい。私は沖縄が大好きだ。
(淡路島も好きです。デヘッ)







四十路の旅

2019年01月31日 14時18分55秒 | 旅のこと
もう一人で旅にでることはないだろう。
目的地まで一人で行くことはあるかも知れないが、あてもなくふらふらさまよう旅はもう終わった。

これから残りの人生の時間を一緒に使っても使いきれない愛する人たちを私は見つけた。
それは家族であり、友だちであり、ここまで一緒に歩んできた仲間たち。

一人で自分に向かって語りかけ続ける時間や、答えのでない問いを問い続ける時間はもうおしまい。
それをしながら長い長い時間バスに揺られ続けて知らない町を歩き回るのなら、その時間を愛する人
たちと少しでも長く一緒に笑っていたい。飲んでいたい。しゃべっていたい。

大人になっても、結婚しても、出産しても、終わらなかった一人旅がついに終わった。
たどり着いたのは「愛」のある場所だった。「愛」って日本語で文字にしたり言葉にすると
ものすごく薄っぺらくて恥ずかしくて、変換するのもためらうほどなのだけど、でもうんうん唸って考えた結果、
これしか言葉がみつからなかった。

どれだけ旅をしても見つからなかった終わりが見えたのは、自分が四十路に足を踏み入れたことが大きかった。
びっくりするくらいある日突然ストンと納得できた。

“行きたい場所はあの人がいる場所。この人と一緒に旅ができるなら目的地はどこでも構わない。”

今は心からそう思う。

私が一人旅できた時間はわずか20年ほどだった。全ての旅が今この瞬間につながっている。
こんな豊かな時間軸を持つことができた私は本当に幸せだ。

これからも旅は続く。行きたい場所も行かなければならない場所もまだまだたくさん。
誰かの感想は誰かのものだ。私が知りたいのは「私がどう感じるのか」それだけだ。

行きたい場所には行けるし、会いたい人には会える。
これからもより熱くそう願って、旅と日々を行き来していきたい。




ニライカナイに続く道

2018年06月01日 23時16分45秒 | 旅のこと
集落の先は青い海。

御嶽の前を通った時、福が立ち止まって「ここなんか違う」と言った。
星が「この向こうは入ったらあかんの?」とも。
私は何にも言ってないのに・・・おやおや。子どもの方がわかるのかな。
君たちはまだいろんなものに守られているからわかるのかな。

なんでもいいです。どんなかたちでもいいです。
どうか子どもたちをお守りください。そう願いながら静かに横を通り過ぎた。

竹富島。
変わっても、変わらなくても、また歩きたい道。

タイムトリップ?テーマパーク?

2018年05月31日 14時40分10秒 | 旅のこと
竹富島へ。

どこを切り取ってもいわゆる「沖縄らしい」絵になる島。
今回は水牛に乗って集落をひとまわりしたから余計にそう思ったのかも知れない。

よどみない言葉とぴったり時間30分で案内してくれたスタッフさん。
そして水牛のくろちゃん。

ドドドっとやてきて、ドドドっと去っていく観光客。(私たちもその一人)
あちこちに貼ってあった新規リゾートホテル建設反対のポスター。
見えなかったけど、気配を感じることもできなかったけど、この島の“何か”を
確実に変えたであろう某リゾートホテル。
島の人たちが「今」何を思っているのか知りたかった。目の前にいるのにうすーい
膜がはられたような距離感にとても話しかけることはできなかったけど。そんな簡単に
土足でズカズカと入るような質問をぶつけることなんてできないけど。


ここにしか残っていない風景はたくさんある。そういう意味ではタイムトリップしたみたいだった。
ぴったり30分の水牛めぐりやみんながみんなレンタサイクルでぐるぐる回っている
様子はまるでテーマパーク。
その中で生活を続ける島の人たちもおそらくほとんどが観光に携わる人たちなんだろう。

竹富島、今、昔。なんだかいろんなことを考えさせられた。
見ないことにして、写真撮って、ノスタルジックな気分にひたって船に乗ることも
できただろうけれど、やっぱり私は島の小さなひずみが気になって仕方なかった。

炎天下、咲き誇る花がまぶしかった。


もう夜になるよ

2018年05月26日 17時04分54秒 | 旅のこと
ブランコ中毒、夕暮れまで。
海の向こうに見えるのは西表島。

到着した日はちょうど夕暮れの時間に食事だったのだけど
「こんな素晴らしい時間に“いつもの時間だから”と食事をしている場合じゃない」という
ことに気づき、二日目は夕暮れの時間を外で過ごした。食事の時間が多少ずれること、ベットに入る
時間が多少遅くなること、それがなんだっていうのか。おっとうっかり忘れるところだった。
日常ではない旅を楽しむ一番大切なコツを忘れるところだった。

その時にしかできないこと、見ることのできない景色、それを優先できる柔軟さを忘れたくないなと
しみじみ思った旅先の夕暮れ。

そして子どもたちが寝静まったあとは、いそいそとスパに向かい(最高やった)
「寝たらもったいない、寝たらもったいない・・・ぐうううう」と落ちてしまったのが悔しい。
翌日は「飲まなもったいない、飲まなもったいない」と力を振り絞ってBARに向かい、半目で
一杯飲んで、ヨタヨタと部屋に戻ったワタシ。(「そこまでして飲みたいのか?」とダンナ氏にあきれられた)

こういう無理は絶対にした方がいい。旅は今のためだけにあるのだけでなく、後からじわじわ
いつまでも効いてくるものだから。その時は「これ本当に楽しいのか?」と疑問に思うことも
ないことはないけれど、自分だけのワクワクセンサーに従って少しでもやりたいと思ったことはやったほうがいい。
絶対に。

ほとんど幽体離脱しながら飲んだピナコラーダ(みたいなカクテル)忘れない味。
ハナマルの一日。