私は幼い頃からたくさんの親戚が自宅に出入りしていたこともあって、
大勢で出かけたりするのがとても好きだった。
まだ、さくらが小さい頃にうちと涼介家族、私家族を誘って夏休みに旅行に
出かけたことが何度かあった。
やっぱりたくさんいた方が楽しいね。
など思いながら旅行から帰ってくると、母から「向こうの家族は何なのかしら?」と言い出す。
「どういうこと?」と聞き返すと、「のんびりしすぎてテンポが合わないわ。」とか、
「あの旅館、設備が悪い。」とか「バイキングで食べたいものがすぐなくなっちゃう。」とか愚痴ばかり。
ほとんど、私が幹事となって宿を探して旅行会社に手配をしたりお金を払いに行ったりしていた。
旅行会社に何度も足を運んだりしたのに労いの言葉など一つもなく、逆に義父母は色々な宿に行ったけど
何一つ文句も言わず喜んでくれていた。
私が「苦労して宿をとったりしたんだから、文句を言わないで。」というと母は反撃。
「別にあんたが悪いって言っているわけじゃないのよ。愚痴を言っただけ。娘なんだから何を言ってもいいでしょ。」
何を言ってもって・・・。
宿の手配をしに旅行会社に何度も足を運んだのは、私だけではなく涼介やさくらも一緒。
私だけではなく、涼介やさくらにも言われている感じがして気分がよくなかった。
いつもさくらのアドバイスを受けようと電話した時に言われたので、私と母でしかわからない状況。
そのたびに私は不快な思いをしていた。
今思うと、その時から少しずつ母に対するストレスがあったのかもしれない。
たとえ涼介に話したとしても、立場的に話を聞くのが精いっぱいだったと思う。
だから、私は涼介に話をしても無駄だと思い自分の心の奥底に秘めてしまっていた。
その後もさくらの七五三やイベントなど何かにつけて母は文句をつけていた。
後から聞いた話しだけど、父はそんなことを母が言っているとは全然知らなかったそうです。
文句はそれだけに留まらなかった。
お中元やお歳暮、母の日や父の日などを普段お世話になっているので両家へ贈るようにしていた。
義父母は何を贈ってもいつも喜んでくれ、贈った側としても嬉しかったし贈ってよかったなと思う。
ところが、実家の母は贈ったものに対して必ず文句を言っていた。
ある日母から電話がかかってくると「お中元届いたけど、これいくらしたの?」と値段を聞いてくる。
「いくらだっていいでしょ?」
「いいから教えてよ。」
しぶしぶ私が値段を知らせると「そうなの?これ、値段の割に合わないね。」とのこと。
ちょうどその頃、母は腎臓を患い始め食べ物に注意している時だったので何を贈ったらいいのかわからなかったので、
カタログで選ぶものにしていました。
おそらく、気に入ったものがなかったのでしょう。
涼介と相談して、自分で選んでもらった方がいいよね。と決めたものだった。
涼介は「贈ったもの、喜んでくれた?」と聞かれたとき、私は恥ずかしくて母との
やり取りを言うことができなかった。
そして、この件について後で父に確認して聞いたところ父も気になっていたとのこと。
私が贈ったものだけではなく、他の人から贈られたものについても同じように文句を言っていたそうで、
父も見かねて何度か注意をしたそうです。
どうして母はそんな文句を言うのか、いまだに謎のまま。
大勢で出かけたりするのがとても好きだった。
まだ、さくらが小さい頃にうちと涼介家族、私家族を誘って夏休みに旅行に
出かけたことが何度かあった。
やっぱりたくさんいた方が楽しいね。
など思いながら旅行から帰ってくると、母から「向こうの家族は何なのかしら?」と言い出す。
「どういうこと?」と聞き返すと、「のんびりしすぎてテンポが合わないわ。」とか、
「あの旅館、設備が悪い。」とか「バイキングで食べたいものがすぐなくなっちゃう。」とか愚痴ばかり。
ほとんど、私が幹事となって宿を探して旅行会社に手配をしたりお金を払いに行ったりしていた。
旅行会社に何度も足を運んだりしたのに労いの言葉など一つもなく、逆に義父母は色々な宿に行ったけど
何一つ文句も言わず喜んでくれていた。
私が「苦労して宿をとったりしたんだから、文句を言わないで。」というと母は反撃。
「別にあんたが悪いって言っているわけじゃないのよ。愚痴を言っただけ。娘なんだから何を言ってもいいでしょ。」
何を言ってもって・・・。
宿の手配をしに旅行会社に何度も足を運んだのは、私だけではなく涼介やさくらも一緒。
私だけではなく、涼介やさくらにも言われている感じがして気分がよくなかった。
いつもさくらのアドバイスを受けようと電話した時に言われたので、私と母でしかわからない状況。
そのたびに私は不快な思いをしていた。
今思うと、その時から少しずつ母に対するストレスがあったのかもしれない。
たとえ涼介に話したとしても、立場的に話を聞くのが精いっぱいだったと思う。
だから、私は涼介に話をしても無駄だと思い自分の心の奥底に秘めてしまっていた。
その後もさくらの七五三やイベントなど何かにつけて母は文句をつけていた。
後から聞いた話しだけど、父はそんなことを母が言っているとは全然知らなかったそうです。
文句はそれだけに留まらなかった。
お中元やお歳暮、母の日や父の日などを普段お世話になっているので両家へ贈るようにしていた。
義父母は何を贈ってもいつも喜んでくれ、贈った側としても嬉しかったし贈ってよかったなと思う。
ところが、実家の母は贈ったものに対して必ず文句を言っていた。
ある日母から電話がかかってくると「お中元届いたけど、これいくらしたの?」と値段を聞いてくる。
「いくらだっていいでしょ?」
「いいから教えてよ。」
しぶしぶ私が値段を知らせると「そうなの?これ、値段の割に合わないね。」とのこと。
ちょうどその頃、母は腎臓を患い始め食べ物に注意している時だったので何を贈ったらいいのかわからなかったので、
カタログで選ぶものにしていました。
おそらく、気に入ったものがなかったのでしょう。
涼介と相談して、自分で選んでもらった方がいいよね。と決めたものだった。
涼介は「贈ったもの、喜んでくれた?」と聞かれたとき、私は恥ずかしくて母との
やり取りを言うことができなかった。
そして、この件について後で父に確認して聞いたところ父も気になっていたとのこと。
私が贈ったものだけではなく、他の人から贈られたものについても同じように文句を言っていたそうで、
父も見かねて何度か注意をしたそうです。
どうして母はそんな文句を言うのか、いまだに謎のまま。