北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

『妹の力』 その4

2021-11-21 09:47:38 | 日記


『妹』ではないですけど、 日本の普通の『オバサン』に、綿々と受け継がれているかも

知れない、一種の『しぶとさ』みたいなものも、相当に凄いものがあります、、、。



井川比佐志さんと、三田和代さん




                              ね、しぶといでしょ、、、。



住宅の設計とは、この『オバサン』を相手にすることなのです。生半可ではありません。

(『オバサン』どころか、もっと強力・強烈な、旦那の姉または妹としての『小姑』まで

登場してきたりする場合もありますので、気をつけましょう、、、。『お金は出さない

けれども、口は出すわよ!』という人が、一番やばかったりするものなのです、、、。)




 柳田国男の『妹の力』(1925年)は少し長いのですが、それについて書かれた、

 林達夫さんの『 妹の力(柳田国男著)』(1940年)は短いので紹介してみます。



   民俗学は譬えてみれば時偶の巣作りの季節を外にしては、いつも身を翼に託して

  定めなくあちこち飛び廻っている鳥のようなものである。そしてまた、この学問は

  その訪問者にも幾分この身軽な翼を賦与してくれるから、いま私が『妹の力』を読

  んでひどく見当違いに見える方角へ、すっとんで行ったとしても、それは民俗学でも

  私の罪でもない。

   この優れたエッセイは、著者がその郷里で見出された兄妹愛の事実、妹の純潔な

  愛情と精神力とに支えられる兄の索漠たる外面的、闘争的生活の習俗を取り上げ、

  そのいわば伝統的系譜を見事に描き上げたもので、それは処女=巫女の問題から

  伝説に見られる兄妹間の宗教的提携の事にまで及んでいる。

   ところで私が、それによって直ぐさま想い浮かべたのは、突拍子もないことだが、

  フランス宗教文学の三大記念碑たるパスカルの『パンセ』、シャトーブリアンの

  『キリスト教真髄』、ルナンの『イエス伝』であった。この三つの作品こそ、兄妹

  の同胞愛、宗教的提携の美しい近代的所産であるからだ。

   ジャックリーヌ、リュシー、アンリエット、という信心深い純潔な彼らの「半身」

  なかりせば、これらの世界文学の傑作は生まれなかったことは確かである。そして

  ヴィクトル・ジローが、柳田氏の『妹の力』が雑誌に発表された一九二五年に、この

  三人の天才のかげにある「妹の力」を問題にした『偉人の姉妹』という書物を準備

  していることを、興味ある符合としてついでながら注意しておきたいと思う。

   もう一つの遠い連想は、ギリシャ悲劇の有名な女主人公アンティゴネとエレクトラ

  である。これはむしろ「姉の力」とでもいったテーマに属するかも知れぬが、弟想い

  の鼓舞者、男勝りの行為者たる姉の型は日本でも森鴎外が『山椒大夫』をはじめ幾つか

  の作品で好んで取り扱ったものであった。

   「妹の力」が同胞愛のイオニア型、情操的な聖女型を示すといえるならば、「姉の力」

  はそのドーリア型、意志的な烈女型を示すものといえるだろう。そしてこれは当の女性が

  男きょうだいの年上にあると年下にあるとに関係はない。年齢上のいもうとが「姉」である

  ことも有り得るし、その逆の場合も有り得る。

   かくして柳田氏の『妹の力』は、民間伝承の民族性に対してその世界性、習俗の名もない

  庶民的埋没に対して、その天才的な記念碑的発現の場合をも我々に見せてくれたわけである。

  民俗学の翼のちからに感謝しよう。




                              『妹の力』 おしまい




                               
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『妹の力』その3

2021-11-20 13:08:06 | 日記


住宅の設計の仕事をしていると、まれに、『娘が家から出て行って帰ってこない家』がある。

プランをみると、『女中室』という、今どき放送禁止用語みたいな室名の部屋があって、その

隣には、何故か15~16畳くらいの、使用目的のはっきりしない広い部屋があったりする、、、。

でも、もちろん『女中さん』なんて、雇ってもいないし、雇う予定もない、、、。

『出て行った娘』と言っても、18とか19じゃなくて、たぶん、もうオバサンで、子供(建て主

さんの孫、もしくは、建て主さんが 兄or弟 の場合は、甥っ子か姪っ子)が、いるのかいないのか

さえ判らないし、たとえいたとしたも、何人かさえ判らない、だから、何人いても良いように、

15~16畳くらいのガランとした部屋なの、、、。

それでも、建て主さんである親(もしくは、兄 or 弟)は、娘(もしくは、妹 o 姉)が、いつ戻っ

て来ても良いように、新築の家にそんな部屋を用意する、、、。いや、いつか戻ってきてほしいと

思っているんだと思う、、、。(『娘』、もしくは『妹 』 or 『姉』、にしてみれば、いまさら顔

を合わせることも出来ない、何かの『いきさつ』というか『事情』があるんでしょうけれど、、、。

逆に、今は行方も杳として知れず、音信もない息子、または兄か弟のために、新築の家に1部屋を

用意しましたなんて話は、見た事も聞いた事もない、、、。家族というのは、いとも簡単に壊れた

り、無くなったりするものなのです、、、。)



折口信夫さんの生まれて育った家は、当時の大阪府西成郡木津村(今の大阪市浪速区敷津西1丁目)

で、芝居小屋や寄席のあった、難波千日前とか道頓堀や日本橋は歩いても近くて、子供の頃の折口

少年は、その当時の大阪で大人気だった、説教節や人形浄瑠璃や娘義太夫などを、よく見に行って

いたようです。(日清日露戦争の頃、1900年前後くらいかな? SNSやTwitter、テレビやインター

ネットなどの今の時代では、考えられないような『奇跡の時代』!『奇跡の環境』!)



左下の赤い印『鷗町公園』のあたりが、当時の大阪府西成の木津






当時、説教節の中でも定番の人気だったのが『小栗判官(おぐりはんがん)』だったらしくて、、、






小萩(照手姫)が、餓鬼阿弥(小栗判官)の乗った土車を、橋の上で押してる(引いてる?)の図







『小栗判官』では、死んだり生き返ったり、鬼の餓鬼阿弥になったり、喋られなかったりだったのは、

男子の小栗判官の方だったのですが、最近の大人気アニメ『鬼滅の刃』では、鬼になったり喋れなかっ

たりするのは、主人公の竈門炭治郎の妹の『禰󠄀豆子』みたいなんです。『小栗判官』と『鬼滅の刃』

では、兄と妹が入れ替わっている、、、?







                                  『妹の力』その4 につづく



おまけ  内田樹さんの『鬼滅の刃』論  http://blog.tatsuru.com/2022/02/23_0847.html

 

 

 

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『妹の力』その2

2021-11-19 12:39:31 | 日記

江戸時代の歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』

左が『切られ与三』(きられよさ)、右が『お富』(おとみ)






それを題材に、昭和30年代の前半に大ヒットした、春日八郎さんの『お富さん』




さて、この歌なんですけど、『粋な黒塀 見越しの松に~』とか『エッサオー 源氏店

(げんやだな)』とか、意味がさっぱり判らなかったのに、当時の子供たちは、普通

に学校や家や道路で、みんな歌っていました、、、。だいいち『死んだはずだよ お富

さん』って、死んじゃっていたらダメなんでないの、、、?




それを嬉しそうに聴いている、普通のオバサンたち(当時)





なんで日本人は、こういうのが好きだったんだろう、、、? このオバサンたちだって、

実生活で自分たちの娘が、『お富さん』みたいな人生だったら困るんでないの、、、?

(木更津の、その筋の親分さんに囲われていた『お妾さん』だったんだから、、、。)

他所様(よそさま)の家の、他人の『娘さん』や『息子さん』の、あーだの、こーだの

の悲惨な人生は、面白可笑しくて楽しいだけなの、、、? それとも、実は、自分も、

自分たちの『娘』や『息子』も、現実生活の実際のところでは、『お富』や『与三郎』

ほどではないにしても、たいして変わりがなくて、『どちらさんも程度の差こそあれ、

たいして違わなくて、子供で苦労するのは、お互い同じだわねぇー』って、すこし安堵

したり、ホロッとしたりしているだけだったのかな、、、?



    歌舞伎 与話情浮名横櫛


    

    いつの間にか、『与三郎』は『お富』のお兄さんになってしまっています、、、。

    つまり『お富』は『与三郎』の『妹』、、、?




                   『妹の力』 その3 につづく

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『妹の力』その1

2021-11-18 15:36:46 | 日記


「いもうとのちから」じゃなくて、「いものちから」と読むみたいです、、、。


これは、某ハウスメーカーの CM なのですが、、、










特に上の動画、肝心の、その某ハウスメーカーの製品・商品としての住宅がまったく出て

きません、、、。「少女の成長」篇として、同じ坂道を歩いて上ってくる建て主さん、

または、これから某ハウスメーカーで住宅を建ててくれるであろう建て主さんの『娘さん』

の、小学校の高学年くらい?から、中学校、高校、大学、社会人、彼氏が出来て結婚する

かも、、、? そして、もしかしたら結婚して2世帯同居 、、、? でも、まだ孫は生まれて

なくて犬が 1 匹(もしくは犬も大きくなりました)みたいな、、、。



でも、どうして、このCMの主たる登場人物は『娘さん』で、『男の子』だったり『息子

さん』じゃないんでしょうか?



どうやら、住宅には『その家から娘を嫁に出す』役割 ? (もしくは機能 ? )があるみたい

なんです、、、。





日本では、大学の職員住宅でも、( 公営住宅でも、市営住宅でも、URでも、、 )その

家から娘を嫁がせる事については、何の問題もない事が、広く一般に認知される事に

なったはずなのですが、、、。それでもやっぱり、自分たちの家から、自分たちの娘を

嫁に出すについては、それなりの家から送り出したいという『深層心理( ? )』を、

件のCMは、上手に衝いていると言いいますか、何と言いいますか、、、。




『貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)』じゃないけれど、(たぶん)8年間も家を出て

しまって、その間、1度も実家に帰らなかった『男の子』の結婚式。

北海道大学名誉教授にして兵庫県龍野市在住の志村 喬(しむら たかし)さんの挨拶が、

泣かせるのです、、、。





これも、倍賞千恵子さんが演じる、寅さんの妹の『さくらさん』が、いかにも、しっかり

としたお嫁さんだからこそ、成り立つ訳で、、、。まあ、日本では『男の子』は、どうで

も良いんですね、、、。『娘さん』さえ幸せになってくれれば、、、。でも、『男の子』

は、その『娘さん』を幸せにしなければいけないから、話は厄介なのですよ、、、。



                           『妹の力』その2  につづく






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