愛と命の尊さを見つめて.. ポルトガルから『日昇庵だより』 ”人生 邂逅し、開眼し、瞑想す” 日々是反省ブロ愚

今日出会った素敵な言葉、素敵な人たち、ここに集めてみました。
これは、自分だけのオリジナル・スクラップ・ノートです。

終末論

2012-07-26 01:00:54 | 最近思う事
 様より 転載。

「あなたは支えられている。助けられている。あなたは、この地球上を1人で歩いているのではない。このことを忘れないことだ。あなたの非物理的な教師やガイドたちといっしょに歩むことだ」(『魂との対話』G・ズーカフ)。「非物理な教師やガイド」とは、天使や背後霊と呼ばれる存在です。


霊界の様相

2012-07-19 16:29:18 | 最近思う事

 

【霊界の様相】

私たちは肉体という思い鎧(ダンベル)を身につけて、この物質世界で心を鍛錬しているということが言えます。人を赦す包容力、恐怖心を克服する勇気、誘惑を振り切る自制心など、大切な「身魂磨き」を行なっているのですそれは「心の世界」に備えての練習なのです。

この物質界では、人は肉体という思い鎧を着ていますので、心で思ったことが実現するのに一定の時間がかかります。カルマの戻りがゆっくりだということです。しかし、霊界は心の世界ですから、思ったことがすぐに形になります。ダンベルがなければ腕が軽快に動くのと同じ原理です。

前項でスウェーデンボルグの言葉をご紹介しましたのは、私たちが死んで肉体を失ったあとも、この世で培った考え方(心の癖=カルマ)をそのまま霊界に持ち込んで、そこでその心の癖にふさわしい世界を形作ることを理解していただきたいからです。


Hatchi: A Dog's Tale

2012-07-15 09:34:34 | Para um português


   邦題「HACHI-約束の犬 」 

  
   ベッドリッジ駅、午後5時。駅にはいつも君が待っていた。 

  アメリカ版 ハチ公物語 予告編

HACHI 約束の犬』(原題: Hachiko: A Dog's Story)は、2009年に公開されたアメリカ映画である。1987年昭和62年)に公開された日本映画、『ハチ公物語』のリメイク作品。

全編CLICK→http://asimovi12.blog.fc2blog.net/blog-entry-408.html


face book も観てね!


恋したらシェア

2012-07-13 02:28:16 | 心に残った一言
  • もはや愛してくれない人を愛するのは辛いことだ。
    けれども、自分から愛していない人に愛されるほうがもっと不愉快だ。
    byジョルジュ・クールトリーヌ
  • 真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑し、拙劣であり、愛嬌もろくに無いものである。
    byカント
  • ふところの寂しい恋愛というものは、出来の悪いマッチをするようなものだ。
    by庄野順三
  • 嫉妬は恋の姉妹である。悪魔が天使の兄弟であるように。
    byブーフレール
  • 愛し愛されるということは、両側から太陽を浴びるようなものだ。
    byデヴィット・ヴィスコット
  • 少しのきまじめさは恋愛においては結構だ。
    しかしあまり真面目すぎては困る。それは重荷であり、快楽でなくなる。
    byロマン・ロラン
  • 惚れるのは状態であり、愛するのは行為である。
    byルージュモン
  • 恋は熱病のようなのもである。それは意思とは関係なく生まれ、そして滅びる。
    byスタンダール
  • 会って、知って、愛して、そして別れていくのが幾多の人間の悲しい物語である。
    byコールリッジ
  • ロマンを求める人間にとって、恋はその人生の一番大切な位置を占め、全てに優先される。
    byイネッサ・アルマンド

    最近face bookが面白い!

    クリック →Yoshinoi Sahara


    今日はマリアの誕生日です。

    いつも見守ってくれてありがとう!!


    おまけ

    何故だか後姿しか撮られない写真

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「何のため」「誰のため」

2012-07-11 19:13:43 | KOKIAの歌と共に

 

KOKIA / infinity 

【カルマの法則】

本当の愛かどうかは、仏教の四苦八苦の物差しを当てればすぐわかります。「愛別離苦」の「愛」は煩悩です。「愛する人が離れていくのではないかと不安に思う気持ち」は煩悩の一種で、「独占欲」や「嫉妬心」という気持ちにもつながります。これは本当の愛ではありません。

四苦八苦の「求不得苦(求めるものが得られない)」も煩悩の愛を表現しています。手に入れたい彼女がこちらを向いてくれないので、なんとか振り向かせようとする努力の程度が過ぎると、ストーカーとなります。これこそ「我善し(独りよがり)」の愛の押し売りでしかありません。

愛の本質は「慈悲」です。すなわち、相手の幸せを願い、不幸を悲しむ気持ちのことです。場合によっては、愛する異性の真の幸せのために、自分が身を引く、ということもあり得るわけです。「私があなたを幸せにする」と迫るのは、雌を奪い合って戦う動物と同じレベルと言えます。

動物の求愛行動は見ていてほほえましいものですが、人間はそのような動物のレベルから卒業しなくてはいけません。まして、この終末において、芋虫の体から蝶の体に飛翔することになっているのです。いつまでも「求不得苦」の世界を踏み迷っていてはいけないと思います。

終末期において求められるのは、「愛の対象を大きく把握すること」です。「自分」→「家族(恋人)」→「同じ町や村の人たち」→「日本の人」→「アジアの人」→「世界中の人」→「すべての生き物」→「地球」→‥‥といった具合です。あなたは地球を愛していますか?

愛する地球が病んでいます。その地球に住む生きとし生けるものが泣き声を上げているのです。しかし、新しい世界の到来を予感して、一足先に次の世界へと飛翔しつつある種もいます。一番遅れているのは‥‥? そう。この地球の汚染源としての私たち人間なのです。

最も大切に考えるべきこの地球のことを思わずに、ただ自分の現在の暮らしをよくすることだけのために心を砕いていては、潜在意識銀行に「白いお金」を貯金することはできません。しかも、潜在意識銀行のお金はそのまま人類の集合的無意識を経由して地球銀行に直結しているのです。

一人ひとりの心の汚れ(貪瞋癡)が「黒いお金」として潜在意識に貯金され、それはそっくりそのまま地球銀行に納められています。その結果、地球銀行の「黒いお金」が地球のカルマとして物質地球に反映しているのです。地球の汚れは人類の心の汚れだと理解しなくてはいけません。

心に恐怖心を抱き、世の中に向かって怒りの気持ちを発信しながら、「地球を大切にしよう!」と叫ぶのは矛盾しています。地球を大切にするためには、まず自分自身の心の使い方を大切にする必要があります。気づいた人から実践です。それが地球の進化にも直結するのです。

結論としまして、「愛別離苦」や「求不得苦」の物差しにひっかかる「愛」は煩悩です。それを愛と錯覚するかぎり、この世界が愛に満たされることはないでしょう。愛の本質は「利他」なのです。利他の「他」を「人」に限定せず、「地球」に置き換えて考えていきたいと思います。

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                 「勝利するこころ」

(仙)Qちゃん、君は、何のために仕事をしているかね?
(Q)何のためって、生活するため、生きていくためですよ。
   …まずはね。
(仙)他には?

(Q)えーーと、生きがいを観じるため…とか。

(仙)では、誰のために仕事をしているか、考えたことはあるかな?
(Q)誰のため???

(仙)「誰のため」、「何のため」というのが、微妙な線ではあるが、
   非常に大切なことなんだよ。

(Q)???
   僕は、まだ結婚もしていないし、…まだ誰のためとかいうものを
   持って働いている実感はないですね。
(仙)そうか、それは残念だ。
(Q)!!!

(仙)仕事でも、スポーツでも学習でも何でもそうなのだが、
   自分自身が打ち込みたいものも、実は「自分以外のため」という
   部分が重要なモチベーションになることが多い。

   つまり、何かに打ち込んで、勝利するには、自分の満足以外に、
   他人の満足があった方が良いと言うことだ。

(Q)他人の満足???
(仙)大企業を興した人の言葉を聞くと、「世のために」という大義で
   動いている人もいるが、実は、原点は、「母のため」
   とか、「家族のため」とか、身近な人のためというものが
   その人を動かしていたと言うことが多いものだよ。

   「世の中のため」という大義も良いが、そんな大きな意味でなくても、
   自分以外の「たった一人のひとのため」ということでも、
   十分なモチベーションとなるし、
   そのこころが、勝利につながることは多いのだよ。

(Q)!!!
(仙)「家族のため」というだけではないよ。
    スポーツなどでは、「恩師のため」ということがよく言われる。
(Q)はい。

(仙)要は、誰かを「喜ばせたい」という気持ちを持っているかどうか、
   なんだね。
(Q)喜ばせたい…気持ち。

(仙)「恩師を喜ばせたい」「父母の喜こぶ姿が見たい」とかね。
(Q)それが、人を動かす。
(仙)自分に対する欲求よりも、それらの方が大きく人を動かす力になる
   ことが多いし、大きな力になることがあるということだよ。
(Q)はい。
   僕なら、「仙人を喜ばせたい」という気持ちを持てば、
   良いと言うことですね。
(仙)形でダメなんだ。
   気持ちだからね。本心でなくてはいけない。
   
   その人が喜ぶ姿が、自分の喜びとつながっていることだ。
(Q)はい!
   僕は、仙人を喜ばしたいです。
   いつか、仙人がアッというような人になってみせます!
(仙)その言葉だけで、十分だ。


【発行者】オフィス コー・ムーエン 代表:コー・ムーエン
【ホームページ】URL:  http://www.niji.jp/home/poippoi/
                MAILto:  poippoi@niji.jp


『能力が目ざめる瞬間』

2012-07-11 06:21:28 | 最近思う事

   『能力が目ざめる瞬間』(ダイヤモンド社)

前項でご紹介した中島孝志さんの『能力が目ざめる瞬間』(ダイヤモンド社)の中に、ある内観セミナーに参加したときの体験談が載っています。当Twitterでテーマにしている「カルマの清算」に関係の深い内容ですので、少し拾ってご紹介したいと思います。

内観のプログラムは「自己を取り巻く人たちへの“お世話になったこと”“お返ししたこと”“ご迷惑をかけたこと”の3点に対して、0歳~5歳、6歳~10歳という具合に5年ごとに自己の成長を刻み、それぞれの年代ごとに自己を掘り下げて調べる」ことを基本としています。

この「内観」に参加していた35歳の男性(Aさん)にみられる心の変化のプロセスは次のようなものだったのです。①「当たり前」→②「反発」→③「受容」→④「反省」→⑤「感謝」→⑥「愛」→⑦「報恩」。これはまさに潜在意識のカルマを解凍して昇華させる基本的なプロセスと言えます。


一つずつ見ていきましょう。Aさんは内観の対象を「母親」にしています。①「当たり前」――「親子ともども互いにイーブンの関係であり、生まれて育てるのは当たり前である」という段階からスタートしました。

②「反発」――「もっと金持ちの親であったならば、もっと地位の高い親であったならば、今の自分は違っていたかもしれない、‥‥と反発の作用が生じてきた」とAさんは言います。ほかに「親が喧嘩ばかりしていたので、精神状態はよくなかった」と語る参加者もいました。

③「受容」――Aさん自身の心の中から「違う、違う! と、魂の叫びともいうべきものがコツンコツンと頭を撃ってくる」と言います。(後から、それが人間と動物を区別する“良心”というものであったことが判明する)

④「反省」――この“良心”なるものにAさん自身の潜在意識が触れると、一転してしまうのである。自分に対して親がしてくれたこと、自分が親に対してしてあげたことの差に唖然としてしまう。“お返し”があまりにも少なく、親子の貸借対照表がアンバランスであることを認識する。

⑤「感謝」――「こんな自分を一生懸命育ててくれた」「雪の降るなか、病院に担ぎ込んでくれた」と、自分の記憶の奥に眠っていたことまでが思い出されてきたと言う。しかも、物心つかないほど昔の出来事もはっきりと浮かんできて、今までとは全く違う次元の感謝の念で一杯になるという。

⑥「愛」――反省と感謝は心の中では混沌とし、ほぼ同時にわき起こってくるが、この2つが融合すると愛が生じてくる。なぜなら他(森羅万象)への愛は感謝であり、自己への愛は反省だからである。この2つは愛が変形したものである。この段階でほとんどの参加者はとめどもなく涙を流す。

⑦「報恩」――参加者たちは、愛の段階を通り越した段階で、「今の自分の思いを伝えたい」と考えるようになる。それは義務感としてではなく、調和された緩やかな意思として内側から発生してくる。

以上です。最後に著者は次の言葉で締めくくっています。「周囲を変革することは困難である。しかし、自己を変革することは比較的たやすい」。いかがでしょうか。他人を変えようと思うより、まず自分の心(奥の心)の洗濯にチャレンジする意味がおわかりになったと思います。

     

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大切なことは「何のために病気を治すのか」ということです。「治ったら他者の幸せのために役割を果たしたい」ということであれば、善くないカルマは病気の症状とともに発散(消化)されていきます。「治って何がしたいのか」という動機が重要なポイントでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なわ・ふみひと @nawa_fumihitoJapan · http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/  より転載おわり。

 



『魂との対話』

2012-07-11 00:50:12 | 最近思う事
             さまより転載

【身魂磨き】

私の愛読書である『魂との対話』(ゲーリー・ズーカフ)の中から、「直感」に関する内容を抜粋してご紹介します。「私たちはこれまで、種としての起源以来、進化の道の上で、衝動やひらめき、突然の洞察などの形でもたらされる支援を数限りなく受けてきた」。