愛と命の尊さを見つめて.. ポルトガルから『日昇庵だより』 ”人生 邂逅し、開眼し、瞑想す” 日々是反省ブロ愚

今日出会った素敵な言葉、素敵な人たち、ここに集めてみました。
これは、自分だけのオリジナル・スクラップ・ノートです。

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一日一生

2014-07-18 19:52:38 | 心に残った一言


大きなスクーリンに映し出される映像の迫力に魅せられ、私は以前からよく映画館へ足を運んでいた。だが昨年の大震災と原発事故の起きた福島県に住む私は、約一年間は生きることが精一杯で大好きな映画鑑賞さえも、頭に浮かべることが出来なかった。

 

少し心に余裕が出た今年の4月になって、ようやくまた映画鑑賞をするような心境になれた。先週の金曜日(8月31日)にも、時間を確保して行ってみた。お目当ては高倉健さん主演の新作「あなたへ」である。話題作とあり大勢の熟年層が見に来ていて驚いた。

 

高倉さんは映画の公開に合わせ、撮影現場となった富山市の富山刑務所を訪問し、受刑者約350人を前にして撮影への協力に感謝を伝えた。「---一日も早く、あなたにとって大切な人の所へ帰ってあげてください」と、高倉さんが話すと受刑者から大きな拍手が沸き起こったという。(引用元:福島民報・朝刊・2012.8.27)

 

福島県の地元紙は何故か昨年から高倉健さんに注目し、何度か関連記事を掲載している。特に興味深く私の心を捉えた記事があった。その内容の一部を紹介させて戴きたい。

 

放送作家で水野十六氏は、「士風・高倉健さんからの贈り物 ⑥」)で、比叡山飯室不動堂での高倉さんの話をしている。400年以上の歴史をもつ比叡山の荒行「千日回峰行」を二度も達成した行者は3人である。その中の一人である酒井雄哉師との対話は、高倉さんの希望によるものであったという。

 

一時間に及んだ対談後、酒井師は玄関まで見送りに出てくださり、不動堂を去ろうと二、三歩、歩みかけた高倉さんは、また玄関に戻った。それで高倉さんは自分の紺色のマフラーをはずし酒井師の首に巻いて差し上げ、「寒くなります。どうぞ、お風邪など召されませんように----」と言ったと述べている。

 

酒井師は高倉さんのことを、「あの人はお侍さんやと思う。すべてに命がけで、いつも刃の上を歩いているようなお人やと思う。仏様から課せられた人生を『これだけ燃え尽きました』。高倉健は、そう言って逝ける数少ないお人やと思います」と、話してくださったと記述している。(引用元:福島民報・朝刊・2011.12.30)

 

私も人格磨きに精進して、高倉健さんのような素晴らしい年齢の重ね方をしてみたいと目標にしている。さて自分は81歳の時には、どのぐらい精神的に成長できているのであろうか。今から楽しみである。

 


夢の途、一日一生の絆をこそ 

高倉健さんて、御存じのように、私生活が全く見えない著名人である。
本来は自分の生業とする表現のみで我々受け手に関われば良かった芸能人も、数多の人数ゾロゾロのトーク番組出演に留まらず、ブログや「呟き」で幾らでも(必要以上に)饒舌になったり自己弁明出来る時代である。
男が背中で語る時代はもう戻ってはこないのだろうと思う。また、少年や青年が大人の男の背中に学びを得たり憧憬を抱いたりの眼差しを向けることもない時代なのだと思う。
そんな時代においても、高倉健さんという日本の男は、他の著名人であればワイドショーで美談として取り上げられそうなエピソードを(おそらくは)無数に持っている存在なのだと思う。
こうしてブログ上で饒舌になってしまいがちな私の小ささから見れば、それは(永遠に追いかけていたい)理想的な男の背中である(4歳違いの亡父のそれと重なってしまうことも)。
1996年から2000年にかけて5回に渡って放送された、ニッポン放送の同名のラジオ番組(計10時間)を元に新たに書き下ろした本作における健さんにもひたすら魅了され、感銘を受けた。
日本人男性、及び、大人の男性をも「カワイイ!」の価値観で括りたがる(私から言わせれば相当にどうかしちゃっている)この国の年中浮足立っているような女性達、つまり、全ての日本人に今読んでいただきたいような一冊だ。

高倉健さんの『旅の途中で』の2000年部分の後半で、比叡山飯室谷(いむろだに)不動堂の大阿闍梨(あじゃり)である酒井雄哉師との対談があるのだが(それもまた素晴らしいのだが)、本書の健さん自身によるエピローグの前に、酒井雄哉師による「健さんのこと」という一文が添えられている。
それもまた心に染み入ったので、その一部を抜粋して紹介させていただきたい。


独りの時間は人間にとって大切。
その時にこそ、いろんな発想や発見ができるもんです。

独りで生きることができる人が、最終的には強いんやないかな。
そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね。
そういう人は自分が善行を積んでも、
これこれをしました、なんてことをごちゃごちゃ言わない。
そんなこともあったかいな、という顔をする。
陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね。
ある時何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく。
何かをしても、結果や報酬を期待しない。
健さんはまさにそういう人やね。
(中略)
すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、
そんなお人やと思う。
周りの現象に流されず、折目正しく生きている。
それは座った姿にも出ておる。
誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある。
しかし、一日一生。
今日の自分は今日で終わり。
明日は新たな自分が生まれてくる。
今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、
明日はまた新しいものとして生まれる。
こだわりを捨て、同じような過ちを再び繰り返さないために、
今日のうちにその過ちを修正しておけばええ。
(中略)
自分に課せられた人生。
仏様からいただいた人生を、
「これだけ燃えつきました」
高倉健はそう言って逝ける、
数少ないお人やと思います。

 

高倉健さんの「旅の途中で」を読みました

彼の書いたエッセーです。生きることとはなにか。常日ごろの私たちの心の持ち方について体験をもとに語っています。

ほかの人たちも言っていますが、傍から見ていると大変な仕事をやっている人にとって、それは大変でもなんでもなく、楽しいからやっているのだ。

また、終わりの方で大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉師との対談があり、そこでは酒井さんが毎日毎日が違う、「一日一生」なんだといっています。「今日の景色と明日の景色と、自分の歩いている感覚、気持ちとか毎日違いますから。だからおもしろいんですよ、人生というのは、また歩くということも。」

高倉健さんはイラン映画「運動靴と赤い金魚」を見て「物欲まみれになっている国の人々に、経済的な豊かなことと、心が豊かであることがこんなに違うんだということをとても控えめに伝えてくるこの映画は本当にすばらしいと思いました」と書いています。

また中国映画「初恋の来た道」で、どんぶりの修理屋さんに修理を頼むシーンがあるのですが、そのシーンで次のような会話がありました。
「こんな安物のどんぶりだったら、もう新しいの買っちゃった方が安くつくよ」
「いえ、わたしの娘がとっても大切に思っている人が、そのどんぶりでものを食べたの。彼女にとって思い出の品だから、修理してあげたい」
「そうか、思い出は大切にしなきゃな」
そして高倉健さんは次のように言っています。
ものを大切にするというよりも、人の想いを大切にするっていうことをおじいさんがわかっている。そのことに感動してしまいましたね。

そしてわたしが一番感動したのは次のような言葉でした。
「人間にとって一番寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと。感動をしなくなったら、人間はおしまいだと思うんですね。こんなに寂しいことはないと思います。人間にとって一番ぜいたくなのは、心がふるえるような感動。お金をいくら持っていても、感動はできない人にはできません。感動とは何でもいいんじゃないでしょうか。美しいとか、旨いと感じるとか」

映画の中の健さんもかっこいいけど、彼の考え方、生き方もかっこいいですね。


高倉健さんの著書「旅の途中で」(新潮文庫)。
の中、
健さんと酒井阿闍梨さんの会話があります。
忘れないように。(勝手に引用させていただいていいのかわかりませんが。)
P220より
 
一日一生
 
高倉 阿闍梨さんから、
    新しい二十世紀に向かってー僕が何十年か前にいただいたようにー
    そのお言葉を思い出すと元気が出るような、そんな言葉をいただけると、
    今日のお話はおしまいで十分じゃないかと思いますけれども・・・。
 
酒井 僕が一番好きなのはね、
    「一日一生」という言葉なんです。
 
    一日が一生。今日の自分はもう今日でおしまいで、
    明日はまた新しく生まれ変わってね。
    機械でいうたら充電して新しいパワーでやっていくのと同じで、
    人間も今日は今日でおしまいやけれど、
    明日はまた生まれ変わって新しい世界に入ってくような意味。
 
   ~ 中省略 ~
 
   そうすると、「一日一生」やから、
   今日の一日の一生は今日でおしまいで、
   新しい次の世代に入っていくふうに、
   
   いつもいつも前向きな思想で、今日があるからこそ明日がある。
   明日があるから明後日がある。
 
 
   「一期一会」という言葉も同じことで、
   今日を、今を大切にしない人たちには、明日はないという。
   だから、二十一世紀にどうのこうのと言うても、
   今を大切にして前向きに進んでおかないと、
   二十一世紀もないですよということですよね。
   だから、「一日一生」という言葉が大好きなんです。
 
高倉 「一日一生」、いや、いいお話をうかがいました。
        今日はたくさんのお話をありがとうございました。
 
・・・・・・・・・・
 
「一日一生」
 
明日はまた違う人生があるのかもしれない。
毎日、生まれ変われる。
何か希望の持てる言葉だなって思いました。
 
 
「旅の途中で」の本のことは、また別の機会に紹介させて頂きたく思ってます。
 
 転載させていただきました。  ありがとう御座います。


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