ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

政局所感~消費税増税が決まった!

2012-06-29 09:21:42 | 市議会議員として
ブログではお久しぶりです。瀬戸健一郎です。最近はFacebookで情報発信することがほとんどになってしまいましたので、是非、そちらの購読やつながりの方も、よろしくお願いいたします。さて、この記事はそのFacebookへの書き込みをこちらでもアップするものです。みなさんのご意見ご感想ご教示が頂ければ幸いです。

■記事本体は以下のとおりです。

消費税増税が決まった。このままでは国家が破たんするという危機意識だけは国民の側にも広く浸透されているように思う。ギリシャやイタリアに留まらず、先日はスペインの主要銀行のムーディーズ格付けも一斉に引き下げられるなど、ヨーロッパ情勢を見ていても私たち日本国民のやるせなさには何となく根拠があるかのようにも感じられる。

しかし日本の消費税増税の議論は本来、少子高齢化問題や終身雇用制度の事実上の崩壊によって顕在化してきた格差社会を見据えて、国民の将来にわたる生活の不安をいかに払拭できるかというのがその根本的な議論の出発点だったはずではなかったのか?

税と社会保障の一体改革という民主党政権の掲げたスローガンには一定の説得力があったが、これが政局によって分離され、増税だけが先に決まってしまったという印象を私も強く感じている。

何のために?

この「何のために?」が国民に伝わらなくなってしまうと、民主主義は大きく後退しかねない。そして、それが明確でないと人心は揺らぎ始め、すがるべきものを求めてさまよう。

ファシズムはこのような民衆の不安の中から生まれたという歴史を繰り返してはならない。近代国家である日本国の国民が衆愚(しゅうぐ)であってはならない。

適格な政策ビジョンが示せない時、国民の不安をあおることが権力者の常とう手段となる。その時、国民に問われるのは問題の本質を見抜く力だ。

国債発行高がこれ以上増えていくことは大問題であるが、国債を買っているのは国民がその大半である。あたかも国債のとりつけ騒ぎが起きたら国家は破たんすると言うが、自己所有の国債を現金化する場合の多くは相続が発生した時であったりする。それは代り番こに起きるから、一気に国債発行高が現金化されることはなく、しかも相続ならば、相続税が発生する。

乱暴な言い方にはなるが、しっかりとした将来の社会保障問題を議論し、一定の方針とビジョン、政策が決定するまで、国債を買って頂ける資産にそれなりのゆとりのある国民に一時的にご負担をいただき、そのビジョンが明確になった後に、行政改革を伴う財政調整をして、消費税による負担割合をどうするのかを説明して欲しかったと私は感じる。

財政が右肩上がりの時代は、ある程度国債を発行し続けても、拡大する財政の中の国債発行比率はこれに連動するかたちでそれほど大きくはならなかった。放漫財政もこれに起因していたのだろうと思う。そして、このような意識で国債を発行し続けることは断じて許されない。

しかし、消費税を先に上げてしまってから、社会保障や財源を議論するというのは、どう考えても本末転倒なのではないだろうか?税と社会保障の一体改革を何年で超党派の議論をふまえて決定していくのかを定め、その期間の財源不足を国債でまかなうのであれば、誤解を恐れずに申し上げるならば、私はかまわないと考える。

みなさんはどう思いますか?

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor

追伸 ヨーロッパの金融不安に比べれば日本円はユーロよりも海外投資家にとっても魅力があるらしい。低金利であっても日本の国債が海外投資家に買われるのもそのためだろうと思う。さて、上述のような日本国民だけが日本国債を買っているわけではないことは日本の財政再建がもはやまったなしだという重大な要素のひとつであることは無視できない。日本国債が過去のように日本国の日本国民に対する借金だというコンテクストが崩れつつある。国債がヘッジファンドの餌食にならないように気をつけなければならないという危惧もでてきた。金融についてお詳しい方のアドバイスやご教示が賜れれば幸いです。(健一郎)


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