私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

相手の気持ちを考えるということ

2007-04-12 21:50:31 | 日々つれづれ
カウンセリング72の記事に対する、ちどりさんのコメントで私は、ハッとしました。

>ねこさんなら何をしても最後は許してくれると思っている様です。自分が犯人だと判明しても。

>夫さんのピンポンダッシュは、ねこさんを怖がらせる為でなく、ねこさんとコミニケーションを取りたいと、婉曲な形で表現していると感じました。


私は、それをしているかもしれない旦那に対して、嫌悪感を示すだけで、自分の気持ちでしか、その行動を理解しようとしていませんでした。

旦那は、何のためにそんなことをするのだろう。
それをした時の旦那のメリットはなんなのだろう。

私は、旦那ではないし、影で人を苦しめるよりも、正々堂々とぶつかる方が好きなので、旦那の気持ちには共感することが出来ません。
でも、もし旦那だったらと一生懸命考えてみました。

防犯カメラが設置されていないといえど、そこにはダミーの防犯カメラがついています。
なので、内情を知らない限りは、そのドアも貯水タンクも、防犯カメラに映ると思うはずです。
通常は、そのドアを使いません。
ドアも低く、かがんで通らなければならないし、ゴミを出す以外には、そこを使う必要性というかメリットはないのです。
それを考えると、酒を飲んだり、仕事で忙しくてストレスによる咄嗟的な行動ではなく、計画的な行動だと考えられます。

HPの荒らし行為などにより、私の不安を高め、もしかしたら旦那に相談し頼ってくるかもしれないと考えたのかもしれません。
そして、もう一つ・・・
HPの運営を出来なくさせて、収入がない状態に追い込めば、旦那に頼らざる得ないと思ったのかもしれません。

あくまでも私の想像に過ぎませんが、もしそうだとしたら、その行動に無視し続けることにより、もっと不安にさせるような行動で私を追い込もうとするでしょう。
自作自演のように、私を傷つけ追い込み、そして自分が守るというような役割を持ちたいのかもしれません。

私は、HPのブログを更新するのを最低限にしていました。
極力、自分の情報を与えたくありませんでした。
でも、それは、無視ではなく、私が抱いている不安や怖れを表しているようなものでした。

今回の訪問とアダルトサイトへの写真の掲示により、私は一つ先に進めたと思います。
私は、直接、旦那とやり取りをするのは怖いです。
なので、HPのブログによって、旦那へではなく、ストーカー的な行為を行っていた人に対して、自分の気持ちを綴ってみようと思います。

あくまでも、そういう行動を取った相手のことを批判するのではなく、
相手の苦しんでいる気持ちに共感していること、
そして自分の病理性に気付き、楽になって欲しいと思うこと、
これ以上、同じことを繰り返せば、繰り返すほど、苦しむんじゃないかと思うこと、
そして、私は、その行動に対して、もう振り回されないという強い気持ちを綴ろうと思います。

ずっとHPのブログを楽しみにしてくださって、何度も訪れてくださる方に対しても、きちんとお詫びをして理由を綴りたいと思います。
そして、顔が見えないところでの行為が、どんなに人の心を傷つけるかも説明することが出来たらいいなと思います。

私は、一年間近く、HPのブログを書くことに対して恐怖を抱いて苦しんできたけれど、それによって得たものもあります。
だから、もう例え、これが旦那の行動だとしても、ゆるそうと思います。
このことがなかったら、私は多くの人に見守られているんだ、温かい人たちの中にいるんだということに気がつけなかったからです。
苦しんだけれど、代わりに得たものもあるから、私は、されたことに焦点を置くのではなく、得たものに焦点を起きたいなと思います。



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カウンセリング72

2007-04-11 16:55:41 | カウンセリング
今日から、カウンセリングは45分。
色々なことがありすぎて、何を中心に話せばいいのか考えてしまいましたが、不審者の訪問と、写真の貼り付けのことを話しました。
もし、旦那の犯行であるとするならば、この後も続くこと。
そして、それが続けば続くほど、いい状態ではなくなることを指摘されました。

もし、調停などで話し合ったところで、生活費を入れていることや、子どもと逢いたいのに逢わずに我慢している自分主張し、自分の非を認めることがないだろうと言われました。
旦那の外面のよさなどからすれば、第三者の前で、自分がしてきたことを認めない限りは、自分が悪かったとは言わないかもしれない。

関係再調整が目的ではなく、第三者に旦那の病理性を判断してもらう形で、カップルセラピーという方法を取るのが一番いいのではないかと言われました。
旦那が自分を正当化しているファンタジーから抜け出すことが必要ではないかといわれました。
そうしない限り、養われている事実、証拠にならない揺さぶりを打破するには、その方法が一番ではないかと言われました。

まだまだ、旦那と同じ部屋に存在する自分を想像することが出来ません。
けれど、今回のことを弁護士に相談したり、地元のカウンセラーとも話をして、カップルセラピーまたは旦那のセラピーに繋がることを考えてみたいと思います。



カウンセリングの後、防犯ビデオを見せてもらいました。
でも、不審な人物は映っていませんでした。
防犯カメラは完全に設置してあるのではなく、ゴミ出し用の鍵が必要である出入り口付近が死角になっており、そこから出入りした場合は映りません。
それと、貯水タンクを登って進入した際も映りません。

ただ、物取りなどの不審者が家人の様子を確かめるためにインターホンを鳴らしたのであれば、インターホンに出た時点で、続行することはないのではないかと思います。
そこが死角だと知っている者、防犯ビデオを見られることも考えての犯行じゃないかと思います。
ただ、そこが死角であることは住人である私には知りえないことでした。
そういうことを熟知したものであれば、可能です。
旦那は、前理事長を務めていたので、防犯ビデオを見たこともあり、それが可能です。

あくまでも、可能性の問題だけで証拠がない限りは、限りなく黒に近い白ということです。
これまでのことを話した私の妹は、そんなことするようには考えられないと言います。
身近な人間でさえ、私の想像を否定してしまうような旦那の評価です。
それを打ち破ることが出来るのか、ちょっと不安になってきました。

ただ、今までと違うのは、そんな私のことを見守ってくれる多くの友達がいます。
近くに住むパパ友達も、何かあったら電話でもメールでもして、男衆で守ってあげると言ってくれます。
一人じゃないと思えることは、どんなに心強くさせることなのでしょう。
だから、私は負けないし、巻き込まれない。
強い気持ちを持っていたいと思います。



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プチ・ミーティング

2007-04-11 01:01:11 | 日々つれづれ
今日は、友達とプチミーティング。
不審者の訪問や、母とのやり取りを聞いてもらった。
もう30年以上前から知っているから、もちろん母のことも良く知っていて、表向きの母とのギャップに驚いていた。

でも、私は、つい最近まで母の異常さには気がつけなかったし、反抗はするものの、やっぱり母が正しくて自分が悪いんだと思ってしまっていたから、結婚してからの私は、母そっくりだったように思う。
むしろ、母を良妻賢母の見本として、そうならなければと勤めてきたように思う。
時折旦那が
「お前のかあちゃん、きつい。
 お前よりもきつい。」
そう言っていたのに対して、
「母は正しいことを言っているだけじゃない。」
そう思っていた。
今じゃあ、旦那の言葉に共感できる。


昨夜、次女が
「お母さん、おばあちゃんのことどう思う?」と聞いてきた。

「今回は、ちょっとしんどかったねぇ~。
 ちょっとめんどくさかったよねぇ~」と言うと、

「うん」との答え。

「次女ちゃんは、おばあちゃんのこと、嫌だった?」って聞くと

「う~ん。
 まぁ、人それぞれ、考え方が違うからねぇ~。」

大人じゃないの・・・そう思った。


母は、言われたことに対してずっと根に持つ。
それが、咄嗟に言ってしまった言葉にしても・・・
ずっと、私はそうやって母を傷つけてきたんだと思っていた。
でも、そうじゃない。

子どもは、大人の姿を素直に映し出す。
でも、それは、本心ではなく、本当に咄嗟に相手の態度に対する反映なのだと思う。
そして、口から出た後は、完結する。
いつまでも、その怒りの感情を引きずることはなく、どんなことを言われてもされても、親を愛そうとする。

でも、大人になると怒りは蓄積する。
我慢しているから、蓄積するのか、人を愛することが打算的になるからなのか分からないけど・・・


友達と話しながら、親だから、歳を重ねているから、人間的に成長できているわけではない。
もっとスピリチュアルなもの、霊的な成長というのは、年齢ではない。
そんな風に思った。
そう相手を見つめると、大人の癖に、男の癖に・・・
そんな囚われや、目に見える物ではなく、もっと違う心で人を見ることが出来る。
母は、まだまだなんだなと思えば、腹が立ったり、怒りが噴出す必要もない。
そして、こうなって欲しい、こう変わって欲しいという期待で、相手を支配しようとは思わない。
ゆっくりと静かな気持ちで、母の成長を見守ることが出来る。

母親だから、私よりも大人の考え方で当然という囚われを完全に取り、一人の人間同士として向き合う。
母は、まだ自分を守ってもらいたい、認めて欲しい段階なんだな。
それでも、色んな気付きを経て成長しようとしているんだな。
そんな風に、大きな気持ちで母ではなく、人間として、魂の段階のようなものを捉えることが出来る。

引き戻されたり、一歩進んだりするさまを、ゆっくりとして気持ちで見つめる。
かつて私も同じように揺れ動き、感情が噴出し、苦しんだように、母もまた同じ経過を経て成長していることが目に見える。
出来ていない部分よりも、出来ている部分を見つめ、出来ていない部分には、そっと寄り添っていよう、そんなおおらかな気持ちになれるになりたいことを、友達と分かち合った。

こんな分かち合いの出来る友達が、また一人、また一人と増えている。
不思議なことに、ふと気がつくと回りに最初からいた。
気がつかぬまま暮らしていたのに、気がつけば分かち合いのできる友達だった。
見えないところで不思議な力が働いているのを感じる。

目に見えないものを感じることは、電波とか、危ないとかそんな風に解釈されがちだけど、回復にはこういうスピリチュアルな力が欠かせない、そんな風に思う。
それを信じていないうちは、進まないし目に見えないものがある。

斎藤先生が、WHOでもスピリチュアルは認められているんだよと話されたことがある。
医者の口から、スピリチュアルなんて言葉が出ると思っていなかったから驚いたし、その時にはなんとなくしか捕らえることしか出来ずにいた。
でも、色んな意味で導かれている目に見えないものを信じて進むこと、神様にお任せすること・・・
私は、それが自然に出来始めたとたん、変われはじめた。
知識とか、頭でわかっているのとは違う、自然に心から受け入れた時、すべてを手放し無になれるのかもしれない。

分かち合える仲間と話すこと。
大きな変化をもたらすきっかけともなる。
色んなことがあって心が乱れても、私はもう一人じゃない。
それが私に力を与えてくれる。



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嫌がらせ2

2007-04-10 22:47:41 | 日々つれづれ
どこまでが犯罪に係わるものになるのか知りたくて、警察のDV・ストーカー担当に電話した。
旦那の可能性もあることを話し、色々と話をした。

「奥さんの気持ちもわかるんですが、客観的に捉えると、きちんと家にお金を入れている男性が、そういう行動を取るとは思えないのですが・・・」
そう言われた。

「旦那は、外面が良くて、誰から見てもいい人だと思います。
 でも、それは、自分がいい評価されたいからで、だから誰にでもわかるような嫌がらせは絶対にしないと思います。
 表面上は、いい夫を装い、自分はちゃんと婚費も入れてやってるという体裁を保つと思います。」

「犯罪とはいえない、ぎりぎりのやり方ですし・・・
 そこまで計算して出来るとは思えないのですが・・・」

思わず、旦那の職業を言ってしまった。
だからこそ、公にして、もし旦那が仕事を失った時に、今の状態では私も仕事が出来ず、婚費が入らなくなったら困ること。
けれども、このままでは自分が参ってしまうし、生活も脅かされ、子どもにも係わることを話した。

「提案なんですが、男心をくすぐるというか、そういうやり方を使って、
『今、こういうことがあって困っているんだけど、どうしたらいい?』とご主人に相談を持ちかけてはいかがでしょうか?
 そうすると、もしご主人がされていたのであれば、止めると思うのですが・・・」電話口の警察官は言う。

結局、サイバー担当者とも話したが、投稿された写真については、自分自身が掲示板の管理者に対して、削除依頼を行うしかないと言われた。
そして、削除される前に、そのページの印刷をしておくことを薦められた。
それが残っていれば、証拠として成り立つらしい。

投稿は不審者の訪問の一日後の犯行。
その日は、旦那の車はなかった。
投稿時間は、決まって夜中か休日。

結局、今の状態では、ストーカー法にも引っかからないだろうということ。
取り合えず、明日、防犯カメラの映像を見せてもらうことにした。
そこに旦那の姿が確認できれば、まず間違いない。
本人が認めないにしろ、形のある証拠があれば、何か打つ手もあるかもしれない。

旦那自身が、自分の行動の過ちや異常さに気がつくことがなければ、旦那自体も変わるきっかけを掴むことが出来ないのではないかと思う。
旦那かもしれないとおびえ続けながら、何も出来ないでいるよりも、もしこれで旦那ではなく、他の人が見つかれば、それはそれでまた動くことが出来る。

「あなたが強くなるしかない。」
そんな風に警察官に言われた。
本当にそのとおりだ。
自分の想像の影におびえるよりも、きちんと片付けていこうと思う。




嫌がらせ

2007-04-10 16:39:15 | 日々つれづれ
2月頃、HPのブログのプロフィールの掲示板みたいなところに
「ブログで写真見たよ。きれいだね。バツイチ??○○(住所名)にすんでるの?暇なら逢えませんか?」
と書き込まれていた。
ブログは、年末に嫌がらせっぽいコメントが続いて、移転したばかり。
写真は、2年近く前の記事に掲載していたもので、ブログの内容はショップ情報が主なので、たまたま訪れた男性が、わざわざ過去記事までさかのぼって、見ることもないと思う。

ブログの内容には、旦那のことは触れていない。
旦那のことを書くことは禁止されていたから。
でも、不在だということも書いていない。
そして、ブログには住所を想定できるようなことも書いていない。

今日、偶然に、エッチ系の告白サイトに、このブログに掲載されている顔写真が張られているのを見つけた。
時々見ているサイトのリンクから飛んだサイト。
興味本位で、覗いてみた。
そしたら自分の写真があってびっくりした。
エッチサイトなんて、何万とあるだろうに、偶然見つけるのもすごいかも・・・

弁解がましいかもしれないけど、そんなサイトをいつも見てるわけではなく、自分で自分の写真を載せる人ってどんな気持ちだろうとか・・・
こういう風に自分のことを載せる事が出来る人って自分に自信があるんだろうなとか・・・
私は、自分は愛されるはずもないとか、今は、過食気味で太り始めていて、太っていると愛されないという図式が頭から消えないから、他の人がどんな身体で、どんな気持ちでいるのか知りたかった。
太っていても、歳を取っていても、恥ずかしげもなく、自分の姿をさらけ出していてすごいと思った。

顔は掲載してはいけない規則で、顔をわかりにくくしてあるけれど、身体の方はノーカットに近かった。
そんな中で、私だけが普通のプロフィール写真。
しかも、妻の貸し出し告白のページに、投稿題も、投稿者名も、コメントも書かれぬまま写真だけが貼り付けてあった。
サイズは、ブログの写真のまったくそのまま。
3月末の日付で投稿してあった。

このままスレッドが下がっていくのを待つしかないのかな。
見ている人も、いたずらだと判断したのか、レスはあまりついていない。
このままレスがつかなければ、下がっていくだろう。
それにしても、これはもう嫌がらせにしか過ぎないな・・・


晴れたり、雨が降ったり・・・

2007-04-04 23:20:52 | 日々つれづれ
今日は、一日変な天気でした。
クリニックの通院日だったので、9時半に長男を保育園に連れて行きました。
今日から、年長組。
担任の先生は、男性でした。
父親不在で育った長男は、男の人が大好きです。
母親と違って、乱暴な遊びや、身体を使って遊んでくれるから・・・
いつも、家族ぐるみで遊びに行くと、遊んでくれるパパから離れません。
なので、良かったなぁと思ったのでした。

家を出る時には、晴れていたのに、保育園から出ると変な空模様。
まぁ、いいかと傘を持たずに出発したら、ポツポツと降り始めました。
クリニックでは、今日からプライバシー保護のために受付番号で呼ばれることになり、順番がわかりやすくて良かったです。
待ち時間、マッサージチェアに座りました。
頭のてっぺんから、つま先までマッサージしてくれる、とてもいい機種。
とても気持ちがいいのです。
そして、その後は、紅茶を飲みながら待ちました。

予約制とはいえ、必ず待たなければいけないのですが、アロマが炊いてあったり、湯茶のサービスがあったり、ソファーや机つきの一人がけがあったり、いたれりつくせりの空間。
待ち時間も、そこまで苦になりません。

そんなに長くない診察時間ですが、先生が勝手に切り上げることはせずに話しを聞いてくださいます。
今日は、夜間の訪問者の話。
旦那の性格から、そういうことがあってもおかしくないだろうと言われました。
いわば、想定内の行動ってことなのでしょうか・・・。

「それにしても、飲んでいたか何かで、気が大きくなっていたのかなぁ・・・」と先生。
そう言えば、飲んだ時に、気が大きくなるというより弱気になっていた旦那。
翌日に、
「あなたは、これからさき、どうしたいですか?教えて下さい。」というメールが届いた。
そして、昨日は、長女の通う中学校を尋ねるメール。
何が目的なのか、返事をするのも嫌悪感。
旦那がカウンセリングをして見直せば、やり直すこともありと思っていたけが、
もうやり直せないかもしれないと思い始めたこと、離婚を考えた方がいいかもしれないと思うことを話しました。

「その気持ちを伝えることも手なんだけど、相手から必ず反応があるから、そのやり取りが嫌よねぇ・・・」
先生は、旦那の行動をお見通しです。
「でも、今、離婚を簡単に決めたりしないでね。
 これから、生活していくうえで、どうすればいいのか、考えてから決めてね。
 弁護士などの専門家と話すのもいいね。」
そう仰いました。

旦那の行為が、ストーカーに該当するのかしないのかよくわかりません。
私の妄想だと言われればそれまでなのです。
HPの掲示板などの書き込みにしろ、今回の訪問にしろ、私の推測に他ならず、証拠や直接の裏づけになるものは何もありません。

旦那がHPを見ているという証拠はあるものの、IPアドレスの保存がされているわけでもなく、今回のことにしても、指紋を取ったわけではないので、それが旦那だとは実証されません。

離婚した際の慰謝料、養育費を考えるよりも、今現在の婚姻費用の分担がされているほうが生活も安定するだろうということらしいです。
慰謝料を少しでも増やすために、旦那と付き合っていた人と旦那の携帯にあった写真が同一なのかどうか、逢いに行くのも手なのかなぁと考えてみたりしています。
本当は、そこまでしたくない。
縁があって一緒になったのだから、いがみ合って別れる方法は嫌だなと感じています。

今年に入って、ようやく心の中に、一筋の光のようなものが見え始めたと感じていたのに、まだまだみたいです。
以前、近所で行われている再開発現場と自分の心が似ていると書いたことがあるのですが、そちらもまだまだ工事が続いています。
ただ、少しだけ新しい道路が見え始めています。
私の心と道路。
まだまだ埋めたり掘ったりの繰り返しです。






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ハンドルネーム

2007-04-01 23:14:36 | 日々つれづれ
今日は、ネットで知り合った人たちとお花見をした。
人見知りは、あまりしないほう。
誰とでも、気軽に話せるほうだと思う。
でも、それ以上は近づけない。
とはいえ、3回目になるし、そのうち一家族は、最初の出会い以来、仲良くさせていただいている。
しがらみのないお付き合いは気楽でいい。
本名も知らない人も多い。
バーチャルの延長でもある。
苗字や名前で呼ばれるのではなく、ハンドルネーム。
私の場合は、仕事上でも、その名前を使っているので、違和感は少ない。

ふと、考えてみると、妻である私よりも、母である私よりも、ハンドルネームで成り立っている私である時間が一番多くを占めている気がする。
私個人で捉えた場合は、過去からの友人を除いては、ハンドルネームでも成り立つのではないかと思う。
むしろハンドルネームは、名前よりも知られているのではないかと思うくらい・・・。

結婚して、苗字が変わった時、とても不便に思った。
職場では、旧姓で結構名が通っていたから・・・
電話では、必ず、旧姓を告げた。
知っている人と話すのと、そうでない時には、相手の反応も違う。
結婚後の姓を名乗っても、私の顔を思い浮かべてもらえなかったから。

その後、仕事を辞め、今の仕事に就いた。
仕事上では、名前と平行して、ハンドルネームを用いている。
屋号と同じハンドルネームは、時に屋号として、時に呼び名として使われている。

私の今の姓は、旦那の妻であること、子ども達の母親であることを示すものでしかほかならない。
ラベルでしかないんだなと思う。
何故なら、私はこの姓で自分を表現していないから・・・
旦那の妻としての付き合いも、子ども達の母親としての付き合いも、うわべだけのものでしかない。

私は、旦那と結婚し、この姓を持った。
でも、私は、このラベルで自分を表現したことなんて一度もないような気がする。
どうしてなんだろう。
私は、結婚して、妻であり、母であることによって、自分を型にはめ、身動き出来なくしてしまっていたのかもしれない。
もしかしたら、旧姓の時も、父や母の子どもであり、妹の姉であることに縛られていたのかもしれない。

ハンドルネームは、そういうものから解放された、私一人が、私として存在できる唯一の場所だったのかもしれない。
そう、私は、旧姓の時は、ペンネームを使い、詩を書いていた。
誰にも縛られることがなく、何のしがらみも持つことのない、一個人、独立した一人としてではないと、私は自分の気持ちを表現することが出来なかったんだ・・・

私は、自分の名前で、自分自身を表現することが出来るようになるのかな?
それが出来た時、本当の意味で私が私の人生を歩くことが出来るのかな?




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昨夜のことで・・・

2007-03-31 21:52:38 | 私が離婚を決めた理由
久しぶりに離婚について考えた。
最初は、もう離婚しかないと思い、気持ちや経緯を整理しようと始めたブログ。
調停の書類も書いたし、戸籍謄本も取り寄せていた。
でも、そのまま、私の心に答えが出ぬままいた。

結論を出さぬまま、自分の過去を見つめた。
カウンセラーと過去を癒し続けた。

もし、旦那が私と同じように、過去を見つめればどうだろう。
そう考えた。
別れることも、一つの方法だけれど、お互いが自分を見つめ、その上でやり直すことも可能ではないかと思った。
縁あって一緒になった人。
二人が知り合った意味がわかるまで、このままでいいんじゃないか、そう思っていた。

別居して、1年半。
少なからず、旦那は、給料を振り込んでくれ、そしてマンションのローンも払い続けてくれた。
それについては、とても感謝している。
少なくとも生活に困ることなく暮らしていくことが出来たから・・・。

だからこそ、急ぐ必要はないと思っていた。
今、結論を出さなくても、いずれ答えが出るのだろうと思った。
それと、まだ、私は旦那に逢えなかった。
もう心をかき乱されることは嫌だった。
出来ることなら、平穏に暮らしたかった。

けれど、こうやって夫婦の関係を続けている限り、私には苦しみが付きまとう。
いつ逢うかもしれない。
いつ何かを言われるかもしれない。
何をされるかわからない。
それでは、私の心は、本当に休まることはないのかもしれない。
そう思った。

弁護士を立て、逢うこともなく、離婚するのもいいのかもしれない。
今までどおり、メールだけの連絡で、子どもがYESと言えば、面会に応じれば、もう顔を合わすことも避けることが出来るのかもしれない。

ここまで、逢いたくない、顔も見たくない相手と、やり直すことはもう無理なのかもしれない。
例え、相手がカウンセリングを受けて変わっていったとしても、常におびえ続けなければいけないのかもしれない。
私は、それを背負うことが出来るほど、強くないのではないか・・・そう思う。

子ども達の周りで、また一組、離婚がある。
もう、離婚は、非日常的なものではない。
子ども達も、もう受け入れることが出来るのではないか・・・
姿の見えぬ父親を、形だけの父親としておく必要もないのではないか。
形は変わったとしても、父親であることは、一生変わらないのだから・・・

もう、自分自身が、楽に生きられる道を選択してもいいんじゃないか?
もう、これ以上、背負う必要はないんじゃないか?
私の心は揺れ始めている。



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不審訪問者

2007-03-30 23:37:55 | 日々つれづれ
23時。
玄関のインターホンが鳴る。
「はい。」と出るが返事なし。

それでも、しつこくインターホンが鳴る。
子どもみたいなしつこい鳴らしかた。

「いたずらだったら110番しますよ。」そう警告。

子ども達も起きてきて・・・

「怖いから、110番して」と言う。

「あと一度鳴ったら。」そう言ってインターホンのボリュームを下げると、また鳴る。

結局、110番して巡回してもらうことに・・・


パソコンを見ると、
「みんな元気ですか?春休みはどうするんですか?みんなと遊びたいな?」
22時57分、旦那からのメール。

駐車場を見ると、旦那の車がある。

到着した警察官が鳴らすインターホンにもビクついてしまう。

旦那と別居していることを簡単に説明。
でも、もし違っていたら、仕事に差し支えるのでと、職業などの詳細は告げぬまま。

しばらく収まっていたパニックの症状。
安定剤飲んで、効くのを待つしかない。

カウンセリングは、1週お休み。
明日から、4日間、保育園は休み。
大丈夫かな、きちんと過ごせるかな・・・

カウンセリング71

2007-03-29 00:30:12 | カウンセリング
他の方のブログで、旦那との関係を思い出し、夜眠れなかったことを話しました。
久しぶりに感情が噴出しました。
心の底の叫びは、
「ようやく、私だけを見てくれるひとを見つけたと思ったのに・・・」でした。

二人の関係が近くなれば、近くなるほど、遠ざかっていく。
付き合い始めた頃は、私との関係を最優先していた旦那。
最初のうちは、うっとおしくてたまらなくて、でも振り払っても、振り払っても追いかけてくる姿に、こうやって、愛されてる方が幸せなのだと思い始めました。

今までの恋愛で感じていた引き裂かれるような痛みも、恋しさも感じない、ただ一緒にいて楽しい、そんな関係に、結婚するのはこういう人なのだと思っていました。
ありのままの私でいても、この人は、私を愛してくれるのだと思い込んでいました。

でも、結婚が決まる頃になると、私との関係よりも、仕事や友達が優先になり始めました。
それでも、人を大切にする気持ちを快く感じていました。
結婚し、それがだんだん違って見え始めました。
どんな時でも、家族の順位は一番最後でした。
自分がしたいことが最優先。
自分が最優先。

家族の病気、怪我・・・
トラブル・・・
何があっても、優先順位は最後でした。
普段は、最後でもいい。
困った時、辛い時には、優先して欲しかった、助けて欲しかった・・・
でも、それを求めれば、求めるほど、溝は深まるばかりでした。

成り立たない会話。
将来を二人で話し合うことすらありませんでした。
話でも通じない。
話し方を変えても通じない。
心の傷は、だんだん深くなるばかりでした。


「今の結婚観ってどうなの?」
そんな風にカウンセラーから質問されました。

「同じ空間の中に一緒に暮らしているということ。
 お互いが、自分を好きになれるように、支えあうこと。」
そう答えました。

先生「情緒的な面では?」

私「今まで、期待しすぎて、辛かったから、求めたくない。」

先生「旦那みたいな人を選ばなければいいんじゃないの?」

でも、やっぱり結婚生活において、それを求めようとは思えませんでした。
ここで、カウンセリングの時間が終わってしまいました。

カウンセリングが終わって考えてみました。
もし、相手が、カウンセラーだったら、Kさんだったら、私は、情緒面で依存したいと思うのだろうか?
答えは、ノーでした。

旦那との関係が上手くいかなかったのは、旦那だけの責任とは思えないからです。
それを認めたくなくて、旦那のせいにばかりしていたような気がします。
でも、旦那の行動をひどくさせてしまったのは、やはり私との関係性もあったからではないかと思うのです。

「あんたみたいにわがままな人はおらんよ。」母の言葉
「お前とじゃなかったら、上手くいっていた。」旦那の言葉

一緒に暮らしていて、情緒面で依存してしまえば、相手が誰でも、同じような関係性になってしまうのではないかと思ってしまうのです。
近づくのが怖い。
今までと同様に、男性と付き合うことが出来たとしても、同じ空間の中で、結婚生活において、ありのままの自分をさらけ出すのは、怖いのです。
もうこれ以上、傷付くくらいなら、心を開きたくはないと思ってしまうのです。

普通の友達としての関係においては、今までよりも、心を開いて付き合うことが出来るようになったけれど、いざ、同じ空間での生活、寝起きを共にして、ずっと一緒にいると考えると、私は、今のままが一番だと感じてしまうのです。

そして、旦那のことも怖い気持ちは抜けきれていません。
似ている人を見るだけで、うずくまってしまいそうになるし、逃げ出したくなります。
ただ、その感情を引きずってしまうことはなくなったけれど、一生逢わなくてすむならそうしたいと思ってしまいます。

離婚しようとしないのは、逢うことが嫌だからもあるのかもしれません。
それと、もう一つ。
何のために、旦那と知り合い結婚したのだろうと思うことです。
今、自分を見つめることになったきっかけは旦那です。
それだけのためなのか、まだ他に意味があるのか・・・
それを見極めてから、決断したいという思いもあります。

離婚したところで、子ども達の父親であることは変わりません。
縁が切れるわけではない。
それなら、今は自分としっかり向き合って、答えがわかってから決めてもいいのではないかと思っています。

旦那との関係を見つめることは、やはりまだ辛いです。
求めても満たされなかった思いが、後から、後から噴出してきます。
ただ、少しだけ、そんな自分の感情をコントロールすることが上手くなりました。
以前は、噴出してしまう感情を、無理矢理引きずり出してしまったり、感情を止めることが出来なくなったりしていましたが、それを上手くかわすことが出来るようになったような気がします。
とは言っても、一度溢れ始めた感情を完全に止めることが出来なくて、何かの拍子に、出てきては涙がこぼれてしまいます。
当分は、こういう状態と付き合わなくてはいけないようです。


今日は、突然友達が訪ねてきてくれました。
東北に嫁いでいる短大時代が帰省し、こちらに住んでいる友達夫婦と食事に出掛けた帰りに寄ってくれました。
卒業して来年で20年。
それでも、私のことを忘れずにいてくれることとても嬉しく思いました。

明日は、北海道に住む同業者と食事に出掛けます。
最初は、ネットで知り合い、メールのやり取りをし、今回で逢うのは3度目です。

私は、今までのように、寂しさを感じることも少なくなったし、そして、自分だけを見て欲しいなんて思いません。
人との付き合いが下手だと思っていたし、友達も少ないと思っていたけれど、こうやって色んな人に見守られていること、心の中に存在していることを感じています。
そして、過去に私が欲しかった言葉を誰かに与えられる人になれたらいいなと思っています。
以前は、人に良くしてあげたら自分に返ってくるなんて思っていたけれど、そんな見返りも考えません。
ただ、私が欲しかったものをあげたい。
過去の私のような人に、少し楽な気持ちになって欲しい。
その人を救いたいと思うのではなくて、その人を救うことは出来ないけれど、少しでも苦しみをわかって、寄り添っていたい。
そんな風に思います。

「ねこさんといると安心できる」
先日、友達がそう言ってくれました。
私は、何倍ものプレゼントを貰ったような気持ちになりました。


癒されている面、まだ癒されていない面。
変わっていった気持ち、まだこだわり続けている気持ち。
私の中には、まだまだ両方が存在します。
そして、辛い部分には、蓋をし続けていたいと思う気持ちもあります。
それでも、変わっていった自分を感じることが出来るから、まだまだ変わりたいと思います。
まだまだ自分を見つめていたいと思います。




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カウンセリング70

2007-03-20 00:00:19 | カウンセリング
口唇期の問題を先週に続いて話しました。
頬が、じんわりとした温もりを感じることを求めていること。
直接の皮膚と皮膚との接触。
それはまさしく、母乳を与える母と赤ちゃんとの関係だと思うこと。
卒論小説の中にも、それが描かれていること。

「だから、ホテルに行っても、エッチをしないんだねぇ~。」
なんてカウンセラーから指摘をされました。
私が男性を求めるのは、セックスではなく、キスやそういう感覚的なものだと思います。

「旦那は、女性をハンティングしてる人でしょ。
 風俗に行ったりするくらいだから、ハンティングだよねぇ。
 ハンティングしてる男性は、冷たいというか、エッチが終わると、さっさと別の行動に移ったりしてしまわない?」とカウンセラー。

「どうしてわかるん~。」と私。

ハンティングする人は、女性を征服することで、癒されるのだと言われました。
でも、本当に癒されているのではなく、そうだと思い込んでいる、アディクションで、実際には埋まらないのだと言われました。

まさにその通り。
ずっと、結婚生活の間、そのふれあいを求めても、求めても与えられることはありませんでした。
セックスが苦痛でたまりませんでした。

旦那にとってのセックスは、性的な快楽を得る行為でしかなく、私が求めるものとは180度異なっていました。
旦那にとってのセックスは、いかに自分のテクニックを見せ付けるか、それだけしかなかったように思います。

私が、旦那とやり直したくないと思っている大きなポイントでもあるかもしれません。
私は、どうしても、あの温もりを手に入れたい。
でも、それも、アディクションに過ぎないのかもしれませんが、その思いがあるうちは、旦那とのスキンシップは取れないと感じてしまいます。

結婚生活の中でもまた、私は、このまま、こんなセックスしか出来ないまま、一生を終えるのかという思いがありました。
私が求めるのは、快楽ではなく、安らぎに過ぎなかったからです。

誰かに抱かれたい思いは、快楽的なものによって溺れたいのではなく、むしろ、子どもが母の胸に安らぎを求めるものと同じだったのでしょう。
5歳になる長男は、時折、抱っこを求め、少し抱っこするだけで安心して遊び始めます。
10歳の次女も、寝る前や、悲しい出来事があった時には、抱きしめてといいます。

でも、私は、5歳を迎える前に、それを辞めてしまいました。
お姉ちゃんだからという言葉によって、求めることが出来なくなりました。
口に出せない想いを、飲み込んで、飲み込んで、飲み込み続けて、初めて、男の人の胸に抱かれた時に、その想いを止めることが出来なくなってしまったのでしょう。

そして、その欲求は止められなかった。
傍にいるのに与えてもらえない、そんな怒りが旦那に対してありました。
寂しくて、寂しくてたまらなかった。
目の前にいながら満たしてはもらえない想い。
どうせなら、目の前からいなくなって欲しかった。

「あなたといると、一人でいるよりも寂しい。」
私は口にしたことがありました。
ずっと、ずっと寂しかった。

でも、今は、寂しさを感じることは少なくなりました。

布団で眠っている長男の横に滑り込む時の幸せ。
子ども達を抱きしめる、それだけで温かい気持ちになれます。

渇望ではなくなったけれど、まだ抱きしめられることの幻想みたいなものは渦巻いています。
きっと、この感情は、ずっと共生していくしかないのでしょう。
でも、悲しい時、辛い時、そっと寄り添い合える関係でありたい、それは人間として当然の依存ではないかと思います。

旦那は、すべて一人で処理していくものだと思っています。
そうするしかなかったのでしょう。
でも、私は、そんなのは嫌なのです。
しかたなく与えられるのも、しかたなく寄り添われるのも嫌なのです。
お互いが、そっと寄り添い合えるような関係が欲しいのです。





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カウンセリング69

2007-03-15 00:40:36 | カウンセリング
今回、カウンセリングがとても楽しみでした。
以前は、楽しみというよりも渇望で、痛みを伴っていたのに対して、とても楽しみなのです。
遠足の前の夜の子どもみたいに、昨夜は夢を見ました。
カウンセリングの時間を忘れてしまうという夢でした。

今までの恋愛と同じように、カウンセリングの時間を渇望し、なおかつ満たされない思いがあり、電話を切るのに痛みを伴う感じでした。
でも今は、わくわくするような、そんな楽しみです。
その気持ちを話すと、カウンセラーも楽しみにしていると仰ってくださいました。

以前なら、カウンセラーだからそんなことを言うんだと思ってしまっていたのかもしれないけれど、心地よく受け止めることが出来るようになりました。
根気よく、受け止め続けてくれるカウンセラーに対して、信じられるようになり、そしてまた、その言葉に対して、過度に期待しないようになったのかなと思います。

私がありのままの自分を見せることに抵抗がないのは、恋愛感情を抱いていない男性に対してだけだったような気がします。
女性に対しては、嫌われたくないという思いも強く、また、女性同士の特有な関係を持つことが苦手なこともあり、女性同士の付き合いは、逆に男性同士の付き合いのようなサバサバとした関係しか築けていないかったかなと思います。

カウンセラーに対しても、恋愛感情に似た感情を抱いていたこともあって、セックスの話題に触れるのは極端に恥ずかしかったし、恋愛についても語ることに対して羞恥心を抱いていました。

今は、今まで自分の作っていた壁を打ち破ることが出来たのか、少しずつ、他人との距離の取り方や、安心できる関係を築きやすく、またありのままの自分を出せるようになっていると思います。


キスについて話しました。
前々回のカウンセリングで、恋愛の始まりのきっかけの話の中で、なんとなくキスをしてしまうという話をしました。
色々と考えているうちに、私自身が、キスに対して何か特別な感情を抱いているというか、求められると拒めない魅力をキスに感じているような気がしました。
キスをすることで、快楽を得、自分の感情をコントロール出来なくなるような気がします。

ふと、思いついたのが、フロイトの性的発達段階の口唇期でした。
私は、母の母乳が足りず、ミルクが嫌いで吐くという行為を繰り返していました。
そのため、空腹で泣き続けていたらしいのです。
何か、関係があるのではないかと感じたのです。
異性の親との関係が上手く結べないと、恋愛依存になりやすいのではないかと感じることも話しました。
妹も、私と同じような性格で苦しさを持っていますが、妹の場合は、不安神経症といった症状で、恋愛依存には陥っていません。

口唇期の愛着障害としては、摂食障害などの症状が出やすいらしいのですが、私の場合、多少の過食が見られるだけです。
カウンセリング中には、思いつかなかったのですが、貧しくて食料が充分になかったことや、もったいないという意識も強かったこと、そして何より、摂食障害が始まる時期に、性体験を先にしてしまったことで、そちらに流れてしまったのではないかと思います。

無理に原因を突き止める必要性はないのかもしれませんが、自分の心を実験台にして心理学が学べるので、色々と自分との関連性を引き出して見つめてみたいなと思っています。

最後に、職場で抱えていたトラウマについて話しました。
先日、久しぶりに怒りの感情が沸いて来ました。
でも、それは、目の前に起こった出来事だけではなく、過去の感情も呼び起こしていることを感じました。

職場で、あまりにも見過ぎてしまった社会の裏側。
正しいことをすることが出来ない苛立ち。

私の中では、ある程度は気持ちのの整理がついている問題ではあったのですが、外では話しにくい内容だったので、話してみました。
話すことによって癒されるという経験を何度もしてきたので、少しでもトラウマは小さくしていきたいな、と思っています。

それと同時に、自分がその出来事を体験した理由、それを体験することによって、何を学べばよいのか、それをどう生かせばいいのか、気付きたいと思っています。

私は、女性が持ちうる多くの問題を、たくさん体験して来ました。
そして、自分がその時欲しかったものを与えられる人になればいいなと感じています。

人よりも多く見てしまった、社会の裏側の部分。
それは、どう受け止めればいいのか、まだ私の中では処理し切れていません。
物事が起こってしまった本当の意味を受け止めた時、本当の意味で、それを受け入れることが出来るのかなと思っています。

毎回、変わったねぇ~とカウンセラーが仰ってくださいます。
安心して話が聞いていられるよと・・・
ふつふつと湧き上がる、怒りや苦しみや痛みや叫びが少なくなりました。
あれは、なんだったんだろうかと、でも、あの状態は辛かったけれど、傷を癒すために必要なプロセスだったのだと思います。

かさぶたを作ることは出来ても、完治することはなく、ちょっとした衝撃で血を流し続けていた私の心。
そしてそのかさぶたは、小さくなるのではなく、だんだんと大きくなっていました。
本当は、その膿を出し切ってこそ、傷は治るのだと思います。
膿を出すのはつらい。
でも、何度も血を流し続けることよりも、楽になれるのだと感じています。
そして、血を流している時が、膿を出すチャンスでもあるのかなと思います。

フラッシュバックして、色んな思いが噴出す時、その傷を癒す、絶好のチャンスでもあるのかなと思います。
慌てて傷口をふさぎ、かさぶたを作ってしまうよりも、膿を出しきる。
今は、そのかさぶたがポロポロとはがれ落ち始めているのを感じています。

まだまだ、心の奥底には、かさぶたが潜んでいるかもしれません。
それを考えると怖いです。
また、あの苦しみを味わうのかと・・・
でも、もう一人じゃない。
それを見守ってくれる、仲間がいる。
たくさんの勇気をいただいています。


ブログを読んでくださる皆様。
いつもこんな私を見守ってくださってありがとうございます。
一緒に、傷を癒しながら、成長できるといいなと思っています。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。




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ゆるすということ

2007-03-09 23:57:47 | 本箱
今年の私のテーマは「赦し」です。
少しずつ色んなこと、そして自分の心を解放する事が出来たらいいなぁと思っています。
たくさんのこだわりをまだまだ持ち続けています。
時に、こだわりは大切な個性なのかもしれません。
でも、自分を苦しめるだけのものは、手放していけたらなと思っています。

クリスマスの教会でのキャンドルサービスで、牧師さんの
「私はあなたを赦します。」という力強い言葉に、私は神に赦された気持ちになり、本当の意味での神様の存在を感じることが出来るようになりました。
ただ、私は、神様を信じるということは、宗教にこだわる必要はないのだと思っています。
神様は、たぶん、どの宗教でも同じなのだと、ただ伝え方、それぞれの受け取り方が違うだけであって、同じ存在なのだと思っています。
そんな大きな意味での神様の存在を感じ、そして、今、自分の人生をゆだねられる気持ちになりました。

自分自身を霊的な存在と捉え、魂の成長の場として、色んな経験をすることを与えられているのだと、すべて身をゆだねて、漂っていればいいのだと、あたふたすることも苦しむことも悲しむことも、すべては自分の成長のために与えられているものなのだと、そう受け止めることが出来るようになりました。

とはいえ、まだまだ悲しみや怒りや苦しみに翻弄されます。
でも、ゆっくりと物事が起こった意味を、何を学ぶべきなのか、考えようと思えるようになりました。
人との出会い、本との出会い・・・・
それぞれが与えてくれるメッセージをしっかりと受け止めていけたらいいなと思っています。



「ゆるすということ」

ゆるすことは
幸せになるための処方箋
ゆるさないことは
苦しむための処方箋

苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて
「ゆるさない」
という種が
宿っていないだろうか?

復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し
免疫が低下することは
まちがいない

当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる

ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を
見逃すことではない

ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわりつづけるのをやめること

ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流しつづけるのをやめること

ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
いまこの瞬間に
百パーセント生き 
百パーセント愛すること

ゆるしとは
怒りからの解放であり
攻撃的な思いにさよならすること

ゆるしとは
誰に対しても
愛を拒まないこと

ゆるしとは
ゆるさないという思いから生じた
心の空洞を癒すこと

ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人のなかに
神の光を見ること

ゆるしとは、相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯したまちがいのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである

最も深い意味でのゆるしとは
愛で満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと

ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくはまちがっている考えを
ゆるすこと

いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに
ただゆるすこと

ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人と一体にし
すべての人を神と一体にする

ゆるすのに
早すぎることはない
遅すぎることもない

ゆるすにはどれだけの時間が
必要だろうか?

それはあなたの価値観しだい

絶対にムリだと信じるなら
絶対に起こらない

半年かかると信じるなら
半年かかる

一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ

私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを



「ゆるすということ」ジュラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版より




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繋がり

2007-03-05 12:21:08 | 日々つれづれ
日曜日、妹の友達からネットショップを開きたいという友達がいるんだけど相談にのってあげて欲しいとのことで、お話をしに、保育園のママ友が開いているお店に行った。
最初は、ネットショップの立ち上げ方などの話だったのだけど、何故か話は、違う方向へ。

妹の友達は、ダライラマ法王の話を聞いてから、とても心が楽になったと話していて・・・
私も、クリスマスに教会に行ってから気持ちが変わった話をした。
そんな話から、家族の話題になった。
異性の親との関係が、異性との付き合いに係わってくるんじゃないかと思うと私が話すとみんな興味津々。

話しているうちに、集まった4人は、それぞれ父親との問題、姉妹問題を抱えている共通点を持っていた。
今日、集まったのは、この話をするためだったんだねとみんなが口々に言った。

妹の友達とは、子どものときからの付き合いだったけど、歳も離れているし、話すようになったのは、ここ何年か・・・
それでも、一緒に旅行に行ったりするうちに、なんとなく彼女の抱えている問題に気が付いていた。

ママ友とは、保育園の役員を一緒にしていたけれど、彼女が同じような問題を抱えていることは、まったく知らず・・・
もう何年も前から、インナーチャイルドワークにも参加しているらしい。
彼女は、私の話の中で、一つ問題が解けたと話してくれた。

初対面の人もいるところで、こんな話をするとは夢にも思わなかった。
なんだか最後は、ミーティングみたいになっていた。
他にも色んな繋がりがあって、不思議な縁だなぁと思ってしまった。

みんな同じように自信がなくて、生き辛さを抱えていて、でも、だからこそ、今まで一生懸命にやってきたキラキラと光るものをいっぱい持っていて・・・
なんだか素敵だなと思った。
苦しかったけど、辛かったけれど、でも沢山のものを手にしている。
そんな風に感じた。

お互いが、成長し合える仲間になれればいいなと思った。
ママ友に、ヒーリングをしてもらった。
色んな問題を抱えている割には、身体に出ていないね。
上手く、浄化させる力を持ってるね。
すごいエネルギーを持っていて、手がビリビリすると言われた。

そして、妹の友達とママ友から、顔が変わったねと指摘された。
最近、何をしていても幸せを感じる。
まだまだ、身体が重くて動けないけれど、それでも、幸せだなぁと思う。
先日、鏡の中の自分の表情が違って見えて、携帯で写真を撮ってみた。
写真は、とても正直で、その時の状態をそのまま映す。
いくらきれいに化粧しても、いくら上手に笑っても、写真に撮ると良くわかる。
以前は、なかなかうまく笑顔の写真が撮れなかったのに、何枚写しても、同じような笑顔でいる私がいた。

自分の顔は嫌いだけど、最近、自分の心は好きになったと妹の友達。
「とっても美人で可愛いのに、贅沢だ。
 『鏡を見ながら、私は可愛い』って毎日唱えたら・・・」なんて私は言った。
みんな、そんな風に、自分と分かち合うことが出来ずに、この歳になってしまったんだなと思った。

型にはまったミーティングではなく、何かお互いが癒しあえるようなことが出来たらいいなぁなんて思った。
こうやって得た繋がりを、少しずつ紡いでいけたらいいなぁ・・・



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私の存在する理由

2007-02-27 23:51:09 | 日々つれづれ
こんなに長い間綴らなかったのは初めてです。
どうしてこんなになってしまったんだろうと思うくらいに、身体が動きませんでした。
少し何かをすると疲労感でいっぱいになる。
このままの状態だったらどうしようという気持ちもありながら、感情さえも鈍磨しているという感じでした。

その間、溜まっていたビデオを見たり、ネットでドラマを見たり、本を読んだりして過ごしました。
その中には、たくさんのメッセージが詰まっていました。
身体とは裏腹に、精神面ではスピリチュアルな方向に導かれているような気がしました。
動かない身体と、鈍磨した感情の中で、自分の存在について考えました。
私がこの世に生まれた意味を、20年前、高校時代に答えを出すことが出来なかった問いに対して、もう一度考えました。

「前世療法」ブライアン・L・ワイス 山川絋矢・亜矢子(訳)PHP文庫 に出てくる女性と自分の姿が重なりました。
この本の中で、その女性は、催眠療法によって、自分が今生に生まれてきた意味を知ることになります。
それは「信頼すること」でした。
人を信頼することを学ぶために生まれてきたのだと、催眠中の彼女は答えました。
今、信頼できるのは、カウンセリングを行っている精神科医であること。
そして、彼女の恋人に対しては、巻き込まれないようにすることは出来ますが、完全に傷付けられないようにすることが出来ないと答えました。

私にとっても同じでした。
女性として色んな体験をしたことは、もしかしたら私自身、それを生かして何かをする役割を持っているのではないかと考え始めてから、驚くほどに、周りの状況が変わっていきました。
先月、子宮頸がん検診の再々検査を受けました。
でも、わたしにとっては、もう迷いはありませんでした。
このことを体験することも、私にとっては大切な経験の一つになるはずだと思えたからです。
がんではない可能性が高かったこともあるのかもしれませんが、もしそうだとしても、私は受け止めることが出来るだろう。
そんな思いの元に検査を受けました。
ただ、そこで自分自身が、旦那のことを思い出し、怒りが沸きだすことは想定外でしたが・・・
ウィルス検査の結果は、陽性でした。
ハイリスク型のウィルスが検出され、3ヶ月に一度の検診を告げられました。
でも、揺れることはありませんでした。

旦那に対しても、彼女と同じように捉えています。
やり直せば、今までとは違う関係性を持つことは可能かもしれない。
だけど、傷付けられることには変わりないだろう。
同じように傷付くことはないとしても、この1年半の間、たくさんの温かい関係に気が付き、それを心地よいと感じているのに、自ら傷付くような関係性の中に身を投じたくない・・・そんな風に思っています。

今の私の状態は、「関係を再調整した方がいい」と斎藤先生に言われたりして、それを無意識の脅威として感じ、動けなくなってるのではないかとカウンセラーから指摘されました。
それよりも「今」を感じるために動けなくなっているのではないかと思いました。
今、どのような状態にあるのか、この動けない苦しみを感じるために、この状態をしっかり見つめるために、この時間を与えられているのかもしれないと思いました。
この状態から、私は何を学べばいいのだろう・・・考えていました。

この状態であっても、私は私を受け入れることが出来たら、何も出来なくなってしまった私を認めることが出来たら、どんなことがあっても私は私を愛することが出来るだろう。
そんな風に思いました。
そして、今まで私はどんな状況下においても、休むこともなく動き続けていた過去。
身体から出るメッセージにようやく素直に従うことが出来ているのかもしれないと思いました。
肺炎になろうと、翌日から動き回り、疲労感を感じながらも、自分自身でそれを受け止めることが出来ず、自分の意思の弱さを叱咤激励しながら、気のせいだとやり過ごしていたこと。
ぞうした自分に気づくことを与えられているのかもしれないと思いました。

仕事も思うように出来ない焦燥感の中で、私が出来るのは、自分の状況を見つめることでした。
こうやってパソコンに向かうこともままならない状況下で、ただぼんやりとした頭で、今の状況で得ることが出来るものを探していた気がします。
もう、仕事も手放す時なのかもしれない。
何もかも手放して、ゼロになる時なのかもしれない。
それでもいい・・・私は答えを出しました。

今まで充分に頑張ってきた。
辞めたければ、苦しければ、そこから離れてもいい。
それでも、私は私のことを非難せずに受け止めることが出来る。
そう思いました。

でも、昨日のカウンセリングが終わると、何かしら気持ちが上を向きました。
今日の仕事の準備も何一つ出来ていませんでした。
デザインを考えることも、そのデザインをパソコンで書き取ることも、材料の準備をすることも、それまでの私にとっては苦痛だったのです。
本当に何も出来ない状態でした。
けれど、ふと何かが沸いてきたのです。
ここ数週間の間、集中力さえもなかったのに、引き込まれていくようでした。
そして、仕事を心から楽しいと感じました。
何かが、ふっと楽になるのを感じました。
今まで、私に仕事が与えてくれていたものを、見ることが出来たのです。

私は、この仕事に支えられていたのだなと思いました。
デザインをするという仕事の中で私は、自分としっかりと会話をし、イメージを形にしていく作業の中で、私自身を表現することが出来ていたのだなと感じました。
それまでもデザインがふと沸いてくるとき、「天使が舞い降りてきた」と表現していました。
まさに、自分という身体を通して、何か表現している、そんな気持ちがはっきりと感じることが出来ました。
私の中の迷いが消えました。
焦りも消えました。
私が必要とする限り手放す必要もないのだとそう感じました。

今まで二日かかっていたはずの仕事が、一日で終わりました。
重かったはずの身体を感じることもありませんでした。
もし、この数週間が私に与えられなかったら、私は自分の身体をいつまでも過信し続けただろうし、焦りの中で仕事に追われる状況を続けていたのかもしれません。
手放すしか方法がない状況を作られたからこそ、自分が勝手に思い込んで抱え込んでいた荷物を手放すことが出来たのではないかと思います。

今、自分の中の感情があふれ出しています。
ようやく書きたいという気持ちが戻っていました。
また、少しずつ、この間にあった出来事を書き綴っていけたらいいなと思います。



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