岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏のロック論 46 スパークス キモノ・マイハウス 

2008-05-05 07:35:06 | 岩谷宏 ロック
スパークス「キモノ・マイハウス」


生きぬくための鋭い絶望
愛とゆう、底なしの絶望


音楽や歌などで表現される“やさしさ”とゆうものには、元来、欺瞞っぽいのが多い。昼間の国の、お砂糖やクリームやチョコレートやメレンゲなど少しずつはいった、そういう“やさしさ”は実は往々にして支配欲や自己主張の変形である。ロック・ファンがよく言う「きもちわりィ」やさしさだ。

だから、スパークスについて語るとき“やさしさ”という言葉を使うのにはためらいを感じるが、とりあえず、まず、“やさしさ”と言ってみたい。それは、ニガいやさしさ、キビシいよく脱力されたやさしさだ。ぼくらは、落ち込んでしまったし、しかし、この、落ち込んでしまってどうにもならない、このところで、ともに行き続けねばならないという、覚悟から来るようなやさしさである。

そこには、ひ弱さ、たよりなさ、こころ細さ、幸か不幸か私達が異質者になりおおせてしまったことの自覚、そして“きみもこっちへ入ってきて欲しい”という気持ち―すべてがある。

安定しなくて、たえず自分をつき抜けていくような動きがあり、したがって極度にセックシーであり、聞いていると不安でいたたまれなくなり、そわそわしてきて、しかもそれは極度にイイ感じで、これを聞いてから仕事で外になど出ると、現世のカサカサにひからびた光景が、もう、実に圧倒的につまらなくおおいかぶさってくる。甘い死。甘い死への願望。ロックは、死の恍惚の中に、ともに居つづけたいという願望。


夜中に、いろんな人のことをおもい出しながら、愛してる、愛してる!と言って泣いた。女達を、つぎからつぎへおもい出しながら、やりたい、寝たい、寝たい、寝たい、寝よう、寝ようよ! そういってもだいていた。

もう、極度に弱っていた。だから、こっちへ来てよ、ここへ来て、と言った。

どこへも行きはしない。ここは最後のところだ。もう、ズ―っとここにいるのだ。
みんな、ここに来て!

それぞれ元気な、楽しそうな人がいくらもいるかぎり、この世は、しょせんだめなのだ、と思った。この人達は、この人達によって構成されている今の社会とやらは、どうなるのだろう。失敗を失敗でとりくつろい失敗でとりくつろい、失敗でとりつくろって、ボロボロになって、しかも、カエルのツラに水をかけたようにケロッとした顔はかわらず………。

この時代で終りだろう。終りにしたい。

私は、地表にべったりはりついたアミーバのように、しぶとく生き残るだろう。

ラッセル・メールの声。その、よくやせたアミーバのような、なめくじのような、全身性感帯人間のような、声。

E・QU・A・TOR

方法
ぼくら全体を、ぼくときみとを、ひんやりと、やさしく、やわらかく、中和してくれる方法。すなわち「セクシーな方法」「恍惚の方法」

ハードロックで忙しい人は、B面ラストの「イクェイター」だけせめて聞いてほしい。それからAB両面、じっくり聞いてほしい。聞くたびに、かならず両サイドを、むさぼるように聞く、というレコードは、ざらにないのです。

キモノ・マイ・ハウス・モナムール。
キモノ=女のヨロイ。
キモノ=正式にはパンティをつけない。洋服と違って、前が、サッと割れ裂ける。きみの、あったかい、やわらかい濡れたところ、その気になればその気になれば世界を破壊し溶解する暴力ともなり得るところに入る入口も、最初から、生まれたときから、実に見事に割れさけているのだ。知らなかった?

男は、ミュシュラン・ガイドブックとともに一人とり残される。固着した世界にとり残される。ガイドブックによる旅とは、安全だけがとりえで、みじめな、つまらない、サクバクとした旅である。

いま、良心的な男は、自分が男であることに疲れ果てている。メール兄弟の目つきは、自分達の種族への、うらみの目、拒否と殺意の目だ。

世界を変えるのは女だ。これまでのように、男に、男の社会に、追従し、頼りきる女でなく、かといって、銃や言葉を持った女でなく、やさしい、やわらかいおまんこを、心身に自覚的に持った女達によって、おそらく世界は変わるのだ。それしかあり得ない。

「イクェイター」とは、そーゆーことなのだ。

キモノ・マイ・ハウス・モナムール。

ぼくは知っている
ここが天国だとゆうことを知っている
ここは天国だ
ここは天国でありうるのだ
きみがここに来てくれないのは
きみの健康さがジャマをしてるからだ
きみが来てくれさえすれば
ここは天国なのだ ああ
(HERE IN HEAVEN)

健康的な(現社会的に健康な)女が、キモノを、おのがヨロイとみなすのである。 オノ・ヨーコは、OPEN YOUR BOX!と言ったのである。だから、おめでたいハードロック・バカにとって、彼女は、自分のロックの、質的転回点にならねばならないのだ。RO13号の斉藤陽一(=ぼくの友人)の写真をけなしたやつら、百年後に後悔しろ!



RO14号(1975年1月号)
岩谷宏のロック論集175~180頁



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ミチ・ヒロタさん (高柳)
2008-05-05 21:36:50
YOSHIさん、けい子さん、ありがとうございます。

「キモノ・マイ・ハウス」のジャケットに写っている右側の女性は、ボウイの「イッツ・ノー・ゲーム(パート1)でナレーションを担当されたミチ・ヒロタ(廣田三知)さんで、シンコーミュージックのムック「アーカイヴ・シリーズVol.12 デヴィッド・ボウイ」の86・87ページにインタビューが掲載されています。

(ボウイは)「まじめな人でしてね」「どっちかというとおとなしい感じの、とっても好感度の高い方でしたね」(ミチ・ヒロタさん 同上、87ページ)
返信する