自己観念
19世紀の詩人A・ランボーは「自分とは一人の他人だ」と言ったし、
今世紀のロック・ミュージシャンD・ボウイーは「自分は一台の
コピー機械」と言った。
この、一見奇妙な言葉の、意味を考えてみる前に、二十世紀末の今日、
私達が置かれている一般的な思潮の質をチェックしてみよう。
-----一般的な思潮とは、私達が生まれ、育ち、学び、生活して
行くこの社会環境の中で、暗黙の前提になっているような、”ものの考え方”
のことである。
それは、ひとことで言うなら、平和が叫ばれるわりには平和が得られず、
自由と平等が願われてもそれが実現しない、どうも、最初っから、
そのように”想定”しているらしい思潮である。
どこが問題なのか。
社会の物質的(経済的)条件・構造を改変すればよい、という考えが、
一部の人には広く受け入れられている。
日本でも革新勢力と言えば、だいたい、この思想を基調にする人々である。
しかし一方では、社会主義国の現状への深い幻滅感も広まりつつある。
忘れられていたものはなにか。
これまでほとんど考えられたことなく、したがって、ほとんど
原始状態のままにほっておかれているものはなにか。
----私達がこれからの時代に向けて、本当に真剣に取り組むべき
課題はなにか。
それが、私の思うに、「自己観念」とその検証、変革である。
「自己観念」とは、自分とはなにか、について、
暗黙のうちに、自分で抱いている観念のこと。
これが、たとえば、通常の「物」に対する観念のように、唯一絶対、
万古不易で、変わりようのないものなのかどうか。
-----「物」に対する観念なら、たとえば「とうふ観念」なら
”大豆タンパクを凝固させた白くてフワフワの食品”で、
だいたい、変わりようがない。
「自己観念」は、通常、歴史的・社会的に条件づけられ、その人の
生き方を決定する。しかし、完全に絶対的に条件づけられたまま、
ということはなくて、その人の意識の力によって、相対化することも、
改変することもできる。
そして、自己観念の変革がなくて、ただ、物質的条件の改変が
行われても、それは、必然的に元のもくあみ的な社会にしかならない。
外側については、ついに、宇宙空間や原子にまで手をつけてしまったが、
内側については、ごくごく少数の芸術家たちが、(中には、
危険あ薬や、瞑想などの手段に頼りながら)、中途ハンパに
”いじくり”の試みをしてきたに過ぎない。
もって冷静に構えて、たとえば、「変容し得る自己観念をパラメーターと
して含んだ科学」とは、どんなものになるか。
19世紀の詩人A・ランボーは「自分とは一人の他人だ」と言ったし、
今世紀のロック・ミュージシャンD・ボウイーは「自分は一台の
コピー機械」と言った。
この、一見奇妙な言葉の、意味を考えてみる前に、二十世紀末の今日、
私達が置かれている一般的な思潮の質をチェックしてみよう。
-----一般的な思潮とは、私達が生まれ、育ち、学び、生活して
行くこの社会環境の中で、暗黙の前提になっているような、”ものの考え方”
のことである。
それは、ひとことで言うなら、平和が叫ばれるわりには平和が得られず、
自由と平等が願われてもそれが実現しない、どうも、最初っから、
そのように”想定”しているらしい思潮である。
どこが問題なのか。
社会の物質的(経済的)条件・構造を改変すればよい、という考えが、
一部の人には広く受け入れられている。
日本でも革新勢力と言えば、だいたい、この思想を基調にする人々である。
しかし一方では、社会主義国の現状への深い幻滅感も広まりつつある。
忘れられていたものはなにか。
これまでほとんど考えられたことなく、したがって、ほとんど
原始状態のままにほっておかれているものはなにか。
----私達がこれからの時代に向けて、本当に真剣に取り組むべき
課題はなにか。
それが、私の思うに、「自己観念」とその検証、変革である。
「自己観念」とは、自分とはなにか、について、
暗黙のうちに、自分で抱いている観念のこと。
これが、たとえば、通常の「物」に対する観念のように、唯一絶対、
万古不易で、変わりようのないものなのかどうか。
-----「物」に対する観念なら、たとえば「とうふ観念」なら
”大豆タンパクを凝固させた白くてフワフワの食品”で、
だいたい、変わりようがない。
「自己観念」は、通常、歴史的・社会的に条件づけられ、その人の
生き方を決定する。しかし、完全に絶対的に条件づけられたまま、
ということはなくて、その人の意識の力によって、相対化することも、
改変することもできる。
そして、自己観念の変革がなくて、ただ、物質的条件の改変が
行われても、それは、必然的に元のもくあみ的な社会にしかならない。
外側については、ついに、宇宙空間や原子にまで手をつけてしまったが、
内側については、ごくごく少数の芸術家たちが、(中には、
危険あ薬や、瞑想などの手段に頼りながら)、中途ハンパに
”いじくり”の試みをしてきたに過ぎない。
もって冷静に構えて、たとえば、「変容し得る自己観念をパラメーターと
して含んだ科学」とは、どんなものになるか。