とりあえず80歳へ  『古希からの田舎暮らし』も10年目になろうとし、喜寿も過ぎてゆき、さて……。

定年後は田舎志向。69歳のとき三木市で「田舎暮らし」をはじめました。田舎にとけ込もうと心掛け、菜園をたのしむ日記です。

映画『この世界の片隅に』を観ました。

2017-01-11 03:28:44 | 日記
 きのうは、評判になっている映画『この世界の片隅に』を観ました。人間の〈たしかなぬくもり〉をずっしり感じる映画でした。この映画を観て「ことばをうしなった」という評論もありますが、おそらくあちらこちらで上映の催しがづつき、長く〈こころ〉に残る映画になるでしょう。
『火垂るの墓』を書いた野坂昭如が2015年に亡くなったように、「あの」戦争を生き抜いた〈子どもたち〉も消えてゆく時代です。「戦争の惨禍を風化させてはならない」という声も消えていきます。しかし若い世代がきっちりバトンを受け継いでいます。若い人たちの才能と努力に感動しました。
 ぼくの、以前アップしたブログの文を再掲します。『古希からの田舎暮らし』ブログの2011年9月22日の文です。


 日本が戦争に負けた8月15日前後には敗戦にまつわる昔の映画がテレビ放映され、人びとは空襲の被害を受けた可哀想な子どもたちを見せつけられることになる。識者と称する人たちは「戦争体験を風化させてはならない」といい、〈語り部〉たちは「悲惨な戦争から目をそらさないで!」という。
 そのときよく取り上げられる映画に『火垂るの墓』がある。子どもが空襲で親を失い、逃げまどい、栄養失調で死ぬ悲惨なストーリーが、アニメで映画化され、上映され、何度もテレビ放映された。アニメ版ではもの足りなかったのか、実写版の『火垂るの墓』も西脇あたりの田舎でロケしてつくられたそうだ。この実写版は「見たくない」と思って見てないけれど。
 ぼくは戦争には反対だし、満蒙開拓青少年義勇軍として旧「満州」に渡った少年たちの体験を「聞き取り」したこともある。昭和10年代には85000人の少年たちが「志願」によって集められ、旧「満州」に渡り、25000人の少年は日本に生還できなかった。しかしいま日本で暮らす人々に、その悲惨な地獄絵を「目をそらさないでください」と押し付けるにはためらいがある。
 ある若い知人は『火垂るの墓』(アニメ)を「きらいや!」という。悲しいから見たくない。そんなやさしいこころ根に土足で踏み込んで「戦争を風化させるな! 目をそむけるな!」というのはどうか。深夜の電話のような荒っぽさはいまの時代にはもう合わない。
 原作『火垂るの墓』の野坂昭如の文はすごい。ふつうの文章をごてごて連ねたのではとても書けない場面を、一つの文でこう書いた。小説のはじめのほう、神戸・三宮の駅で、柱にもたれて、清太の死ぬ場面である。


 もはや飢えはなく、渇きもない、重たげに首を胸におとしこみ、「わあ、きたない」「死のどんのやろか」「アメリカ軍がもうじき来るいうのに恥じやで、駅にこんなんおったら」耳だけが生きていて、さまざまな物音を聞き分け、そのふいに静まる夜、構内を歩く下駄のひびきと、頭上を過ぎる列車の騒音、急に駆け出す靴音、「お母ちゃーん」幼児の声、すぐ近くでぼそぼそしゃべる男の声、駅員の乱暴にバケツをほうり出した音、「今、何日なんやろ」何日なんや、どれくらいたってんやろ、気づくと目の前にコンクリートの床があって、だが自分がすわっている時のままの姿でくの字なりによこ倒しになったと気づかず、床のかすかなほこりの、清太の弱い呼吸につれてふるえるのをひたとみつめつつ、何日なんやろな、何日やろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ。


 ぼくは神戸に住んでいたときは大倉山の中央図書館で本を借りた。ある日、一冊の本を見つけた。野坂昭如の小説『火垂るの墓』『アメリカヒジキ』の二編が本になっている。借りて帰った。表紙は皮装で天は金、手ざわりのいい、張りのある紙で、印字はくっきりしている。本の風格というか品(ヒン)というか、凛とした存在感をもつ本だ。定価を見ると、文庫本なら数百円で買える本が弐萬五千圓となっている。それだけお金をかけた本かどうかぼくにはわからない。しかし金儲けのためにこの作品を本にしたのでないことはわかる。
 何歳まで生き、どんなしあわせな人生をおくることになろうと、生涯大事にしたい思いを、野坂は書いてくれた。そのことへの感謝が伝わってくる。「これでもか。これでもか」と悲惨さを押しつける映像はすたれて、この小説は未来に伝えられていく。