![]() | 世界一やさしい精神科の本 (14歳の世渡り術) |
| 斎藤 環,山登 敬之 | |
| 河出書房新社 |
僕が育ったまちは、世界一精神病院が多い所といわれていた。しかし、少年時代は、精神疾患に関する治療法も薬も、今ほどは開発されておらず、社会的入院ということもごく普通だったようだ。だから、そんなまちでも、自分の生活圏に患者の存在を感じることもなかった。小学校では、鼓笛隊に入っていたが、ある年、学校の裏山にある精神病院の運動会に演奏することになった。子供なりに、病院の門を入って会場に行くときは、いささか緊張したものであった。しかし、実際に見た運動会では、どの選手や参加者が患者なのかはわからなかった。
現在は、うつ病に関する社会的認知も深まり、新薬の登場もあり、街の中に精神科、心療内科の外来を見かけるのも珍しいことではない。職場での理解も進んでいるようだ。しかし、すべての精神疾患が社会の理解を受けているわけではない。当事者の声も、なかなか社会には伝わっていかない。ハーモニーの『妄想かるた』のような存在もまだまだ十分には知られていない。
精神疾患について気になることはたくさんある。医師やスタッフによる治療が、病院の診察室だけのことになっていないか。検査室での研究は、実際に人間が生きていく社会と接点を持っているのか等。
「14歳の世渡り術」の中の1冊として登場した『世界一やさしい精神科』には、若者を取り巻く現在の行きづらい社会にも目を向けている。本書の前書きで述べられているように、ヒトの「多様性」を認め難い若者社会にも懸念をもっている。個性があるようで、実際は、ある限られた範囲の中での模倣に近い自己主張。その仲間内からはみ出した者に対するマイナスの感情。
「発達障害」「摂食障害」「ひきこもり」「社会不安障害」「統合失調症」などのついて、やさしく解説した本書は、国民性や文化との関係にも触れるなど、人間の「多様性」を描き出していく。思春期に、この本を読んでみて、精神疾患を通して、人間に対する思いやりの気持ちを育ててほしいものだ。
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![]() | ちいさな死神くん (講談社の翻訳絵本) |
| キティ・クローザー | |
| 講談社 |
普通に生活していると、『死』のついて考えることは少ない。テレビからは、相変わらず時間をもてあそぶだけの放送が垂れ流されている。テレビ関係者が、夜7時台の番組の視聴率が、すべての曲で1ケタになった日にそれを嘆いていたのは、当然の事なのもわかっていないようだ。テレビからは、盛んに節電を視聴者に呼び掛けるが、なんと矛盾したことか。夕方のニュースも、いつからか、デパ地下や格安旅行などをメインに紹介するバラエティ番組化していった。ニュースがそうなのだから、他の番組がどんなものかは言うまでもないことだろう。今や、まじめに考えたり行動することが、馬鹿にされる。節電をまじめにしたいなら、まず、テレビの放送時間を短くすること。隗より始めよ。いつか、教育テレビ(今はEテレ)が放送停止の実験を行った。今度は、すべての局で実行すればよい。
話が大幅に横道にそれてしまった。子供たちを中心に、テレビの代わりに読書をする絶好の機会が今で、節電にも有効である。心も豊かになれるかもしれない。
そこで、紹介したいのが、読者に『死』を少しでも考えてほしい本書である。
西洋では、絵画によく死神が描かれてている。鎌をもった恐ろしい姿をしている。円朝の落語「死神」もそうしたイメージが影響しているのだろうか。
この絵本に登場する死神は、なんと子供という設定である。彼が人間を死の王国へ導いていくのは、神の決めたことなのだろう。
どんな人間も、死からは逃れられない。しかし、この死神くんがベッドまで死にゆく人間を迎えに行くときは、その人間はいつも悲しみと死への恐怖などの気持ちに強く支配され、死神くんの思いやりのある行動も目に入らなかった。したがって死神くんは、いつだって、自分の任務に忠実で人間に親切であっても、充足感が得られなかった。
一人の少女に会うまでは。彼女の死の床に行った時、彼女は悲しむことなく、ひどくうれしそうだった。彼女は、重い病気で、生きている間はずっと苦しみの中にいたのだ。死は、彼女から痛みも悲しみも取り除いていたのだ。死神くんと死の王国へ同行する時も、楽しんでいた。死の王国では、少女は死神くんに遊びを教えてくれた。死神くんにとっては、初めて感じる喜びの感覚であった。しかし、少女はいつまでも死の王国にいることはできなかった。次の世界に行かなくてはならなかったのだ。彼女の去った王国のなんとさびしかったことか。
でも、この絵本には救いがあった。少女は、天使となって帰ってきたのだ。天国に行ってからのお願いがかなったということ。いつも、死神くんと一緒にいたいという望み。
死神くんが、死者のもとに行くときは、もう、その人間は嘆くこともなかった。お迎えには、死神くんの隣にいつも少女の天使がいたから、死にゆく人も、天使の笑顔を見ることができたから。
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計画的でない「計画停電」の影響が、まともに日々の透析生活に影響を与えている。透析クリニックの予定はすっかり狂って、日日の変更だけではなく、4時間透析が既に3時間の短時間透析に変更された回数も3回にのぼった。今後、夏の計画停電、冬の計画停電、そして来年の夏の計画停電のことを考えると、大きな不安に襲われる。短時間透析は、余命時間を短縮することは明白だから、僕たちは、今後命を削ることになる可能性が高くなっているようだ。社会の寄っていかされている僕たちは、少しずつ命を削って、社会に恩を返すことになるのであろうか。仕方ないことなのだろうか。銀河鉄道の夜の蠍の火から石炭袋への過程の中での、ジョバンニのような気持ちにはなかなかなれないよ、賢治さん。
3月31日の透析は、計画停電の中止で、4度目の短時間透析は免れた。中2日だったので、本当に安堵した。でも、先の事は不透明である。
帰りは、いつものように徒歩で帰った。駅前の枝垂れ桜のうちの日当たりの良い場所の1本が、他の3本に先駆けて、蕾がふくらんでいた。植物たちは、何事もなかったかのように成長を続けている。春を生きている。

帰り道、毎年、ブログに紹介している早咲きの小さな桜の写メールをとる。ソメイヨシノではない、この品種名のわからない桜の木は、毎年、早々と春の到来を告げている。今年もまた。この木の成長に比べれば、僕のほうがはるかに年を取るのが早いのである。花の散る時間は短くても、木自体は、僕がこの世を去っても、成長を続けるであろう。国道沿いの、クルマの往来が激しい空気の悪い小さな一角でも、その生を続けていく。今年も、ブログに写真を載せることができた。


漠然たる不安の中で、胃の調子がすこぶる悪い。朝方はなんともないのであるが、夕飯の前は、胃のむかつきが激しくなり、食欲が無くなる。胃カメラの予約も、計画停電の影響で先延ばしになっていて、何時になるかわからない。胃薬も増やしてもらったが、一向によくならない。精神的なものか。果物ならいくらでも食べられそうであるが、果物を健康な人並みに食べることはできない。透析患者が、果物や生野菜を食べすぎると、血中のカリウム値が急激に上がり、心停止してしまうからだ。食欲不振のときにも、食べやすいものは、水分過剰になるものが多いので、それもアウトである。なんとか、無理をしても、食事を取らねばならない。ここで、倒れるわけにはいかないのである。まだ、生きてやりたいことがたくさんあるのだから。
このシーズン最後のみかんの中に、ハートの形をしているものを見つけた。ささやかな慰めか。しばらくは、ウンシュウミカンは食べられない。そう、本当は、みかんだったら、小さいのが1個が限度なのだろうが、今回は、このハートを1個食べてしまった。甘かった。


3月31日の透析は、計画停電の中止で、4度目の短時間透析は免れた。中2日だったので、本当に安堵した。でも、先の事は不透明である。
帰りは、いつものように徒歩で帰った。駅前の枝垂れ桜のうちの日当たりの良い場所の1本が、他の3本に先駆けて、蕾がふくらんでいた。植物たちは、何事もなかったかのように成長を続けている。春を生きている。

帰り道、毎年、ブログに紹介している早咲きの小さな桜の写メールをとる。ソメイヨシノではない、この品種名のわからない桜の木は、毎年、早々と春の到来を告げている。今年もまた。この木の成長に比べれば、僕のほうがはるかに年を取るのが早いのである。花の散る時間は短くても、木自体は、僕がこの世を去っても、成長を続けるであろう。国道沿いの、クルマの往来が激しい空気の悪い小さな一角でも、その生を続けていく。今年も、ブログに写真を載せることができた。


漠然たる不安の中で、胃の調子がすこぶる悪い。朝方はなんともないのであるが、夕飯の前は、胃のむかつきが激しくなり、食欲が無くなる。胃カメラの予約も、計画停電の影響で先延ばしになっていて、何時になるかわからない。胃薬も増やしてもらったが、一向によくならない。精神的なものか。果物ならいくらでも食べられそうであるが、果物を健康な人並みに食べることはできない。透析患者が、果物や生野菜を食べすぎると、血中のカリウム値が急激に上がり、心停止してしまうからだ。食欲不振のときにも、食べやすいものは、水分過剰になるものが多いので、それもアウトである。なんとか、無理をしても、食事を取らねばならない。ここで、倒れるわけにはいかないのである。まだ、生きてやりたいことがたくさんあるのだから。
このシーズン最後のみかんの中に、ハートの形をしているものを見つけた。ささやかな慰めか。しばらくは、ウンシュウミカンは食べられない。そう、本当は、みかんだったら、小さいのが1個が限度なのだろうが、今回は、このハートを1個食べてしまった。甘かった。


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How to make a lamp 2 (BIG) For deaf people.
投稿者から「もし、地震が起きた時、停電やろうそくが無かった場合の簡単なランプの作り方です。油がこぼれやすいので気をつけて使ってください。
(追加)
1、ガソリンや他の油は使わないでください。
2、紹介した簡単なランプを工夫してみてください。」
投稿者から「もし、地震が起きた時、停電やろうそくが無かった場合の簡単なランプの作り方です。油がこぼれやすいので気をつけて使ってください。
(追加)
1、ガソリンや他の油は使わないでください。
2、紹介した簡単なランプを工夫してみてください。」
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How to make a lamp. (For deaf people)
投稿者は、現在、オーストラリアに勉強中です。
「もし、地震が起きた時、停電やろうそくが無かった場合の簡単なランプの作り方です。油がこぼれやすいので気をつけて使ってください。
(追加)
1、ガソリンや他の油は使わないでください。
2、紹介した簡単なランプを工夫してみてください。」ということで、動画を投稿しました。参考になりました。
投稿者は、現在、オーストラリアに勉強中です。
「もし、地震が起きた時、停電やろうそくが無かった場合の簡単なランプの作り方です。油がこぼれやすいので気をつけて使ってください。
(追加)
1、ガソリンや他の油は使わないでください。
2、紹介した簡単なランプを工夫してみてください。」ということで、動画を投稿しました。参考になりました。
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犬は、太古から人間の良きパートナーでした。しかし、この命ある存在は、時として人間によりいともたやすく命を弄ばれる存在でもありました。
犬の十戒は、犬を飼う人間が守らなければならない犬との約束をまとめたものです。子供向けのえほん『いぬとわたしの10のやくそく』は、やさしい絵と一緒にその文章が紹介されています。また、死んだペットが旅立つという「にじのはし」も同じ本の中に載っています。3番目に載っている「にじのはしのたもと」は、今まで知ることがありませんでした。虹の橋では、年をとった犬も、病気だった犬も、元気な時の姿で、いずれやってくる飼い主を待っています。
では、命を落とすまで人間の愛情を一度も受けたことのない犬は、どうしているのでしょうか。他の犬たちが次々と飼い主と出会い、一緒に虹の橋を渡るのを何時までも眺めていなくてはいけないのでしょうか。そんな疑問に答えた詩が虹のたもとにてなんだったのですね。人間にも、誰からも愛されずに死んでいった人が少なくないのでしょう。最近になってよく聞かれる「無縁社会」という言葉も、また、地域や社会から、そして人間関係から疎外された人々の存在に深く関係するものでした。
「にじのはしのたもと」では、愛に縁のなかった犬と人間が出会い、共に虹の橋を渡る情景が描かれています。
さて、絵本「ゆきのしたのなまえ」は、虹の橋のたもとのことを思い起こさせる作品でした。
お話は、孫からせがまれておじいさんが話す内容になっています。普通は、老人になると、近くの記憶よりも、遠い昔の記憶のほうが脳裏に印象深くのこされていて、同じことを何度も語る事が少なくありません。何度も語るうちに、その記憶は、実際に起こったものとは大分変ったものになっているかもしれませんね。何度もそうした話を聞かされる若者は、うんざりしているのが現実かもしれません。(そんなわけで、最近は「傾聴ボランティア」が登場していますね。お年寄りにとっては、かつての思い出が大切な財産なのですが、そうした話をゆっくりと聞く余裕のない人が周りにいるのが実際なんですね)。
この絵本では、孫が聴くお話は、何度も繰り返されているものでした。孫にとっても、お気に入りのお話なんですね。
おじいさんが、かつておばあさんとドイツに旅をした時に、教会の前で物乞いをする若者を見かけます。彼一人だけだったら、通り過ぎていたでしょう。でも、彼のそばには、老犬がおり、その訴えるような眼からおじいさんは、物乞いの青年とお金をめぐむことになります。老犬もまた、人間から虐待を受けて捨てられた犬だったのです。青年と出会ったときは、とても痩せ衰えていたのでしょう。(彼らは、虹のたもとではなく、現実の世界で出会うことができたのです)。
おじいさんは、家に帰ってからも、彼らのことが忘れられませんでした。そこで手紙を書くことにしました。もちろん、住所なんてわかりません。訪問した教会のそばで、犬と一緒にいる青年という宛名で手紙を出しました。さて、手紙は届いたのでしょうか。
孫は、おじいさんに、犬の名前は知っているか尋ねます。知っていました。では、青年の名前は?もちろん、おじいさんは知っていると答えます。でも、自分にとって大事な思い出の中の名前です。そう、大切なものは、雪の下に埋めるようなものだと答えたのです。彼の名前は、おじいさんがゆきのしたにうずめたままで、この先、孫にも話すことがないでしょう。誰だって、人には言えない大切なものがあるのですから。
あたり一面銀世界に変える雪の下には、どんなにたくさんの人々の思いが埋もれていることでしょう。
付記:この素敵な絵本『ゆきのしたのなまえ』は、残念ながら絶版となっています。初版が発行されたのは、そんなに古くはないのに、最近の子供を含めた読書離れのせいなのでしょうか。もし、図書館で目にされたら、ぜひ、お読み下さい。
そう、犬と人間の間の関係を描いたアメリカ映画で大好きなのが『マイ・ドッグ・スキップ』です。ラストシーンは、いつ観ても泣かされます。死んだ後、飼い主の心のなかに眠っているというセリフがいいですね。
He LAID BURIED IN MY HEART
次の歌も、犬との別れと感謝を歌ったものですね。
エイジア エンジニア/『犬のうた 〜ありがとう〜』フォトトレイラー
犬の十戒は、犬を飼う人間が守らなければならない犬との約束をまとめたものです。子供向けのえほん『いぬとわたしの10のやくそく』は、やさしい絵と一緒にその文章が紹介されています。また、死んだペットが旅立つという「にじのはし」も同じ本の中に載っています。3番目に載っている「にじのはしのたもと」は、今まで知ることがありませんでした。虹の橋では、年をとった犬も、病気だった犬も、元気な時の姿で、いずれやってくる飼い主を待っています。
では、命を落とすまで人間の愛情を一度も受けたことのない犬は、どうしているのでしょうか。他の犬たちが次々と飼い主と出会い、一緒に虹の橋を渡るのを何時までも眺めていなくてはいけないのでしょうか。そんな疑問に答えた詩が虹のたもとにてなんだったのですね。人間にも、誰からも愛されずに死んでいった人が少なくないのでしょう。最近になってよく聞かれる「無縁社会」という言葉も、また、地域や社会から、そして人間関係から疎外された人々の存在に深く関係するものでした。
「にじのはしのたもと」では、愛に縁のなかった犬と人間が出会い、共に虹の橋を渡る情景が描かれています。
さて、絵本「ゆきのしたのなまえ」は、虹の橋のたもとのことを思い起こさせる作品でした。
お話は、孫からせがまれておじいさんが話す内容になっています。普通は、老人になると、近くの記憶よりも、遠い昔の記憶のほうが脳裏に印象深くのこされていて、同じことを何度も語る事が少なくありません。何度も語るうちに、その記憶は、実際に起こったものとは大分変ったものになっているかもしれませんね。何度もそうした話を聞かされる若者は、うんざりしているのが現実かもしれません。(そんなわけで、最近は「傾聴ボランティア」が登場していますね。お年寄りにとっては、かつての思い出が大切な財産なのですが、そうした話をゆっくりと聞く余裕のない人が周りにいるのが実際なんですね)。
この絵本では、孫が聴くお話は、何度も繰り返されているものでした。孫にとっても、お気に入りのお話なんですね。
おじいさんが、かつておばあさんとドイツに旅をした時に、教会の前で物乞いをする若者を見かけます。彼一人だけだったら、通り過ぎていたでしょう。でも、彼のそばには、老犬がおり、その訴えるような眼からおじいさんは、物乞いの青年とお金をめぐむことになります。老犬もまた、人間から虐待を受けて捨てられた犬だったのです。青年と出会ったときは、とても痩せ衰えていたのでしょう。(彼らは、虹のたもとではなく、現実の世界で出会うことができたのです)。
おじいさんは、家に帰ってからも、彼らのことが忘れられませんでした。そこで手紙を書くことにしました。もちろん、住所なんてわかりません。訪問した教会のそばで、犬と一緒にいる青年という宛名で手紙を出しました。さて、手紙は届いたのでしょうか。
孫は、おじいさんに、犬の名前は知っているか尋ねます。知っていました。では、青年の名前は?もちろん、おじいさんは知っていると答えます。でも、自分にとって大事な思い出の中の名前です。そう、大切なものは、雪の下に埋めるようなものだと答えたのです。彼の名前は、おじいさんがゆきのしたにうずめたままで、この先、孫にも話すことがないでしょう。誰だって、人には言えない大切なものがあるのですから。
あたり一面銀世界に変える雪の下には、どんなにたくさんの人々の思いが埋もれていることでしょう。
付記:この素敵な絵本『ゆきのしたのなまえ』は、残念ながら絶版となっています。初版が発行されたのは、そんなに古くはないのに、最近の子供を含めた読書離れのせいなのでしょうか。もし、図書館で目にされたら、ぜひ、お読み下さい。
![]() | いぬとわたしの10のやくそく |
| クリエーター情報なし | |
| リヨン社 |
![]() | ゆきのしたのなまえ (講談社の翻訳絵本) |
| クロード・マルタンゲ | |
| 講談社 |
そう、犬と人間の間の関係を描いたアメリカ映画で大好きなのが『マイ・ドッグ・スキップ』です。ラストシーンは、いつ観ても泣かされます。死んだ後、飼い主の心のなかに眠っているというセリフがいいですね。
He LAID BURIED IN MY HEART
次の歌も、犬との別れと感謝を歌ったものですね。
エイジア エンジニア/『犬のうた 〜ありがとう〜』フォトトレイラー
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