デザイン界の大御所に、森正洋さんという方がおられます。
有田焼でモダンなデザインを突き詰めた方でした。
僕の先生である柳宗理先生は、日本で初めて真っ白いコーヒーカップを作った方なんですが、
当時、その白いカップをデパートに持っていったら、
「絵が入ってない。こんなもの売れるか」とボロクソに言われたそうなんです。
宗理先生のものは、磁器の作品は真っ白のものが多いし、絵柄が入ってません。
絵柄を入れるか入れないかというのは、デザインにとってはスゴく大きな問題で、
絵柄の入れ方次第では、意図していたモノとはまったく別モノが完成することもありますからね。
僕がこのブログとは別に書いている「資本主義から逃走」というブログで、
「ロシア・アバンギャルド」という、ロシアの芸術革命について少し述べています。
その「ロシア・アバァンギャルド」がスタートした1905年頃に、
一般の人が使えるような絵柄の入ったコーヒーカップも登場しているんです。
その絵柄は、正方形や三角形などといった実に抽象的絵柄ばかり。
それはなぜかと言うと、
昔は貴族社会で、自分だけの個性的な絵柄などを入れたりしていたんですが、
「ロシア・アバァンギャルド」がスタートした初期の頃は、
本当にモダンなデザインで、
それこそ21世紀となった今でも使えるようなものが多く発表されてました。
正方形や四角形、1本の直線といった絵柄が主流。
後にその革命が成功すればするほど、
今度はイヤらしく、「教育を受けよ」とか、妙なスローガンが描かれるんですよ。
だから、陶芸でどんな絵柄を入れるかというのは、非常に大きな問題ですね。
「教育を受けよ」なんて言葉が入った器を今使うのは、どうなんでしょう。
陶芸作家で人間国宝と呼ばれる方の作品には、絵柄が入りません。
釉薬(上薬)で、特に自然油という薬をかけて、焼き温度を利用し、
窯変というある種の自然現象的な工程を経て仕上がった器が美しいとされているのです。
千利休がそういうことを言い出したんですけどね。
美濃焼きなんかは、窯変で「美濃鼠」というねずみ色がどんな風合いに出るかが、
いい作品の基準として判断されるんです。
これだけ陶芸について話してきて言うのもなんですが、
僕は、以前まで陶芸作家の方々があまり好きではなかったんです。
けれど、NHKの番組で僕がインタビュアーとしてある陶芸作家さんと
対談をしたことがありまして、その対談をきっかけに好きになりました。
その先生は、もともとは普通の窯屋さんの丁稚奉公から入って、作家になった方。
古い美濃焼を見事に再現された方なんです。
「こんな焼き物はどうやったって焼けないよね」という声が上がる中で、
それをものともせずに成し得てしまった。
瀬戸焼だと、加藤唐九郎さんも偉大な方。
30代で日本の陶磁器辞典を10何巻も書いてしまうんです。
そこで「日本の陶磁器文化が狂っている」と書いて、
日本の陶芸界からしばらく放り出されることになってしまって。とにかく過激な人でした。
僕はその方の生き方か思想に憧れを持っていて、どうもケンカっ早い性格なのは、
もしかしたら、唐九郎さんのマネなのかもしれない(笑)。
唐九郎さんは国内で有名になり、その後海外にも進出されます。
海外に出る時は、いつでも鍬を持って行ったそうですよ。
なぜかと言うと、どこの国のどの場所の土が一番いいかって掘り出すんです。
地球上で一番いい土が欲しくて欲しくて仕方がないっていう人だったんですね。
日本の陶磁器文化を大いに盛り上げた偉人です。
日本では陶磁器を瀬戸物って言いますね。これはやはり彼の存在と功績によるところが大きい。
こういった文化の背景について、みんな知らないんですよね。
非常にもったいないことだと思います。
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