■ 一人綴り

イロイロやってますが、停滞中。(モノが出来たらアップする感じですから...。)更新はしますが数が減るかも。

■ つぶやき

2016年11月05日 | ■ ゲーム制作

 

 ゲームの場合、結果的にそのシステムに対して攻

略するが遊びの部分なんだが、この部分が崩壊して

いる無能がいるチーとコードを使わなければ物のクリ

アに至らない輩がそれである。

 

 ゲームというのは正直なもので勝ち負けをちゃんと

受け一れるか否かでその人間の強さや成長する可能

性が見えるのだが、チートコードというのは、結果的に

自分の課題点や欠点が見えない状態でそれを行う事

でしかない、。つまり、プレイヤーから言わせれば、

 

【 負けるのがそんなに負い目になるのかねぇ? 】

【 どんな負い目があるのやら? 】

 

という話になるのだが、一度でもゲームを作ったことの

ある人間からするとそれがクソゲーであっても

 

【 プレイヤー以前にデバガーすらできないだろそれ? 】

 

【 自前でもの作った場合バグまみれになるんじゃな

  いのか? 】

 

【 他社の製品の販売をする自動販売機でメーカー名

  がついただけになりそうな状態だな。 】

 

という話になる。まぁ、自社開発にはいろいろあり、その

中にはNikeみたいなファブレスもある。

 

 つまり、生産するデザインや使用はすべて自社で行い、

製造が異なるというラインが個別のスタイルである。

 

 こういうのは他社製品がそのまま販売されている場合

と販売元と開発元が違う内容があるが、結果的にメー

カーである場合、自社製品は自社のエンジンで行うにし

ても汎用エンジンでこなうにしても開発スタッフは自社に

いるものであり、クリエイターも自社の職員のはずである。

 

 つまり、害虫を完全にした場合、販売元という形式にな

るので、自社会はっつではないのだが、チートコードで遊ぶ

しか能がない人間というのは基本的ンゲーム制作に向い

ておらず、もっと言うとプログラミングも向いていないともい

える。

 

 その理由は単純明快である。こうした人種は

 

【 構造物の組み立てができない頭である 】

 

からである。例えば、アイテム数の多いゲームを遊ぶとす

る。この時に記憶やでそれを記憶するが、ゲームというの

は記憶を駆使するものである。

 

 この典型例がレースおよびシューティングゲームである。

過去のゲームだとそうでもないのだが、現在のレースゲー

ムはドライビングシミュレーターである。つまり、走る上での

サーキットの記憶とブレーキングポイントやラインは覚えて

おく必要がある。

 

 そして、似たようなものがシューティングゲーム。これは、

配置が決まっている(決めておくのが現在の作法)のと、パ

ターンを最初に指定してゲームのバランスをとってあるので

こうしたゲームにはラインがある。これがスターフォース以前

のものになると怪しくなるのだが、結果的に、ライントレース

と特定パターンに対するよけ方などを覚えそれを使ってクリ

アしていくことになる。

 

 となると、ステージ数分の配置と動きを覚えて処理するの

とラインの話になるのだが、結果的に、その方法を覚えると

クリアに近づくことができてしまう代物である。

 

 ある種、レガシーなゲームはパターンゲームなのでそれは

ある程度のライントレースゲームになる(パックマンはその典

型例。なのであれはラインを知ってしまうと作業になるので

変化のあるゲームと比較するとレガシーな感じがしてしまう。)

のだが、結果的にこれもゲームウィsテイルと最良のラインが

わかってくるのdが、ちーとこーどというのはキャラクターのコリ

ジョン属性を外してパックマンを遊ぶようなものである。

 

 つまり、単なる作業。果たしてどこに面白さがあるのだろう

か?という話になる。つまり、やってる内容が工場の作業員で

あり単純労働でしかないのである。

 

 つまり、短銃ン労働を強いられる何か的な内容を行ってそれ

が面白いのだろうか?という話であるため、すでにその選択を

している段階で、コンテンツにおける重要な部分はすべて見落

としていることになる。

 

 実際の話、RPGで遊ぶ時にレベルを振り切らせて(というよ

りも、開発段階だとマップテストでHPにでたらめな数値を入れて

凶悪な呼び出して花rなかった近畿の所業によって召喚した何

かレベルでプレイヤーを強くして動かすこともできるのだが...。)

遊んだとして、果たして面白いだろうか?ということになる。

 

 多分、こうした手法に行きつく人間というのは物凄く下手であ

る可能性が高いのと、情報はほとんど頭に入っておらず、内容

で言うと開発段階でのオブジェクトのの座標程度しか入ってな

いような気がする。

 

 つまり、その状態で考えると、ゲームにおける印象が全く

ない状態でそれができたという内容(まぁ、錯覚なんだが。)

ということになる。ただ、これをスタンドアローンで行った場

合は別だが、ネットゲームになるとたちまちその振る舞い

が酷評されだす。

 

 結果的に、受け入れるのが無理なユーザー(コミュ障)が

出没するのである。つまり、プレイヤーを殺しに来るようなの

もいるしチートなアイテムを持ってるのもいる(改ざんデータ

系)

 

 まぁ、MODをOKにしているのは除外するとしても、ゲーム

を楽しめないユーザーという何かわからないのがいるのは確

かである。(つまり、ゲームしない人が解らない仕方ないのだ

が、これに至ってはやってるからねぇ。)

 

 つまり、ゲームも苦手なのではないだろうか?という話にな

る。

 

 では、この人間はゲームを作るようになるだろうか?という

話だが、これはソフトウェアも含めて間違いなく開発者にはな

らないので、結果的にものを生み出す能力は期待できない。

 

 あと、ものの見方考え方だが、果たしてオートクチュールの

ように外注をするような状態で物事を行ったとして、自社製品が

面白くなるだろうか?という疑問がある。

 

 というのも、それが学生だとするとコンテンツ産業はしてな

いので学業で暇つぶしだであり、解析ツールを使ってるだけ

だとすると開発言語を触っている訳でも何でもないからである。

 

 その場合、そうした分野における情報の絶対数が少ないは

ずである。つまり、チートコードが特別というアイデンティディー

に行き着いてしまうと、タイムアタックとかで異様なコースレコー

ドをそのまま出してるものすごいプレイヤーとか、まともにゲー

ムしてるプロゲーマーのすさまじさとアイデンティティーが異な

ることに気付くはずである。つまり、それが凄がってもらえる世

界と、世の中の温度差というべきだろうか?実質的にゲーム

の楽しみ方を知っているかいないかで内容は全く違うのである。

 

 格闘ゲームのプロゲーマーもすさまじいも音があり、音や

タイミングやフレーム数でものをカウントしている。つまり、動

画で使うモーションのフレームがそれである。

 

 つまり、これも体感的に覚えるものなのだが、ゲームの場合

フィジカルで覚える内容も存在している。例えば、ゲームコマン

ドなどもその一つだが、結果的にこれは、運動と同じで反復で

それが自然に出るまで練習するしかない。つまり、サッカーで

ボールをけるのやテニスでストロークを打つのと同じで、ロブと

ストロークで打ち方が違い、スピンをかけると打ち方がさらに

変わる。つまり、コースの選択や戦術以前に【 思ったところに

ボールを放てるようにするための打ち方の記憶 】がそれな

のだが、結果的に、内容でいうとこれに近い。となると、結果的

にゲームとは記憶とそうした運動野の一部を使う処理である事

は確かである。

 

 現在のようにゲームエンジンをだれでも彼でも使える時代に

なると、あの手の処理というのは、開発段階での蚊帳らの動き

の異常がないか確認するとかアイテムの共同の確認の作業と

同じ物であるというのが理解できるのだが、基本的に作ってる

時のその作業もそうだが、ゲームの良さは8割りくらい減る。

 

 それがものを考えるゲームだとそうした特性はさらに強くな

る。テトリスで上限に積みあがっても終了しないバグがあった

らどうだろうか?(というか、確かニコ生でそんなのが以前あっ

て新手の放送事故が発生していた。)実際の話、ゲーム性は

なくなるはずである。そうなると、このゲームは作業になる。

 

 では、もっと深く踏み込んで考えてみるとしよう。仮に、その

存在が、遊んだことのあるゲームをリメイクしたとしよう。果た

して再現できるだろうか?

 

 残念ながら、脳の構造上再現することはできないのである。

なぜなら、主要な情報は意図的に削除して数値変動だけを見

て動く脳の使用になってるからである。つまり、組み込み機材

である。

 

 さらに踏み込んで、この存在がバイナリーエディタのような

ものでデータを見たとしよう。では、この存在が、ゲームの膨

大なデータを見たときにどのあたりまで理解できるだろうか?

 

 という話になる。以前も書いたが、単なる開発言語ではグ

ラフィカルなウィジェットすら発生せず、そうしたものがでるの

はNetBeans(Linuxが吉)やVisualStudioなどである。

 

 しかし、x86のゲームはDirect 3Dでありバーテックスシ

ェーダーなどのシェーダーの指定ががされている。

 

 これは、C++の単体やC#の単体を覚えても全く分から

ない代物である。

 

 これをさらに突き詰めて、DXライブラリでの製造という使

用に限定してみる。これでCC扱いやライセンスフリーのGPL

ライセンス扱いでソースを公開した場合、でコンパイルは誰

でもできてしまうのでその能力自体があまり意味がないこと

になる。

 

 つまり、こういうでコンパイルなどが特別な時代というの

は、開発環境がブラックボックス化されてる時代とかの話で

数十年前のことであり、その手の内容は開発環境を70万

円位で大放出した(といっても、現在のゲームのように、当

時のワークステーションをフル導入とかレンダリングフレー

ムを入れないとムービーで無理が来るのでそうしたものは

当たり前に使っていたため、法人の開発環境のコストは個

人が用意できるような予算ではない。ピクサーヤドリーム

ワークスみたいなソリューションを個人宅に入れるのが無

理なのと内容的には同じ。)時期あたりから同人ゲームの

幅が広がったので、現在は更に凄いことになってるのだが、

何をしてるかの部分はある程度知れる(さすがにソースコー

ドは不明だが。)ので、そういうのは視点の違いで見え方が

違うという話になりる。

 

 では、チートコードに話を戻して。この場合、多分、シェー

ダー系の処理及び、個別のメッシュの取り扱いやコリジョンの

使い方などが全く分からない人間が、それを触っていることに

なるのですが、あくまでもこれは記述における数値指定程度

の処理になる。BGEでいうとプロパティーの数値とかになるイ

メージで、あとはdlocやdlotなどに近いイメージになるはず。

つまり、Unity都下のゲームエンジンを使うと最初から全部い

じれる状態(作れるともいう)があるので作り物をいじるメリット

はあるのだろうか?という話になる。

 

 つまり、ゲーム作らない作業員だとそれになるが、ゲームを

作る場合だと別のアプローチになるのではないだろうかという

のが個人的な見解である。

 

 結果的に

 

【 戦略ゲームから戦略部分を間引くとクソゲー 】

【 RPGから戦闘シーンを簡略化するとクソゲー 】

 

という条件があるのだが、チートコードというのは、

 

【 ゲームの一番重要な部分をそぎ落としている 】

 

というのを考えると、同じゲームをしたプレイヤーと

話をしても会話が成立しない可能性が高いので、情

報共有に至らない可能性があるのである。

 

 となると、印象に残ってるゲームというのがない、

 

  【 自称 : ゲームで遊んでる人 】 

 

という何かが出来上がるだけなんだが、果たして、ゲー

ムの面白さをデバガーよりも知らないプレイヤーという

のは何だろうねぇ?という話になってくる。

 

 まぁ、ゲーム以外で何かがあれば別だろうが、これが

別の場所でもチートとなると重症である。

 

 つまり、

 

【 負けることから回避しなくてはならない脅迫概念 】

 

かなにかである。実際にはなし、スポーツ選手ですらクー

ルダウンはあるし、オンとオフがあり、それがあるから試合

にただ事ではないスイッチを入れて外界を遮断するほどに

集中している内容がある。

 

 つまり、その脅迫概念とは異なる慣習でのメニューをこ

なすスケジューリングやその試合の時にそれに対応したス

イッチを入れてコンセントレーションをしたり、ミスの後にリ

カバリーをするなどの方法も知っている。しかし、脅迫概念

におけるチートというのはすでに病的なものを感じる。

 

 なぜなら、これに至っては、リカバリーがないからである。

つまり、ワンミスをすれば全て終わりである。果たしてこれが

視野の広い思考だろうか?という話になるのだが、心理的に

考えると自殺前の人間と大差がない状態である。となると、

ゲームで遊ぶ上に置いて上達だノクリアの楽しみだのがあ

る何かで自殺前の心理というのなんだなろうか?ということ

になる。まぁ、コンセントレーションをしてものを行う場合には、

心理状態は違うかもしれないが脅迫概念で追いつめられる

とミスが増える。つまり、ゲームを遊ぶのに適さない方法で

ある。まぁ、もっと言うとスポーツでも無理が来るない内容で

すでに重度のイップスのようなものである。

 

 つまり、西宮維新の会のようなのが泣き分けきながら格

ゲーやって勝てるかというと間違いなく勝てないだろうし、

FSPやっていたら危険人物と勘違いされてSITが来るレベ

ルである。(すでに通常の身柄拘束が無理と判断され、

特殊には特殊か...。という内容で安定と信頼のSITを呼

ぶというスタイル。)

 

 結果的に、明らかにその状態自体が向いていないのと

 

【 同じ手法を知った人間同士でやると負ける公算が高い 】

 

【 その人間が知っている以上の数値の出し方を知ってる

  ハッカーがいると負ける 】

 

【 数値変動というのは、プレイヤーのアルゴリズムまで

  優位に転化するものではないので、リングアウトが

  あるゲームだと追い込む戦略をとらえると負ける 】

 

など、チートを使う人間の弱点というのは複数ある。結果

的にこれは巣的優位が勝つという理屈のでの処理方法だ

が、ゲームの場合、そうした状態を回避するためにジャン

ケンに近い状態にしている。つまり、属性の差異が存在す

るのである。(まぁ、ラストリベリオンみたいにレベルを上げ

て物理という初期が鬼畜ゲーでレベルが上がると病的に

強くなりあげていくと属性効果の意味がなくなり、物理最

強というクソゲーのもあるが...。)

 

 つまり、こうした内容は戦略性を持たせたゲームの展開

をするための仕掛けである。

 

 実質的にチートというのは、

 

【 自分以上のコンピューターに精通したハッカーがシス

  テムの内容までいじってそれに不都合な環境を用意

  してこない条件だから通用しているだけ 】

 (そんなことをしたらクラッキング犯罪で摘発されるが)

 

なので、相当脆弱なものであるのは確かである。また、

 

【 知らない人間から見たらすごい内容 】

 

程度がチートなので、結果的に、フツーのユーザーから

すると、ゲーム楽しんでないねぇ?とか、ゲームがつまら

ない状態で遊んでゲームをやったことになるのかねぇ?

程度で片付くものなんだけど、無知な人間は単なる商品

の購入できてしまうソレ(まぁ違法性があるということでブ

ロックしてるようですが。)で数値いじる(ので、内容的に

は単なるバイナリーエディタなので、大した事はできてい

ない)だけですから、結果的に、ゲーム性を損なう状態

でゲームの判断をするよくわからない人種ということにな

る。というよりも、それがフツーになると、痛々しい内容な

んだが、結果的に 【 資本勝負で終わるのでは? 】

という末路が見えている。つまり、コンピューターの場合、

現実世界の中に発生する無作為な偶発的要素は存在

しない(ようにバグはつぶす。また、出すならプレイヤー

に介在してるように気づかせないようにその変数を使う)

は存在しないため、チーターというのは、通常のカード

ゲームなどではそれほど強くない場合が多い。つまり、

通常のゲームで炊けてるほうが戦術戦略面での強み

があるため、カードのシャッフルをディーダーが行い、

それを自分老いとする人間が介入できないカジノで勝

負した場合、恐ろしく負けこむことになる。この場合、そ

の人間の持ち合わせている運なども見えてくるのだが、

結果的にそれが、第三者の介入というチートが存在せ

ず手持ちのカードのみで勝負するしかないブラックジャ

ックなどだとすでにどうしようもなくなるはずである。

 

 というのも、そのチートは数値変動であるためデジタ

ルでしか無理であり、そのチートの手法を知らないと無

理ということになる。そうなると、アナログであった場合、

物理的に見える場所での不正ができるほどの器用さは

ないため結果的に脆弱さを露呈することになる。

 

 つまり、このチートに近いのが、ルールを知らない人

間とヘタクソがカードがーむで賞美して勝ちにかかる内

容である。どんな負け犬人生をすればそうなるのやら?

という話だが、結果的にやはり思考・戦略においての能

力はこういう輩は異様に低く、関わり合いを持ちたくない

レベルで運まで悪い。

 

 まぁ、その手のオッサンのマネに近いと考えると、そ

のゲームをクリアできたと下手だろうなぁ?という気はする。

 

 とりあえず、ゲーム好きとは違う人種であるというのは、

ゲームの遊び方からわかるのだが、初心者に勝って優越

感に浸るヘタクソというのは何の分野でも嫌がられるのだ

が、懲りるするような人生を自分で選んでいるようにしか見

えないのも謎である。

 

 ゲームについていうと、グランツーリスモシリーズでGTが

モーターショーっと同時に発表されていたが、あのゲーム内

のものをみて実物を見た人は、

 

【 コンパネそのままなのか? 】

 

と思ったはずである。従来のGTシリーズでは実車ありきで

作るのだが、これは日産がゲームを見てUIがいいので採

用したという経緯がある。つまり、デザインとユーザビリテ

ィーがよ加担度絵採用したという実例なのだが、結果的に

ゲームデザインというのはそうしたメイングラフィック以外の

デザイナーもいてそうしたも物が作られている。

 

 とりあえず、遊ぶのと作るのは別物なんだが、結果的に

ものを見るという名用でも見落としというのはユーザーの視

点で変わる部分があるのだが、同じゲームをしてもゲーム内

の情報が記憶に残ってなさそうなののがチーターなので、

この系統はシミュレーター系のように雑だとダメなものでは

どうしようもなくなるような気もしなくもない。

 

 とりあえず、ゲームを作ると考えると、見る情報量が多く

なるので全く違うゲームの見方になるはずなんですが、結

果的にあれを使うと作るとかだと、ゲームのバランスの取り

方とかが全くわかってないその辺のオッサン程度になるの

でやめたほうがいいのは確かである。

 

 


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