あるクリスチャンの独り言

聖書 信仰について色々思ったことを書いていきますね
初心者にもわかりやすく書いていきたいのだが・・・

ルカ2章

2012-01-31 17:11:04 | ルカの福音書
その前に聖書の原語を直訳するとどうなってるのか 無許可で他人のプログでみたいと思います

14・私は分かっていた そして 私は承服されていた 中で 主 イエス それは もはや無い ★共有(交わり=汚れ)を 通して 私自身。 もし ない(以外は)その 勘定されている 何か ★共有(交わり=汚れ) 存在する事、そこに ★共有(交わり=汚れ)を。

これを日本語になおして
私は知っているし、納得させられていた 主イエスの中では 共有(交わり、汚れ)はもう無い 私を通しては。 例外は共有(交わり、汚れ)と見なされている何かは在る。そこには共有(交わり。汚れ)を。

となり14章14節
わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである

まあ文体の違う事 ここに加えて欠落箇所があり、そうしてできたのが聖書 間違い、解釈違いがあって当然です。

↓にも牧師かな誤訳を指摘してます
http://bible.co.jp/bible/nt/goyaku.htm

ご自分で参照を 聖職者がいない間で翻訳されたそうで・・・こういうのがたくさんあるそうです。10%前後 その1割がすごく大切で・・・こんな事言う牧師なんかほとんどいない10年クリスチャンになり多くの方(牧師)が間違いないと言われ
間違いがあると聞いたのは最近です。教団に属してる牧師はたぶん言わないでしょう。単立の牧師こそ自由に言えることかな~

そういう聖書を今読み解説している私がここにいると言う事。非常にのですが、口語訳とリビングバイブルを使いながらやって行きたいと思います。それも自由に簡単に

ここもクリスマスのところ時期が少しずれてしまってますが

マリヤにも子供が生まれますよ~と御使いが教え

1章27節
この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった・・・
1章30節
すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい
御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう

そして赤ん坊が体内に宿しているときになんと ここから2章全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
それで父のヨセフの故郷のユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

やっぱり普通の皇帝なら寒い道を歩けなんてまずないでしょう。だから12月生まれると言う事はないんだよね

ベツレヘムというのが南にあってナザレがガラリヤの東側になってその間を移動したと言う感じになります
http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou8.html
ベツレヘムからサマリやの山地を通りエレサレムの町を通りベツレヘムへ100キロ少し超える 1日20キロとしてまあ
1週間から10日ぐらいでしょうか、山道もあるし直線では歩けないのでそんな道を冬のクリスマスに歩けない!
はいクリスマスはキリストの誕生日じゃありません。誰も知らないのです

まじめに誕生を祝う日で生まれたのは誰も知りません。それに加えて暦が違うのでますますわかりませ~ん。
多分、重要な事でルカさんも調べたと思うのですが・・・・

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
馬小屋じゃなく家畜小屋という説と祠に家畜をつないでいたためにそこで生まれたという説がありますが
ルカ書には飼い葉桶としか書いてません。まあこうして王の王と言われる方が生まれたルカ2:7まで終わります・・・

最近読まれた方はルカ書を読めばマタイ マルコの福音書の大筋はかいてますのでルカから読み始めてください・・・





ルカ1章63~

2012-01-30 18:10:51 | ルカの福音書
1章63節
ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。

ここは前にも書き御使いが口を利けなくするであろうというお告げをもらったところですね。

1章65節
近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。
父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、 わたしたちのために救の角を/僕ダビデの家にお立てになった

このあたりの救いの角・・・ってなんでしょうね。それも今は洗礼者ヨハネが生まれただけ・・そして今は何も活動していないよね。

1章76節
幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え罪のゆるしによる救を/その民に知らせるのであるからこれはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。

ここで1章が終わります・・・

このあとこのヨハネはヨルダン川に洗礼を施すんですがイエスは次のように言ってるシーンもあります

荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。 単に洗礼を受けてクリスチャンとしての任務は終わったかのようにするな・・・と言いたいような気もしますが・・・・

その後このヨハネさんヘロデ王にころされてしまいます。

使途のヨハネ、福音書のヨハネ 手紙を書いたヨハネ 黙示録を書いたヨハネ 諸説あって違うと言う人色々あって困ってます

著者「ヨハネ」に関してもほとんど知られていないとし、2世紀には、文体上の違いに着目し、『ヨハネの黙示録』は、使徒以外の「違うヨハネ」の筆であることを指摘する議論があったことを、教会史家エウセビオスは伝えている ウイキより引用

洗礼者ヨハネ。「『主の道をまっすぐにせよ』と、荒れ野で叫ぶ声である。」(イザヤ書・マラキ書)という使命のもと神に遣わされた。イエスは人々に「洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」「彼は現れるはずのエリヤ」と話し、自らも洗礼者ヨハネから水による洗礼受ける。最期はヘロデ王に斬首される。6月24日の守護聖人
キリストの十二使徒の一人。イエスに最も愛された弟子のひとりで、イエスの受難のときもマリアらとともにゴルゴタの丘で見守った。福音書と黙示録の著者とされる(文体が異なるため、この二つは別人によるものだというのが一般的)。12月27日の守護聖人
シモン・ペテロ、アンデレ兄弟の父。上記二名とは別人
 と言う人もいる

人の名前もややこしい ユダも2人いるし マリアにいたって三人かな?とにかく聖書て牧師泣かせの本ですね

1章25節~

2012-01-26 23:05:01 | ルカの福音書
長い休み クリスマス・・本当に馬鹿みたいに働いて休めない国ってあるのかなあ。
この前東京から熊本まで1ヶ月休んで旅行する女性にあったし、これが経済国というのはちょっと・・・・
裕福の基準も昭和と平成では変わりましたか・・・
という前置きはこの辺にして


このあたりからクリスマスの話になるの。1ヶ月狂ってしまった。


1章21節
民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。
ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、口がきけないままでいた。
それから務の期日が終ったので、家に帰った。そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていたが「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。

ここの恥ってなんでしょうね。なぜ口を聞けなくされたのでしょうか。


1章26節~
六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた(乙女じゃなく少女という人もあり)この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

 まだちんぷんかんぷんなんのこっちゃと言う感じですね。すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい


たぶん顔が引きつっているのでしょうね。


彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

 と言われても・・・・困る

1章34節
そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

ここもヨセフという夫がいると 26節からかな・・・ヨセフのいいなずけがいるのに夫がありませんと話が逆転しているでしょう

 まだ関係もないのに子供が・・・・・当時不倫の女性に対して夫はその女性に石打ちにして殺すと言う習慣があったそうで・・・喜んでもいられない

1章35節
御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。

 ここでゼガリヤの親類というのが理解できるかな?神官をしていたんだから旧約聖書も勉強されていたんだと思うんですがその記述ありません

1章37節
神には、なんでもできないことはありません」。
 
 全知全能というのはキリストじゃないからね。救い主のキリストだよ。働きが違うから三位一体の神(信仰する神達)というんだよ。父なる神 子なる神、聖霊だよね。全知全能は父なる神だからね。

1章38節
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

そして大急ぎでエリザベツに挨拶に行き彼女も
1章42節
声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます


1章48節
この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、

↑マリヤ崇敬の成就 カトリックは異端というけど聖書にきちんと書かれてますよ。yahooの常連回答者にも反対派がいるんだけど聖書は正しいと言いながらこの聖句に反対してるって理屈に合わないんだよ。きちんと理にかなったことを言ってほしい

1章51節
主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、
飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、

イスラエル↑過去形でもう救われてますよね
ここもまだ救われていないと主張されている方がいて・・・・・・・きちんと聖書を読まずに空論に走って・・・困る

さて子供ができ同じく
1章60節
さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。
慣習のとおりザカリヤという名にしようとした
ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。

ここはまだキリストが生まれていませんよ。

突然31節
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。とイエスの話になるのかなあと思ったら
(ガクン)まだザガリヤの話・・ややこしい

人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。
1章63節
ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った
すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた・・

やっと1章20節
時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
この言葉が成し遂げられた・・・ややこしい・・・もう何十回と読んでる箇所なんだけど・・・・
クリスチャンっていい加減ですよね。
今日は63節までもし興味あるなら映画マリアを見てほしい
↓きれいな絵と音楽ですよ

http://d.hatena.ne.jp/tsuchinoko118/20110714/1310593844

ルカの福音書 1章

2012-01-26 15:39:05 | ルカの福音書
ルカさんは弟子じゃなく後からまとめた人、たとえ話が多くなぜルカ書にだけ乗っているのか?これもまた不思議なんですが・・
正しい聖書という前提で(笑)挿入や解釈の違いにより翻訳ミスはあると思いますが聖書が正しいと言うことでみて行きたいと思います。

福音書の1章1節を前にも書きましたが再度
マタイ
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
マルコ
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
いきなり福音をはじめるところから入りましたよね
ヨハネ

1章1節
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

ルカ
章1節
わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたがテオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。


まあスタートからこんなに差があるんです。出だしはマタイのほうが詳しく書けているのかな~と思います

ルカ1章5節
ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。
ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。
ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。
・・・・・・・・・・・
1章11節
すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。
ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。
そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
 このヨハネが洗礼者ヨハネらしいね

1章15節
彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。
御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである

ここに天使さんが登場します。数箇所出てくるのかな~

時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
そして口が利けなくなり

1章25節
「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。
 物が言えたたら2通りの考え方があるのかな。一つ言いふらすそして民衆に馬鹿にされ地位が落ちる。または傲慢にさせないために、まあ色んな考え方がありますがみなさんどう思いますか

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった

ダビデ家まあ旧約の預言者の一人それだけよい家系に恵まれていると言いたいらしい

ここから時期が遅れましたがクリスマスのシーンに入っていくんですよね。
そうアメリカではクリスマスというのは1日じゃなくクリスマスシーズンつまり連日になって年越しの1月7日あたりまでらしい
各国で多少の差があるみたい

ベトナムなんかも12月12日かららしい・・・しかし真夏のクリスマスは想像したくないですね~
アメリカなんかは移民の方が多くなりクリスマスシーズンと言わずにホリデー・シーズンというらしい。
日本だけクリスマスと言って商店街の飾りつけを1日で変えてしまう苦しい日なんですよ~深夜までやりますね


騒ぐのは日本だけと言うことになるらしい

マルコの福音書

2012-01-26 15:27:56 | マルコの福音書
もうここからはあんまり書くことがない・・・・
ピラトによって十字架につけられ(権利を放棄?)そして権力者に煽動された民衆に「イエスを十字架につけよ」と言われ
つけられそしてお墓に葬られそして月曜日かな?マリアたちがお墓の様子を見に行くとそこにいず、弟子達の所にいた。そしてまた天国に行くと言う感じのストーリ

事実のみを中心に描いていると言う感じですね

マルコが一番短く要点のみ絞った感じ
またルカの福音書にも書くから省略してもいいかな?
興味あるかたはパッションを借りて見てください
次からルカの福音書に移ります