あるクリスチャンの独り言

聖書 信仰について色々思ったことを書いていきますね
初心者にもわかりやすく書いていきたいのだが・・・

辛子種のような小さな信仰・・・

2010-07-01 09:52:31 | 優しい聖書
信仰って何だろう?何か大きな事をすること?いいえ聖書は次のように書いてます



イエスは言われた。
『神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、
葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。』

マルコによる福音書4章30節~32節)

ほんの少しだけの信仰があればいいの。
だから聖書の一部分のみを信じれば救われているということですね

あなたの信仰が救ったと言われるイエス様です。
また
かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです(口語訳) 

わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように母の胸にいる幼子のようにします(新共同訳)

同じ聖書口語訳と新共同訳詩篇132編2節からですね~
全く意味合いが変わってきそうな聖書箇所でしょうか?

「安らかです」というのと「します」というのでは意味合いが変わってきますよね~
読んだ聖書によって感覚が変わってくる代表的なものじゃないかな~

新改訳のお持ちの方はなんて書いてありますか~

娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい

2010-07-01 09:40:41 | 優しい聖書
ルカ8:40~

よくイエス様が言われる言葉ですね~

彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。
ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた
この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。
イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。
女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳(み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからであるマタイ9:21)と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。
そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

あなたの信仰救った。つまり何かをしたらと他人がいうのではなく神様と信じる者の関係でしょうね
ある人は洗礼によって救われるならその信仰だし反対に教会にいかずとも信仰があれば救われると思ってます。(教会に行けば・・と言うことはないと思います。教会に行き何かを感じたなら別ですがね~)
まあイエス様がよく使われる言葉かな~
まあ信仰=神様から頂いた賜物があると言う事でいいのかなあ?
まあなくてもイエスを信じているのが賜物になると思いますが