歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

速報への補足

2010-03-14 22:44:03 | トルコ関係
前回のエントリーで紹介した記事だと、セルカン氏は“黒海地方出身”となっていましたが、それに関して、氏のトルコ語版ブログの方に興味深い記述がありました。

以下、2008年7月19日付けの日記からの引用です。
http://anilir.blogcu.com/cay-elinden-oteye-gidelim-yali-yali/3809137

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私の母方の一族は、トラブゾンのシュルメネ郡バルックル村の出です….。

小さい頃は、バイラムの休みを利用して、よくその村に行ったものです。母の実家は、村の広場から階段を700段も登らねばならないような山の上にありました。朝になると、誰がパンを買いに行くかでよく喧嘩しましたね。私の祖母なんて、リューマチ病みの足で毎日どうやってその階段を登っていたのか、不思議でなりませんでしたよ。でも、青年時代を村で過ごした人たちからしてみれば、自らが生まれ育った土地への愛着は、きっと、こうした生活上の困難を意識させなかったのでしょう。私たちのような、町育ちの子供には分からないような形で。

※イスラームにおける断食月(トルコ語で“ラマザン”)が明けたことを祝う“シェケル・バイラム(=砂糖祭)”のことを言っていると思われる。この時期、トルコではちょうど日本の正月のように職場や学校が休みになり、親戚や友人の家を訪問し合うのが普通。

 ( 以下略)
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トラブゾンというのは、トルコの北東部、黒海沿岸の都市/県の名前です。グルジアとの国境にも近い。 まあ、これもまた嘘かもしれないのですが、母親の出身地なんて捏造や誇張をしても仕方がない話題ですから、大方事実ではないかと。

で、事実だとしたら、何故ドイツとかスイスに住んでいるのに“バイラムの休み”を利用しなければいけないのか?よく分からなくなりますが、その辺は深く考えないようにしましょうw。

件の記事を書いた記者は、この日記を見て勘違いしたのか?

それとも、この辺で生まれ育ったというのは実はセルカン氏自身の話で、そこからブルサ-イスタンブルと移住したのか?

謎ですね。

ところで、今こちらが住んでいる地域はネット環境が激烈に悪く、たまにネット屋に行っても記事の更新で手一杯という感じです。PCにも変なソフトが入っていて“AJAX”みたいな日本語変換ツールが使えないため、コメントへのレスが延々と滞ってますね。わざわざ書き込んでくださった方、すみません。

とりあえず、最近はセルカン氏ネタが続きすぎたので、そろそろ他の地域の話に戻ろうかと思っています。


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4 コメント

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ギリシャ系? (真実の目)
2010-03-15 05:17:39
セルカンがどこかで発言した「ギリシャ系トルコ人」というのも、ポントスの子孫だとしたら本当かも。
セルカンでも本当のこと言うこともあるんだ。
でも700段の階段というのは適当に言ったと確信している。 
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リクエスト (真実の目)
2010-03-15 05:25:00
次のテーマはアルメニア人代虐殺とアルメニア・トルコの国交正常化の裏舞台を知りたいな。
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Unknown (Unknown)
2010-03-16 06:28:57
たしかにこの所すっかりセルカン特集ブログになっていましたな。
とりあえずお疲れ様です。
今後ともよろしくお願いします。
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Unknown (Unknown)
2010-03-21 01:12:56
串本町:東大大学院助教を「大使」から解任 /和歌山
http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20100317ddlk30040354000c.html
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