からたちの道

仕事しながら思ったことなど綴っています

石川さゆりコンサート

2017-05-23 11:05:57 | 日記



上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中~♪」我が家では、宴会があるといつもこの歌を歌う人がいた。
この石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」は私が最初に覚えた演歌だ。歌っていた人とは、滝下昌文さん。

約30年前の「反農連」時代に2年半、甘夏みかんの箱詰めや寒漬大根の袋詰めなど仕事に来てくれていた。
小学生だった私は「滝下のお兄ちゃん」と呼び、学校から帰るとよく遊んでもらった。
還暦過ぎた今でも、「滝下のお兄ちゃん」と呼び名は変わらない。

水俣市の中でも患者数が一番多い漁師「茂道」で生まれ育ち、胎児性水俣病患者の滝下さん。
その滝下さんや他の胎児性水俣病患者たちは、今年の2月11日(土)水俣で石川さゆりのコンサートを実現させた。

今からさかのぼること39年、滝下さんを始め胎児性水俣病患者は、
自身が20歳の成人式を迎えた頃、自立を目指して石川さゆりさんのコンサートを水俣で行った。
「若い患者の会」を結成し、自分達の足で街角にポスターを貼り、街頭でチラシを配り、家々を周りチケットを販売した。

あれから40年近い月日が流れ、若かった滝下さんたちも年齢は重ねたが、
もう一度この水俣で石川さゆりさんのコンサートをしたい。
長年心にしまっていた熱い想い。その熱い想いに再び当時のメンバーが集まった。

名前は「若い患者の会」から「若かった患者の会」に。
2年前から準備に入り今年2月11日再び水俣でコンサートを実現させた。
900人入る文化会館の2回公演。
心配された1800枚のチケットは完売となり、満員の観客を前に、会の代表の滝下さんは挨拶した。

「私たちは年を取って体が思うように動かなくなった。支えてくれた親や家族を失った仲間もいる」と39年前と同じようにステージに並んだ仲間のメッセージを伝えた。当時は歩き自転車にも乗っていた滝下さんを含め、皆車椅子での登場となった。

熊本出身の石川さゆりさんは「再演の約束を果たしてくれた会の皆さんに感謝している。
私も皆さんが明日に向かって一生懸命生きる姿を見習って、歌っていきたい」と「津軽海峡冬景色」
などを熱唱しコンサートは大盛況に終わった。
サプライズで、アメリカメジャーリーグーで活躍するイチローから託された、バットの贈り物もあった。

コンサートの当日、忙しそうに車椅子で動き回る滝下さんに手を振ると、満面の笑みで返してくれた。
社会人になった滝下さんの息子さんも、会場整理などボランティアで参加していた。

水俣病事件から61年が経ち、水俣の中でも、水俣病の歴史を直視する若者が減ってきていると懸念の声をよく耳にする。
確かにそうだと思うが、今回の石川さゆりさんのコンサートには、地元で音楽活動する若者など、
ボランティアで参加した水俣の新しい顔ぶれも少なくなかった。
コンサートの打上げで「次は10年後にまた石川さゆりさんのコンサートを水俣でやりたい!」という新しい目標ができた。
「できるできないではなく、やるかやらないか」そんな言葉を滝下さんたちからもらった気がする。
    
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