からたちの道

仕事しながら思ったことなど綴っています

おるが水俣仲間たちー1

2017-05-17 09:52:49 | 日記
水俣で誰かしらに会っていると退屈することはない。
もともとの水俣人、豊かな漁場ということで対岸の島々などから水俣にやってきた者、
私の両親のように水俣に移り住んだ者など、水俣はいろんな人が混在する実に興味深い場所である。
そして、その1人1人が個性的でカッコイイのだ。


私の両親が43年も水俣に住み続けている理由の1つは、この人の魅力ではなかろうかと思う。
時々、筆者の独断と偏見で選んだ、私の好きな水俣人を毎回1人ずつ紹介していきたい。


1人目の登場人物は通称「ともえねえちゃん」。
私の両親が京都から水俣に移住したのが43年前。
親戚もおらず知り合いも少ない移住先の水俣だったが、
その我が家によく遊びにきていたのが、ともえねえちゃん(以下、ともえさん)。

人見知りでぶっきらぼうだけど、それは外の顔であって、
とてもお茶目で、世話好きで、人といるのが大好きな人。
常に荷物が多く、いつでも温泉に行ける着替えやら、職場で作るパンが入っていたりする。
お世話になった人には、このパンを配ったりと情が厚い一面も。

ともえさんは水俣の湯堂という目の前が海という場所に住んでいた。
ここは水俣病患者の多発地域の1つであり、特に胎児性水俣病患者が多い。
彼女自身もその母親も水俣病患者の申請はしたものの、棄却され公式には患者とは認められていない。
父親はおらず、母親は土方などしながら生活を支え、ともえさんも数多くの仕事を経験してきた。
沖縄でサトウキビの収穫のアルバイトでは、毎日りんごが出て、帰郷してからはりんご嫌いになったと笑う。

私が子どもの頃はそんな事情も知らず、週末になると増える我が家の家族の存在が嬉しかった。
私にとって祖母のような存在だったともえさんの母親は13年前に他界。
ともえさんと2人で大きな悲しみに沈んだのを、昨日のように思い出す。
私にとってはビッグシスターのようなともえさん。
それは、43年前も今も同じだ。
(写真は甘夏みかんの花)
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