当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。
並びに、『李歐』をお持ちの皆さんにもご協力していただきたいので、よろしくお願いします。
この秋に『李歐』の1999年2月15日第1刷発行の文庫を初めて読みました。
再読日記更新のために、2007年に読んだ2004年3月25日第20刷発行の文庫と、違いが明確なところを挙げます。太字が違いのある部分です。
【2014.1.17 追記分】
なんと第2刷を所有されている方からメッセージを頂戴しました! ありがとうございます!
第2刷は1999年3月8日発行。
第1刷が1999年2月15日なので、ほぼ半月の間で変更があったことになりますか。
第1刷・第2刷に限らず、(私が見つけられないだけで)修正箇所があるかもしれません。その点につきましては、引き続き情報お待ちしております~!
では、私が見つけた下記の相違部分4か所に、頂戴した第2刷の情報を加えていきましょう。
***
なんと冒頭から違ってた! これは写真をご覧いただいたほうが分かりやすいでしょう。
左側 1999年2月15日第1刷 右側 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷
このようなレイアウトになったのはどの版からか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から、右側のレイアウトになっています。
***
「ぼくは生まれて初めて泣いた。……そういえば彼、ちょっと一彰に似ていたな」
「どんなふうに」
「どっちを向いても地平線しかない畑で踊りながら、突然中華風ニジンスキーになりたいって言いだすような奴の目……」
一彰は笑って応えるに留めた。湖北省の畑でニジンスキーになりたいと言った学生がどんな目をしていたのか、想像することは何もなかったが、ともに過ごしたほんの短い時間に、李歐がそれなりに自分を観察していたというのは、また一つ、一彰の胸を揺さぶる結果になった。 (『李歐』p248~249 1999年2月15日第1刷)
「ぼくは生まれて初めて泣いた。……彼とぼくは、もう家族だったから」
李歐の口から漏れた「家族」の一言は、身の上話の悠々とした語調とは少し違う響きをもって一彰の耳に沁み、腹に沁みた。一族はもちろんのこと、家族と言う単位が中国人にとっては現代の日本人よりはるかに重い意味を持つということは、以前敦子に教わったことがあったが、文革によって家族も一族も失った李歐が、一緒に国を脱出した学生一人と「家族」になったというのは、それだけにひどく切実な感じがした。同時に、片や同じように身寄りがない自分は、そういえば家族など意識したこともなかったと思うと、李歐はその奔放な口ぶりとは裏腹に、実のところこの自分よりはるかに純粋なのだという結論にも至った。 (『李歐』p248~249 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷 これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)
ご覧いただいたように、大幅な書き直しといっても過言ではないでしょう。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から変更されています。
私信。ご指摘の通り、入力ミスでしたので訂正しました。ありがとうございます。
***
私は、パイミァンと貴方との関係がどのようなものであったのか、ついに知る機会はありませんでした。しかし、彼が私に貴方宛ての写真を託したときに言った言葉を、最後にここに書き添えさせてください。 (『李歐』p367 1999年2月15日第1刷)
私は、パイミァンと貴方との関係がどのようなものであったのか、ついに知る機会はありませんでした。しかし中国では、写真は家族の結びつきを象徴する特別に大事に意味を持つと聞いたことがあります。パイミァンにとってあなたは家族だったのかと、今の私はただ虚しく慮るばかりですが、彼が私に貴方宛ての写真を託したときに言った言葉を、最後にここに書き添えさせてください。 (『李歐』p367 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷 これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)
ここは完璧に追加。これ以降「コウモリ」の最後まで、追加された2~3行分、ページがずれています。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から変更されています。
***
この十数年の中でも、李歐は今や打てば響く兄弟のようであり、一彰にも話したいことは山ほどあったし、相手の話も山ほど聞きたいと思う。 (『李歐』p462 1999年2月15日第1刷)
この十数年の中でも、李歐は今や打てば響く家族のようであり、一彰にも話したいことは山ほどあったし、相手の話も山ほど聞きたいと思う。 (『李歐』p462 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷 これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)
こちらはただ一つの単語の違い、「兄弟」と「家族」。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から、「家族」になっています。
***
・・・ということで
第2刷から修正・訂正が加えられている
という事実が判明しました。
改めて気になるのは、第3刷がどうなっているか、ですね。
もしかしてもしかしたら、「第2刷と第3刷には、変更がないのかもしれない」という仮定が・・・。
第3刷所有されている方! 情報プリーズ!
ひょっとしたら他の刷数にも細かい違いがあるはずですから、皆さんが所有している『李歐』で、私が挙げたところ・挙げていないところで「ここが違う!」 「この刷数では同じだった!」という部分がありましたら、
・『李歐』の刷数と発行年月日
・該当部分のページ数と文章の引用 (同じ場合は引用は不要です)
を、ご面倒かと存じますが、下記のコメント欄、またはメッセージを利用してご報告いただければ幸いです。
ぜひご協力お願いします~!
並びに、『李歐』をお持ちの皆さんにもご協力していただきたいので、よろしくお願いします。
この秋に『李歐』の1999年2月15日第1刷発行の文庫を初めて読みました。
再読日記更新のために、2007年に読んだ2004年3月25日第20刷発行の文庫と、違いが明確なところを挙げます。太字が違いのある部分です。
【2014.1.17 追記分】
なんと第2刷を所有されている方からメッセージを頂戴しました! ありがとうございます!
第2刷は1999年3月8日発行。
第1刷が1999年2月15日なので、ほぼ半月の間で変更があったことになりますか。
第1刷・第2刷に限らず、(私が見つけられないだけで)修正箇所があるかもしれません。その点につきましては、引き続き情報お待ちしております~!
では、私が見つけた下記の相違部分4か所に、頂戴した第2刷の情報を加えていきましょう。
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なんと冒頭から違ってた! これは写真をご覧いただいたほうが分かりやすいでしょう。
左側 1999年2月15日第1刷 右側 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷
このようなレイアウトになったのはどの版からか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から、右側のレイアウトになっています。
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「ぼくは生まれて初めて泣いた。……そういえば彼、ちょっと一彰に似ていたな」
「どんなふうに」
「どっちを向いても地平線しかない畑で踊りながら、突然中華風ニジンスキーになりたいって言いだすような奴の目……」
一彰は笑って応えるに留めた。湖北省の畑でニジンスキーになりたいと言った学生がどんな目をしていたのか、想像することは何もなかったが、ともに過ごしたほんの短い時間に、李歐がそれなりに自分を観察していたというのは、また一つ、一彰の胸を揺さぶる結果になった。 (『李歐』p248~249 1999年2月15日第1刷)
「ぼくは生まれて初めて泣いた。……彼とぼくは、もう家族だったから」
李歐の口から漏れた「家族」の一言は、身の上話の悠々とした語調とは少し違う響きをもって一彰の耳に沁み、腹に沁みた。一族はもちろんのこと、家族と言う単位が中国人にとっては現代の日本人よりはるかに重い意味を持つということは、以前敦子に教わったことがあったが、文革によって家族も一族も失った李歐が、一緒に国を脱出した学生一人と「家族」になったというのは、それだけにひどく切実な感じがした。同時に、片や同じように身寄りがない自分は、そういえば家族など意識したこともなかったと思うと、李歐はその奔放な口ぶりとは裏腹に、実のところこの自分よりはるかに純粋なのだという結論にも至った。 (『李歐』p248~249 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷 これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)
ご覧いただいたように、大幅な書き直しといっても過言ではないでしょう。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から変更されています。
私信。ご指摘の通り、入力ミスでしたので訂正しました。ありがとうございます。
***
私は、パイミァンと貴方との関係がどのようなものであったのか、ついに知る機会はありませんでした。しかし、彼が私に貴方宛ての写真を託したときに言った言葉を、最後にここに書き添えさせてください。 (『李歐』p367 1999年2月15日第1刷)
私は、パイミァンと貴方との関係がどのようなものであったのか、ついに知る機会はありませんでした。しかし中国では、写真は家族の結びつきを象徴する特別に大事に意味を持つと聞いたことがあります。パイミァンにとってあなたは家族だったのかと、今の私はただ虚しく慮るばかりですが、彼が私に貴方宛ての写真を託したときに言った言葉を、最後にここに書き添えさせてください。 (『李歐』p367 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷 これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)
ここは完璧に追加。これ以降「コウモリ」の最後まで、追加された2~3行分、ページがずれています。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から変更されています。
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この十数年の中でも、李歐は今や打てば響く兄弟のようであり、一彰にも話したいことは山ほどあったし、相手の話も山ほど聞きたいと思う。 (『李歐』p462 1999年2月15日第1刷)
この十数年の中でも、李歐は今や打てば響く家族のようであり、一彰にも話したいことは山ほどあったし、相手の話も山ほど聞きたいと思う。 (『李歐』p462 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷 これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)
こちらはただ一つの単語の違い、「兄弟」と「家族」。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。
【回答】 1999年3月8日第2刷から、「家族」になっています。
***
・・・ということで
第2刷から修正・訂正が加えられている
という事実が判明しました。
改めて気になるのは、第3刷がどうなっているか、ですね。
もしかしてもしかしたら、「第2刷と第3刷には、変更がないのかもしれない」という仮定が・・・。
第3刷所有されている方! 情報プリーズ!
ひょっとしたら他の刷数にも細かい違いがあるはずですから、皆さんが所有している『李歐』で、私が挙げたところ・挙げていないところで「ここが違う!」 「この刷数では同じだった!」という部分がありましたら、
・『李歐』の刷数と発行年月日
・該当部分のページ数と文章の引用 (同じ場合は引用は不要です)
を、ご面倒かと存じますが、下記のコメント欄、またはメッセージを利用してご報告いただければ幸いです。
ぜひご協力お願いします~!
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