か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 68

2020年06月20日 | 韓国

<前回の続き>

 

[1-2]傷跡だけ残した解放-日本の敗戦と韓国 P39

1945年8月15日正午、大日本帝国の天皇裕仁はラジオを通して全世界に日本の無条件降伏を宣布した。この幸福宣言はすでに8月14日午前11時に録音されていたが翌日ラジオを通じて発表されたのだ。すでに二回の原子爆弾投下によって日本の敗戦は既成事実として受け入れられていたが、にもかかわらず最後の抗戦を準備していた多くの軍人たちにとってこれは青天の霹靂のような宣言だった。その日天皇の降伏宣言を自分の不忠のせいであると考えた多くの日本人たちは腹を切るとか拳銃の引き金を引いて自決した。その数、5000余名に達した。

 

日本列島と全世界の日本人たちがこのような亡国の悲観にくれていたとき、戦争に勝利した連合国と日本軍占領地では一斉に歓呼の祝砲が鳴った。朝鮮半島においても多くの人たちがうちの中に隠しておいた太極旗取り出し通りに飛び出して喜びの万歳を叫んだ。その日の表情を戦後世代は理解しにくいかもしれないが、それはおおよそ先の6月25日ワールドカップ8強戦で韓国チームが勝利したときの雰囲気と似ていただろう。韓国人たちは実に信じられない出来事に皆が太極旗をもって通りに飛び出し歓喜の声を上げ、その日を祝う行事は何日も続いたのだ。

 

最初の原子爆弾実験が成功した10日後の1945年7月26日には、ルーズベルトアメリカ大統領、チャーチル英国首相、蒋介石中華民国総統はドイツベルリン近郊のポツダムで会い日本の無条件降伏をもとめる宣言を発表した。またポツダム宣言ではソ連の速やかな対日参戦を促し第8項では日本の降伏後「日本の領土は4島と付属の島嶼に制限される」とした。

 

朝鮮に対する信託統治の問題が最初に議題に上がったのは1945年2月に開かれたヤルタ会談である。アメリカのルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長は1945年2月4日から11日までクリミア半島のヤルタで会議を開きドイツの戦後処理とソ連の対日開戦問題を論議した。この場でアメリカとイギリスはソ連の極東戦線参戦を促し結局ソ連はモンゴルの現状維持、サハリン(樺太)とクリル(千島)列島、旅順のソ連帰属、大連の自由港化、満州鉄道の中ソ共同運営、満州における中国の主権保障などの条件に合意して対日開戦を決意するに至った。この会談でルーズベルトは非公式的に朝鮮半島に対して米中ソによる20年ないし程度の信託統治を提案したのだが、これに対しスターリンは信託統治に同意するが期間はもっと短いほうがよく外国軍隊の駐屯には反対の立場を表明した。

 

以後、モスクワで開かれた米英ソ三国外相会談で朝鮮に対する臨時政府の樹立と5年間の信託統治に合意した。しかし、この事実が知れると朝鮮半島では民族主義者たちの扇動により信託統治に反対する大々的なデモが組織された。初期の反信託統治のデモは右翼も左翼も共同で進行したのであるが左翼はすぐさま賛成の立場に変わった。この時から左右翼、信託統治に賛成するもの反対する者の間に内戦が始まり多くの死亡者が出た。朝鮮での左右の対立を反映したものであり、朝鮮の信託統治問題は内戦対決を激化させついには1947年9月信託統治は廃棄されてしまった。

 

以後、国連総会は朝鮮に対し自由総選挙を実施し政府を構築するという決議をしたのである。これについて選挙監視委員会が派遣されたのであるが38度線以北には接近できなかった。このときアメリカ軍政の代理人李承晩は「井邑發言」を通じて可能な地域だけでも総選挙を実施しなければならないと主張し始めたのであるが、これは金九たち統合優先主義者たちの反発を買った。とにかく、この宣言が以後南北はそれぞれ分断状態で政府を構成していくという作業を始め分断は固定されたのである。

 

 

<次回用メモ>  [1-2] 상처뿐인 해방-일본의 패전과 한국 p39の第6段  이 같은 논의들은 별 중요성을 가진다 할 수 없다.から

日本語部分の転載自由  転載するときは引用元を明記してください ©からけん

 

 

 

 

 

 


飯を食うことはだれも責めない

2020年06月04日 | 食・レシピ

形容矛盾だが、強制自粛もだいぶ緩んできた。コロナのさなかに外食か、と責められることももはやない。社会的ヒステリーも落ち着いてきた。むしろ、きちんと対策をしたところは家より安全だ。

 

庶民の家は台所と食堂とリビングが三位一体の場合が多い。「密」を避けることは不可能だ。

きやすく「外出を控えろ」などというが、外出しないことがせまい家ではコロナウイルスを培養することになる。

自宅勤務ができる人はそもそも国民のごく一部だ。自宅で百姓はできない。自宅で魚はつれない。自宅に工場はない。それが普通の生活だ。ものづくりをしていない人だけがリモート勤務が可能だ。

「密」におびえ回避できないでいる人は毎日がロシアンルーレットだ。

 

電車で通勤するとき「密」をどうやって避けろというのか。麻生は民度が低い国にはコロナ患者が多いといったが、東京は相当民度が低いのだな。ああ?おい!

 

 

できそうなことばかり、あるいは実施しやすいことばかり強調しているが、「密」を避けようがない人がいることを世間は話題にしたがらない。

「みんなが自分のできることでコロナと戦おう」というともっともらしいが、その熱意を汲んでくれるほどコロナはお人よしではなさそうだ。

 

防疫という戦争なんだからそれなりに頑張っても勝てるわけない。また同時に、そもそも勝っているわけでもない。まともな解析のグラフは、⇩のようになる。(理由は前回)

日本はとりわけ優れているわけでもない。しかも、最近はもっと状況は悪化している。

 

 

で、ぼくは国の言いなり小僧だから三密を避けて、イタリア料理を食べに行った。鳥栖市。庶民の皆さん、食事とはほんらい個室でするものです。

バージンオイルはむしろコレステロールを下げる。

カツオたたき、生姜ドレッシング、シラス、コーンスプラウト(これが季節を感じるんだ)

ビーツで色を付けた

アサリ貝、桜海老、ビアンコソースがかかってカボスが添えてある細やかさ

金持ち喧嘩せず。つまりトラブルはつねに貧乏に寄り添う。寿命と所得は比例する。そういった格差社会を選んだのは貧乏人の方だ。

 

さて、食事のつづき、

自家製パンチェッタ、甘えび

メロンのパンナコッタ、キンカンゼリー、ブルベリーのプリンというデザート

コップはその昔、宮内省御用達の深川製磁

日本に住んでてよかった。アメリカだったらコロナ予備軍(トランプの言うDomestic terror)に襲撃されただろう。

そのコロナ予備軍カラードやプアホワイトはトランプの岩盤支持層なんだから世の中解せぬことばかりだ。

 

少なくとも言えるのは、今のアメリカは、日本の近未来だということ。