か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

柳川和菓子めぐり

2012年04月01日 | 食・レシピ
もう柳川に僕の家はない。子供だったので何が何だか分からないままに、気がついたら福岡にに引っ越していた。福岡に来てからは楽しいことは何もない。

最近は、柳川での子供のころを思い出す。僕はブログを書けば書くほど書きたいことが増えていくようだ。

柳川は城下町だ。僕が住んでいたのは城内(しろうち)と言って、武士階級かそれに匹敵する大百姓が住んでいたところだ。その城内には城内小学校があり公立小学校にもかかわらず全国有数の大学進学率を誇る。

お堀に囲まれた狭い地域だが都会の尺度からするとかなり広い。僕の家から100メートルぐらい東に行くと「とらや」がある。ここの「おめでとう」や「千代香」はあまり宣伝していないにもかかわらず、全国の名家の御用達になっている隠れた銘菓だ。金持ちはいいものをよく見つけるな。

柳川に行かれたらぜひ一度ご賞味あれ。「とらや」とは反対方向に50メートル行くと日吉神社がある。僕はそこでお宮参りをしたそうだ。親は僕が生まれたのをあまり喜んでいない。写真を見ると運転手が僕を抱いている。写真を見るたび諦めるべき不幸なんだと思う。

昔はもっと立派な菓子屋があった。「嘉月堂」が群を抜いていたがやめてしまった。御殿様御用達の貴重なお菓子が消えた。数百年続いた職人の技が簡単に資本主義というカネに飢えた生き物の犠牲になっていくのか。辻町に「越山」がある。ここは洋菓子もとりいれることによりいまでも繁盛している。

他にもあるがまやかしだ。最近の旅行ブームに便乗しチンピラどもがビスケットみたいな和菓子を売っている。

じつは皆さん方は僕の家をご覧になったことがある。柳川の川下りとか放送されるとき僕の家があったところを撮っている。今は短期大学になっている。「とらや」と僕の家に間には木村緑平先生の家がある。この木村先生とか僕の家とかに居候する坊主がいた。居候の代わりに短冊に短い詩をのこしていきどこへともなく消えた。ところか数年するとまた乞食のような格好で戻ってきたかと思うと黙って家の掃除を始めていた。飯を食わせろというデモンストレーションだ。

緑平先生は人がいいのでその上俳句の指導までしていたようだ。家の曾婆ちゃんは死ぬまで文句を言っていた。その貧乏坊主は種田山頭火その人だ。

おおらかな時代だった。十時(ととき)先生のお屋敷を通って学校に通った。戸島君の家の庭では池に石を投げて遊んだ。立花君とは同級生だ。みんな柳川藩の家老の家だ。みんな持っている土地が一万二万坪ではないので、人間がぎすぎすしてない。この人たちがばらばらにならずきちんと街をおさえていたので空気が上品だった。

先日京都からお菓子が送ってきた。この味は日本にしかないんだ。なくしてしまうわけにはいかないんだ。下品な人はたかがお菓子というが、食べたあと豊かな気持ちに包まれたことがないから乱暴なことが言えるんだ。
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Posted at 2012/03/24 20:46:20

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