花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

かみさまのみこころのままに。

2016年11月28日 21時21分28秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。この時期になると個人的に関係する神社から年末の大祓や新年の御祈祷の案内書が送られて来ます。それぞれ縁のある神社ですから全てに申し込みをしたいところですが,私的な祈願をしたことがないので困惑してしまいます。神社の護持と云う面では確かに大切な祭事でもありますし,一年に一度の収入が見込める時期でもありますのでたくさんの方々から申し込みがされることは神社側にとって切実なことであります。神社を運営するには,どうしても資金が必要です。祭事や建物の維持,職員への給与などなど収支決算は大変ですから仕方がないことかも知れません。神社寺院の決算資料や護持の為の資金集めも担当させて頂いて来ましたからとてもよく理解できます。一般的に神社やお寺は企業会計ではないから資金が豊富にあり,内部留保金も相当あるのではないかと思われていますが,それはごく一部の神社やお寺です。とくに,神社は収入源が限定的ですから厳しい現実があります。

この資金難は,今後も厳しくなって行ってしまうのではないかと思います。しかし,そのような厳しい現状から逆に多くの参拝者や崇敬者を集め,奉賛,奉納を受けて行くと思っている神社がいくつかあります。ありますと言っても,これは私個人が感じ,思っていることです。それはどう云った神社なのかと申しますとすべての宗教「精神面」の原形でもある古神道の形式や形態を残している神社です。つまり,自然崇拝と祖霊祭祀を主としていて,超太古から続いている神社です。今ではとても少なくなっていますが,私は古神道が復活すると思っています。神社でも二極化が起き,古神道を実践する人を現在の神社神道各社が取り込めるかが大きな鍵になると感じています。しかしながら,これだけでは未だ足りません。精神面に付加される現実面が必要です。その現実面を行(ぎょう)と云います。それは相互扶助です。要は,古神道と云うのは,大自然や自然と祖霊に感謝する精神面「祈り」と現実社会で互いに分かち合い,足りないものを補い,弱い立にある人を皆で助け合う現実面が兼ね備わった状態を纏めて古神道と云います。

古神道とは,日常の生活の中に存在するものです。そして誰にでも持ち合せているものです。自然の風景に感動したり,美しい景色を撮影したくなったり,夜に星を眺めたり,朝の太陽に手を合わせたりすること。これすべて古神道が元です。

そもそも古神道を実践している人に祈願や祈祷と云う概念は存在しません。理由は至って簡単で,大自然や自然と祖霊に感謝すること日常生活の中で実践するだけですから個人の願望や欲望を叶えて貰おうと云う発想そのものがないのです。実践そのものが自然と一体化していると云う訳です。ですから,神社や寺院でもお金を出して御願い事などをすると云うことはせず,寄附と云う形で感謝を顕すことが多いのです。神社側から御願いことを記入して下さいと言われると,とても困ってしまいます。祈祷や祈願の為のお金ではないからです。屋根が古くなってきたから皆で計画を立案して新しくしましょうと云う感じなのです。どうしても記載する必要があるなら世界平和か神恩感謝と書くくらいではないでしょうか。たとえば,前にもご紹介させて頂いた京都の貴船神社に観る御日供(おにっく)などは五穀豊穣に感謝することを趣旨として,崇敬者のみなさんで少額の資金を出し合う制度ですが,これは,古神道を現代に残す大切な進化形です。つまり「故きを温ねて新しきを知る」ですが,この御日供を崇敬者から募っている神社も少なくなっています。五穀豊穣は経済の原点。どんなに経済が発展しても変わりはありません。神恩感謝に毎朝毎夕祖霊に感謝。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設169日目 記事数第174記 奉仕の心柱 編


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