中国語学習jの科学編とでも申しましょうか・・・勝手にシリーズにして悦に入っています。今回は、基本中の基本、声調についてです。これまでも再三、「声調なくして報酬なし!」「声調だけはちゃんと教えて!」と悲痛な叫びにも似たコメントをブログにぶつけてきました。声調が大事・・・当たり前のことじゃん!とおっしゃるかも知れませんが、現場では、特にネイティブ講師に至っては、声調の指導法は実は理解できていないと思うことがあります。
何よりも、日本人が中国語を習う場合の落とし穴、コツについて根本的に理解できていないからです。中国には、対外漢語教育水平考試と言う国家資格があることは以前にもふれましたが、全世界の外国人に中国語を教えるノウハウです。そこから日本人だけを何ゆえに区別するか・・・それは昔の韓国を除いて、漢字を使うのは日本人だけと言うことがあります。これがメリットのようで、実はデメリットにもなる・・・
欧米人は、漢字自体が象形文字にしか見えませんので、ピンインと声調記号がまずは頼りです。ゆえに、前回も述べたように、英語読み等で理解できないピンインを解決すれば、たかが4つの声調記号が気になります。が、日本人は下手に漢字があり、音読み・訓読み以外に別の音が発生する・・・これを覚えることに躍起になり、思わず声調記号を軽視してしまう傾向にあります。つまり、覚え知った漢字の新しい読み方をマスターした時点で理解したつもりになってしまう。もちろん、一部の人の例ではありますが、意外に一部でもありません。
特に重要なのは、日本人の、特に男性の音域と言うのは、一部の関西人を除いて、基本的に低く幅がないということです。特に女性と男性のキーは5度ほと違いますので、女性の講師が多少高い音を出したつもりでも、男性はかなり低い音域しかイメージできません。一声を高く!と教える意味は、それがないと「幅」が出ない、つまり四つの声調の差異が理解できないからです。よくネイティブ講師の中に、「私たちそんなに高い声で話してません!」と反論する人がいますが、異次元の「幅」を学習する日本人にとって、講師とは、根本的な言語特質の差異を理解させる見本でなくてはなりません。
まずは、「一声」を高く!講師自身が、受講生もびっくりするような高さで発声してこそ、受講生、特に男性は、「なるほど、中国語って高低の差があるんだ!」と気付き、さらに声調の違いで通じないどころか意味が変わってしまうことを理解することで、「声調が大事」の本当の意味を発見するのです。別にこれは、私の考えやノウハウではありません!教える相手が誰かを理解すれば必然的に工夫したくなる常識だと思います。
「声調なくして報酬なし!」と厳しいことを言うようですが、慣れではなく理解させること!それが教師では?
何よりも、日本人が中国語を習う場合の落とし穴、コツについて根本的に理解できていないからです。中国には、対外漢語教育水平考試と言う国家資格があることは以前にもふれましたが、全世界の外国人に中国語を教えるノウハウです。そこから日本人だけを何ゆえに区別するか・・・それは昔の韓国を除いて、漢字を使うのは日本人だけと言うことがあります。これがメリットのようで、実はデメリットにもなる・・・
欧米人は、漢字自体が象形文字にしか見えませんので、ピンインと声調記号がまずは頼りです。ゆえに、前回も述べたように、英語読み等で理解できないピンインを解決すれば、たかが4つの声調記号が気になります。が、日本人は下手に漢字があり、音読み・訓読み以外に別の音が発生する・・・これを覚えることに躍起になり、思わず声調記号を軽視してしまう傾向にあります。つまり、覚え知った漢字の新しい読み方をマスターした時点で理解したつもりになってしまう。もちろん、一部の人の例ではありますが、意外に一部でもありません。
特に重要なのは、日本人の、特に男性の音域と言うのは、一部の関西人を除いて、基本的に低く幅がないということです。特に女性と男性のキーは5度ほと違いますので、女性の講師が多少高い音を出したつもりでも、男性はかなり低い音域しかイメージできません。一声を高く!と教える意味は、それがないと「幅」が出ない、つまり四つの声調の差異が理解できないからです。よくネイティブ講師の中に、「私たちそんなに高い声で話してません!」と反論する人がいますが、異次元の「幅」を学習する日本人にとって、講師とは、根本的な言語特質の差異を理解させる見本でなくてはなりません。
まずは、「一声」を高く!講師自身が、受講生もびっくりするような高さで発声してこそ、受講生、特に男性は、「なるほど、中国語って高低の差があるんだ!」と気付き、さらに声調の違いで通じないどころか意味が変わってしまうことを理解することで、「声調が大事」の本当の意味を発見するのです。別にこれは、私の考えやノウハウではありません!教える相手が誰かを理解すれば必然的に工夫したくなる常識だと思います。
「声調なくして報酬なし!」と厳しいことを言うようですが、慣れではなく理解させること!それが教師では?