CSO環境よっかいち

四日市公害を教訓にして様々な環境問題について活動するグループ

千葉あおぞら連絡会への 連帯

2011-12-11 21:46:26 | その他
かつて公害の町であった四日市から千葉への連帯の挨拶
――「千葉あおぞら連絡会結成総会」にて――  2011年12月11日 
                      
本日は、「千葉あおぞら連絡会結成総会」にお招きいただき有難うございました。多くの事を学び四日市で生かしたいと思っています。千葉とは課題において共通するものもあり、連帯の気持ちをもって、四日市について話したいと思います。
1.「四日市公害」の特徴
 四日市は戦後の復興期に「特定地域総合開発計画」の地域指定を受け、政府の進める石油化学中心の高度経済成長政策の旗手として欧米資本との競争に乗り出しました。海軍燃料廠跡を含む第一コンビナートは1955年に、第二コンビナートは1963年に本格稼動を始めました。いずれも民家と隣接・混在しています。臭い魚と喘息に代表される影響はすぐ現れました。漁師は生業を奪われ、海への廃液垂れ流し、煤塵や亜硫酸ガスによる大気汚染、騒音、振動、悪臭など戦後発生する公害のほとんどの特徴が噴出しました。
 1967年9月、9人の患者が第一コンビナートの企業6社を相手どって訴訟を起こし、1972年7月に勝訴しました。これは戦後最初の大気汚染公害裁判であり、千葉市の川崎製鉄公害裁判がこれに続き勝利しています。しかし原告勝訴と同時期に第三コンビナートが営業を開始し、裁判で指摘された立地上の過失は基本的には改善されることなく、現在も民家と隣接・混在の状況は変わっていません。
 私は1997年に四日市大学環境情報学部に赴任して以来、四日市市大矢知にある全国一の規模の産廃不法投棄問題や四日市公害の真の克服、公害患者支援の課題に関ってきました。

2.四日市の運動(1)
 四日市は公害患者新規認定打ち切りの1988年までに、認定患者数は2150人にのぼり5人の自殺者を出しています。対する住民運動は「四日市公害対策協議会」、「四日市公害患者を守る会」を発足させ、東海労働弁護団のメンバーを中心に裁判が準備されました。提訴後には「公害訴訟を支持する会」、「四日市公害認定患者の会」、「四日市公害患者をはげます会」、「公害をなくす四日市市民協議会」「公害から子どもを守る塩浜母の会」、「四日市公害と戦う市民兵の会」などが次々と結成され二次訴訟の具体化についての討議もなされましたが、判決後これらは次第に姿を消していきました。
 その後も、企業によってはことあるごとに自治会や漁業協同組合を接待し、あるいは金をばらまいて、主張しない住民を意図的に作り上げていきました。行政も公健法指定地域解除の動きには積極的に加担し、これに同意した6首長のうち3首長(三重県知事、四日市市長、楠町長)までが四日市公害と関連があり、当時の中曽根首相に同意の意見書を提出したのです。さらに、1995年には「国連環境計画」の「グローバル500賞」が四日市市と当時の加藤市長に授与され、市議会は「快適環境都市宣言」を議決し、翌年は市立博物館で企画展「公害の歴史――公害の街から環境の街へ」を開催しました。
 こうして「四日市の公害はもう終わった」、だから公害資料館も不要という風潮が作られてきました。

3.四日市の運動(2)
 公害認定患者は現在約450人ですが、高齢化・孤立化のもと運動に参加できる患者はほんの数名に限られています。現在まで続いてきた患者会は「四日市公害患者と家族の会」及び「磯津地区公害認定患者の会」の2つで役員も高齢化し、空洞化が進んでいます。しかし、1年半前に「よっかいち公害患者友の会」が発足し、支援活動を始めています。具体的には合同慰霊祭実施の協力や喘息勉強会の開催、公害患者へのアンケート調査などを企画しました。非認定も含めた公害患者の掘り起こしも計画してます。
現在、環境問題に取り組んでいる市民団体は各種ありますが、「公害」というテーマは敬遠される傾向にあります。その中で私たちは四日市再生「公害市民塾」を中心に、2008年、2009年と「四日市公害・環境市民学校」を開催し、その実施母体として「NPO環境市民大学よっかいち」を立ち上げました。今年からは広報紙『しっとこに』も発行しています。「公害市民塾」は学童を中心に公害学習・語り部活動などに取り組んでいます。四日市大学では教員有志によりいくつかの研究会も作られ、産廃不法投棄問題を地元住民とともに取り組んだり、NO2の一斉大気汚染調査を学生、高校生、市民とともに継続的に取り組み始めました。また来年度より「四日市公害論」が開講され、環境情報学部では必須受講科目に指定されました。
3年前に新たに田中市長が誕生し、ようやく念願の公害資料館(仮称)ができることになりました。一部には依然として「寝た子を起こすな」という消極的な意見もありますが、これでは真の公害の克服にはならず、市長の言う「四日市に誇りをもてる」市民の実現も難しいでしょう。今年の合同慰霊祭には30数年ぶりに市長が参列し、追悼の辞を述べました。原告患者の野田之一さんと語り部の澤井余志郎さんを中心とした四日市公害のドキュメンタリー映画『青空どろぼう』(東海テレビ)も作製され、全国でも上映され反響を呼んでいます。
私たちは「環境プラットホーム」という緩い交流の場を持ち、公害資料館(仮称)の議論、『青空どろぼう』上映会の企画、NO2濃度測定の協力、ゴミ拾いエコウォークなどを実施しています。ここには若い人の参加もあり、新しい動きが期待されます。公害資料館(仮称)は、単なる過去の資料の展示、過去の公害の学習だけでなく、公害のない持続可能な町づくりの市民活動の拠点にするよう働きかけています。また来年は公害判決40周年にあたり、目下記念行事を企画しているところです。是非とも「千葉あおぞら連絡会」からも参加して頂きたいと思っています。

4.今後の課題
 まずは公害患者の組織化の支援です。また千葉で取り組まれているような新たな患者の組織化も必要です。現在、大気汚染公害といえば自動車を想定する風潮がありますが、四日市や千葉は大きな工場・固定発生源を抱えた町なので両方を考える必要があります。NO2濃度測定結果もそのことを示しています。
 千葉ではこの度の東北地震によるコスモ石油のタンク炎上が10日間続くという事故が生じましたが、四日市では来るべき東海・東南海・南海地震によるコンビナート災害への対策が焦眉の問題です。四日市では、工場群と民家とが隣接・混在しており、いまや極めて危険な「災害環境の都市」を形成し、公害・環境とともに災害・安全が緊急の課題になっています。
 千葉では、「千葉市公害患者友の会」から全県を視野に入れた「千葉あおぞら連絡会」ができました。「千葉あおぞら連絡会」は民医連、千葉労連など民主的な団体に支えられています。四日市では民主的な団体とのつながりがそれほど強固ではありませんが、市民運動は一定ていど広がってきています。また、テーマによってはいくつかの団体の協力も進んでいます(例えば、高松干潟を守り、霞4号幹線道路の建設を検討する運動)。これからも、あらゆる可能性を追求して、市民運動、民主的な団体との連携を深め、公害のない町づくりに情熱を持てる次世代が育つような活動をしたいと思っています。
共に手を携えて持続可能な日本社会、地球社会の実現のために歩みましょう。千葉の運動が発展することを心より祈念します。 

NPO環境市民大学よっかいち・代表 粟屋かよ子
コメント
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