いよいよ大阪から東京へのウオークが始まります
まず下蒲刈(呉市)の松濤園(御馳走一番館)を訪れた。
下鎌刈は昔から瀬戸内海の海上交通の要衝として繁栄してきた。
通信使一行は12回のうち、11回訪れた江戸までの行程の中で一番ご馳走が出た場所としてしられている。
資料館「御馳走一番館」には通信使一行に振舞われた数々の料理の復元模型が展示されている。鯛焼きや雉焼き、なども作られた。
午後からは鞆の浦(福山市)へバスで移動。
鞆の浦は瀬戸内海の中央部にあり、古くから潮待ちの港としてとても栄えた港湾都市。
通信使一行は往路、復路とも必ず立ち寄り、宿泊している。
通信使たちは長い日本での旅の中で、福禅寺からの眺めを大変楽しみにしていた。
階段を上がり「対潮楼」へ。
ここからの眺めは眼下に広がる海に千酔島、弁天島が山並みを背景にして素晴らしい景観を見せていた。
今は高い建物が連なってだいぶ変わってしまった。
第11回の従事官、林邦彦はここからの風景を「日東第一形勝」として褒めたたえた。
今この文字は木版として掛けられている。
今日は上関を訪れた。
上関は瀬戸内海には入り口にあり、昔から海上交通の要所として、また潮待ち、風待ちの港として栄えてきた。
朝鮮通信使が上関を訪れたのは往路11回、また復路は8回。
通信使の史跡もいくつかあり、通信使の正使・副使・従事官の三使が宿泊したお茶屋は現存しないが、正門跡や石垣、井戸などは今も残っている。
この日は上関海峡が一望できる上盛山の展望台などを訪れた。
⇒ そして上関から広島に貸し切りバスで移動し、平和公園にある韓国人被爆者の慰霊碑に参拝し、献花しました
⇒ 夕食は生ビールを飲みながら、名物の「広島風お好み焼き」を賞味しました