かなうみ鍼灸整骨院スタッフブログ

臨床の事から日常の出来事まで思った事を書いています

「罪と罰」40数年振りに再読。疲れる(金海)

2018年05月11日 | 趣味・映画など
「罪と罰」
40数年振りに再読。大学2回生の時に読んで以来。



当時、貧乏法学部生だったので、妙にラスコーリニコフがだぶってしまい、底なし沼に沈むような感じで読み進めた記憶だけが有る。かなり長い間、陰鬱な気分になることが多かったので、もう二度と読むまいと思って今日に至っていた。

あることがきっかけで、再読することにした。年齢も十分に食ったし状況も大きく変わったので、読後の心理も変わるだろうし、何だか怖いもの見たさ的な心理も働いた。
とりあえず、人物相関図を作成しながら、最初はゆっくりと読み進める。でないと、肝心の物語の筋が分からなくなるので。



やはり、テーマは重いは、セリフはやたら長いは、あちらこちらに飛ぶは、状況説明がこってりしてるはと、ページをめくる手が進まないのは、まるっきりデジャブ。但し、学生時代と違って、仕事やヤボ用も有るので、一気呵成に読み進めることはできない。お陰で? 若かった頃の、引きずり込まれるような感覚は無し。

さて、中盤を過ぎた辺りから、ややペースが上がった。俄然、推理小説を読んでいるかの如き雰囲気になり、ポルフィーリィとの心理戦や、(怪人?)スヴィドリガイロフの活躍?! には、若干胸がワクワクした。

相変わらずセリフはこってりしているが、話の進展の時間軸は随分と短いことに気付く(今更ですか!)
そしてエピローグ。まるでラスコーリニコフの感動の再生物語として終わっているのが、釈然としない。当人に犯した罪の反省があるように思えない。40数年前にも感じたことを、じわっと思い出した。

被害者アリョーナやリザヴェータの立場はどうなる?!

かくして読後の後味の悪さは今回も残ったが、思いもかけず、スヴィドリガイロフの存在が大きいのを認識した。今更ながら、ドストエフスキーの人物造形の奥深さにゾクっとする。

150年の時を経ても、巷では、ここに書かれた登場人物の亜流が引っ切り無しに出現している。ドストエフスキーの存在感は、まだまだ健在だ。

ただ、個人的には、もう「ごちそうさま」。暫くは読むことは無いだろう。身体に負担がかかり過ぎる・・・

 ←参加中。よければクリックをお願いいたします。


交通事故の治療を行なっています。


訪問(往診)リハビリ治療を行なっています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿