神の御心のままに

本・文字、会話、夢、体験などを通した真理

魂の願い

2017年01月25日 | 神の御心
お腹痛い・・・。
怠い。
何もやる気が起きない。
そのやる気の起きない気持ちが出てくるのが、お腹の固まってる痛い部分からなのが分かる。
何かしようと思っても、その部分から怠い何かが出て来て、やる気が失せる。
目も見えにくくて、焦点が合わなくて目が回りそう。

6年前のパニックの記事に、お腹が痛くて違和感があって、息が出来なくて死んでしまいそうだと書いてあった。
今年もひどかったけど、もう6年前からそうなんだよね・・・。
さらに目の調子も、お腹の痛い部分も広がってる。

その中で、

私は、自然の力(神)を信じたい。
私は、私(神の子)を信じたい。
私は、私の思いを生き切りたい。

私は、私の魂の目的と使命を感じているから。

ってある。
今もその思いは変わらずそうだけど。



その頃の思いと変っていないようだとも言えるけど、その頃の〝願い〟が今実現しているとも言えると思う。
君の最近の真理に対する急速な理解と自覚の深化は著しいものがある。
そういう真理に対する深い理解に達したが故に、天皇、日本に対する理解が深まったとも考えられる。
これは近くで観察している者から見ても、驚異的な出来事なんだ。

勿論、真理は無限だから、「神」と「自分」に対して「信じたい」と思う意識は益々深まるだろうから、そういう点では「同じ」と言える。


・・・


やっぱ、文章のチェックして修正して新しいものも書いて行きたい。
パニックのことも、いろいろ書きたい。



その「願い」は益々成就するんだよ。
究極の「願い」は、雑多な表面上の「願い」が払拭されるに応じて、先鋭化されるものだよ。
そういうギリギリの状態にあっても残っている「願い」、さらにはっきりとしてくる「願い」が本物の願いだろう。
それは「魂の願い」であるが故に、必ず成就する以外にないんだ。
現象的な挫折は、本物を先鋭化させる力がある。


・・・


でも、そんなこと出来ずに、本当は死んでしまうのかもしれないって、思ってしまう。
というか、もうね、ほんと体限界で、楽になりたいって思ってしまう。



しかるべくそう定められているのだろう。
「死」は「自分では選択できない」よ。
「死を間近に感じる」事が、「魂の願い」「自分の存在」「神の意志」を先鋭化させる最後の働きとなるように思う。

必ずよくなるから、大丈夫だよ。

・・・


パニック症候群日記/パニック+α (神子屋ブログ2010/9/15)

精神的、心的、気持ち的だけではなく
肉体的、体的にも異変が発生。

お腹内部の見えないところの部位が
腫れて張って痛みが。

そして、お腹も胸も苦しくて息がしにくく
息が出来なくなるんじゃないか・・・
死んでしまうんじゃないか・・・
と怖くなる。

パニックだけなら、発作の過ぎ去るのを待てば、また普通の状態が戻ってくる。
体の異変は常に違和感があるために、恐怖心が襲ってきて、それが去った後も普通の状態には戻らない。

いつまで続くのか、この違和感、普通じゃない状態。
そして、死ぬかもしれないという恐怖。

普通の状態がいかに有り難いことか・・・。


病院へ行けば治るかもしれない。
でも、私はそれとは違う選択をしている。
(詳しい説明は難しい・・・)

私は、自然の力(神)を信じたい。
私は、私(神の子)を信じたい。
私は、私の思いを生き切りたい。

私は、私の魂の目的と使命を感じているから。

※こんな私の生き方を理解し、支えて応援してくれている存在に、心から感謝しています。
ありがとう。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、一番よくなるしかないから大丈夫。



<2016/9/17 メール・ブログ掲載文>