千代田法律・会計事務所 弁護士上條義昭

千代田法律・会計事務所 弁護士上條義昭日記

裁判所を利用した者が裁判に失望する根本原因の一つは、司法研修所の要件事実教育にある帰結

2016-10-30 16:53:07 | 政治・行政

 日本において、国民が裁判所まで持ってゆく民事紛争の多くが、紛争に適用される法律の解釈ではなく、事実の認定すなわち、「過去においてどういう事実が存在していたのか」の判断が中心である。

そこにおいて価値ある物的証拠のある者が有利になり、価値ある証人がいるものが有利になる面があり、証人の場合、過去のある時期の事実を知っている人物が生きていると有利になるが、裁判の時点で既に死んでしまっていると不利になるのが一般である。

その場合、本来「良心を働かせる勇気ある裁判官」ならば、証人が居なくて原告になった当事者しか事実を知っているものが居ない事態であっても、その当事者(原告)の話を真実か否かを眼光紙背に徹する姿勢で判断して,良心に基づき、原告を勝たせるのが、正しい裁判のあり方である。

 しかし、このような「原告しか事実を証明する人が居ない」ケースでは、今の日本の裁判制度では、「原告が居るだけで証拠が足りず、裁判に勝つこと不可能であるから、最初から裁判進めるのを諦める」という、まことにおかしな事態が相当前から起きている。 

日本では、民事紛争で裁判所を利用した人の18.6パーセントしか満足していない(司法制度改革審議会の行なった2000年の調査結果)結果が出ているが、さもありなんの数値である。裁判所が真実を見抜いた正しい事実認定をしてくれないからである。 

司法研修所の「要件事実教育」は、「判決を書く職人を育てる教育」になってしまっており、「裁判を行なう」のではなく、「官僚として事件を処理する職人」を生み出してしまう仕組みになってしまっているように認められ、それがために、「真実を証明する方法が物理的に足りない」という理由で負けてしまい、裁判に失望する人が多数を占めている由々しき状況である。 

憲法では、「全ての裁判官は、その良心に従い、独立してその職権を行い、この憲法及び法律のみに拘束される。」となっている(憲法76条3項)。

裁判官」が、真実「その良心に従い判決を下す勇気ある人間」ならば、物的な証拠が足りず、証人が居ない気の毒な事案でも、原告本人の話が真実か否かを眼光紙背に徹する姿勢で判断して、原告を勝たせることがあって当然である。

昭和40年代、50年代に現職でいた裁判官、すなわち、要件事実教育が浸透していない時期に裁判官になった人には、まさに原告本人のみしか証拠になるもの無くても自ら眼光紙背に徹する」と言う姿勢で原告を勝たせた裁判官の判決を貰ったことがあった

  しかし、今では、そのような判決を期待できる裁判官は、まず見つけ出すこと不可能である。  司法研修所の「要件事実教育」で洗脳されているからである。 

今の日本では、司法研修所で受けた要件事実教育の効果として「原告本人の話だけでは、真実と認定できるまでに至らない。」と言う論理で、機械的に、原告敗訴の判決を出してしまう仕組みである。 

 そこには、良心に従い勇気ある判決を出す人間が生まれる余地無い仕組みが出来てしまっていた

 これでは、「良心を働かせる裁判官」は不在であり、マニュアルどおりに機械的に法律的当て嵌めをして「事件処理する職人」としての官僚に過ぎないことになってしまう。

 

 この点、ドイツでの法曹教育を文献から見てみると、「法曹の先導者像」に至るための6つの条件を挙げている。

「法曹の先導者像」とは、質の良い学生が教育の結果到達するであろう像であり、法曹養成の結果、ここに画かれた像が現実の姿として見られることが期待されている。

この教育は、人が法曹のキャリアに入った後でも、より深化した形で継続しなければならないものとされているようである。 

「法曹の先導者像」に至るための6つの条件は、次の1ないしの6の②ようである。

1 法の知識

2 社会的及び経済的な関連を理解すること

3 法律学的思考

4 教養 人間に押された精神上の刻印で、知的なものだけではない。教養のある人は

内面の自由  本質的なものを本質的でないものから区別する能力、及び

② 本物を感ずる感覚及び教養のない人間が有しない精神のレベル、保持する

5 人格

②  距離    距離を置いて正しい批判をする態度

②客観性   事柄を客観的に観察し、当事者に対し中立であること

③ 事物に即すること  事実に沈潜し、これに即して問題を考えること

④ 人間理解   人間の心理を理解し、他人の立場に立って事態を見ることができ、信用できる人間かどうかを見抜けること

⑤ 人間の取扱い  正しい質問によって人に話しをさせることに熟練すること

 決断力

①   判定に合理的内容を与えるために法論理で理由を用意すること

②  自分の見解について勇気を持つこと

 

この中の「5 人格の③④⑤」「6 決断力②」が重要である。

日本の司法研修所でも、ドイツの法曹教育のやり方を中心に据えてなされるならば、「良心を働かせる裁判官」が普通に生まれ、原告しか事実を証明するもの無くても、最初からはねられる事無く、より深化した形での事物に即した問題点の把握から、人間理解、人間の取り扱いにより、勇気ある決断での判決が期待できる。

 その結果は、事実誤認の判決を避けることが出来、それによる国民の民事司法に対する不信感は間違いなく減ることであると考える。 

 日本において、ドイツの法曹教育で求められている「法曹の先導者像」の条件である「事物に即すること」 「人間理解」「人間取り扱い」「勇気ある決断力」を養い深めることを、日本の法曹教育では全く行なっていない重大な欠陥が、すなわち、憲法の求める「良心に従い勇気ある判決を下す裁判官」を生み出さず、「事件処理の職人」を生み出している原因であると考えた。

 

 

 



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