私の思い

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日本の終戦直後4

2018-08-31 07:27:19 | 日記
当時中学校までは義務教育のお陰で・・・この制度は今思うと大変ありがたいことでした・・・貧乏な私には読み書きを学ぶことができたのはこの制度のお陰と・・・さらに高校に進学は1割から2割ぐらいだったと・
・私は勿論母を助けるために働かねばと当然思っていました・・上の兄は高校を諦めて、国策の為作られた専門学園に(学費無料)兄ながら感心しました。だから兄は私に進学するように勧めてくれました。しかし前から諦めていたので受験勉強は全然やっていませんでしたが先生が受験の手続きを・・・先生には本当に感謝を
・・・小・中の先生が影でどれだけ私を支援してくれたことやら・・・さすがだいがくはいけないことは自覚していました。当時日本には就職先がほとんど無く、まだ丁稚小僧さんがいた時代でした。当時は田舎の役場
(大変給料が安く自営の農家の人でないと食べていけない時代)、銀行・信用金庫が憧れの的・・・競争力が大変・・・噂で両親が揃って、銀行預金があること、持屋であること・・・この条件だは到底駄目だと・➗➗諦めていました。高校に入るときから自分の好きな運動で身を立てようと勉強を諦め運動に勢力を打ち込んでいました・・その他懸命に就職先を探しましたが、証券会社(しかも個人証券)・ガラス屋・米屋・繊維の丁稚小僧・・・都会では木炭バスが・木炭トラックが黙々と煙を出しウーウーと唸り声を上げていた。名古屋駅前も小さなビルが2-3件ぐらい(今の私の記憶では)昭和45年以前位まではもちろんスーパーなど無く、名古屋でも公の市場が庶民の日常の買い物場所でした・・喫茶店・レストランもほんとにまばらでした。
皆さん70年前近くの小さな心に残っている記憶なので、事実とは大きく違っているかもしれないと思っていますが・・お許しを・・・海外に置き去られた兵隊さん・民間人・戦災に遭われた人たち何百万の方のもっと凄惨な・悲惨なめに遭われた人たちがいることを私達がもっと知って・・再び戦争が起きないように・・・若い皆さんが推し進めてほしい・・・将来を考えると・・・あなたはどう・・・年寄りの冷や水と・・・ゴメンね偉そうに・・・

スポーツ協会のトラブル

2018-08-30 14:25:27 | 日記
 レスリング協会と同じではないか・・自分のクラブ持ってやっている人が、所属している人が、協会の理事・役員をやってはいけないのでは・・・ここにトラブルの根源があるのでは・・・レスリング強化のトラブルで解ったはずなのに・・・役員を兼務していたら己のクラブを優先してしますよ・・・これを止めないと・・文部省・スポーツ省何をやっているのだ。こくみんのためにやってほしい、指導してほしい、改善しなくては・・・相撲・レスリン・ボクシング・アメリカン・フットボール・体操協会等全てご破産して新しく作るべきだと・・・あなたはどう・・・もっといい方法を・・・いつも私くどいのですが・・国の議員さん何も働きかけない・・・どの議員さんのことも皆さん信用しては・・・どのジャなリストも何も動こうとしない・・うるさいごめんね・・・

終戦直後の日本3

2018-08-29 11:49:30 | 日記
お米を食べることができたのは小学生の時は、正月・お祭りの時ぐらいしか覚えが・・・お腹が空いて空いて蒸しさつまいも・スライスさつまいものフライパン焼き・パンはコッペパン・芋パン・生うどん・・これら配給小麦と物々交換・・・修学旅行も必要なコメを各自持参しないといけない・・・はっきり覚えがないが黒い芋パン・・・畑のきゅうり・トマト・桑の実・柿・梨・いちじく・スイカ・ぐみ(口の周りを真っ白にして)等食べれるものは何でも食べた(近所の畑でちょいと失敬(許してください)・・・兄貴達も各自で・・何をやっていたのやら・・・都市に溢れた孤児たち・・・後にラヂヲ放送<鐘の鳴る丘>大人気でした。学校で使うノート・消しゴム・鉛筆の学用品ほしいけど母に言えなかった。わら半紙に周囲の友達からもらって、取り上げて読み書きしました。家で勉強・・電気代のこと考えるとよる勉強するわけに・・机もないし・・学校での勉強時間で全て頭にいれるようにした。それでもなんとかトップクラスの成績を取れるように学校での勉強は真剣に先生の話を聞いた。学校での記念写真・修学旅行費・・・母の働きを見ていたら男として言えなかった。早く働いて母を助けたい一念でした。学校では勉強・運動・リーダーシップで一番になるつもりで頑張りました。級長・生徒会長はもちろん学芸祭でも主役級で・・・それと両親の教えで弱気を助ける気概があり、いじめられっ子がいたら直ちに相手を懲らしめに・・・そのせいで他生徒の親からは私と仲良くすることを・・勉強を教えてもらうように・・よくたのまれました。お陰で私が鉛筆・消しゴム貸してと友達に云うと
誰も文句一つ言わず私にくれましたので本当に日々楽しく・・・先生も黙って私を助けてくれました・・・だから生徒たちが騒いでいて先生が困っているときは私が全員を黙らせました。本が読みたくても本が・・服は兄貴の古・・教科書も古・・農家の方以外のほとんどの方が食べ物に苦労された・・私のところは9割が農家の生徒だから・・お祭りのときなどは遊びに行って箱ずし・ちらし寿司など大変お世話になりありがとうございました。

終戦直後の日本2

2018-08-25 14:26:50 | 日記
親戚の家に間借り、6畳間に母・男兄弟3人計4人家族・・・田舎だから間借りできたけど、運がいい方である。母は親戚に可愛がられあちこちから食べ物を・・・勿論家財道具を置く場所もなない位・➗勿論茶碗一つ無い・・勉強机はみかん箱で・・台所もなく外で土のコンロ・わかるかな・・・近くの神社に行って松葉・枯れ木を集めて燃料にした・・・火をつける時団扇で煙たいこと煙たいこと・・・家庭用マッチ箱で・・・母は生活費を稼ぐため、タバコをつくって・・たばこ葉を手に入れ、包丁で細かく刻み、タバコ紙の端にのりを塗り、簡易タバコ巻きでくるくると巻き10本単位で一束として、それとまだ砂糖がない時代で代りに当時砂糖の代わりにサッカリンを・・・小さな瓶に入れて・・・母は風呂敷に包み背に背負って・・田舎道を、時には私も母と一緒に田舎の家をあぜ道を歩きながら一軒、一軒歩いて売った覚えがあります。この田舎にも引き上げ者はどのくらいいたのか・・・20家族ぐらいは(私の同級生には2・3人いたのか)母が仕事に出ているときは一番下の私が飯作り役・・・上の兄たちはどこに行っているのやら覚えていない・・記憶に無いのは・・家にはお米がなく私の作る食事はだんご汁・・・それを家族に食わせていた・・学校で弁当を持っていくことができず・・悲しい・悔しい気持ち・・・学校で粉ミルクで作られたミルクが私にはとても美味しいものでした、これをいただけなかったら、栄養失調症になっていたと・・・アメリカが食糧難に子供のために支給してくれたと聞いていました。こんなこと占領地で、幼い心にも感謝しました。この恩は・・・

海外学校校長先生セクハラ

2018-08-25 08:46:33 | 日記
テレビニュースで今日・・福島県教育委員会は12ヶ月の停職処分・・校長は直ちに依願退職・・・おかしいんでは・・・こどもを教育指導する学校の校長が・・・セクハラ・・・直ちに懲戒免職そして今までの給料変換させるべきだろう・・・教育委員会は誰から給料を払っていると思う・・税金だよ・・・前から言っているようにこんな酷い教育委員会は・・・解体せよ・・・退職金まで払っているなんて・・・身内でやっているから自助能力は全然ない・・・国民の税金を取れるだけ取れ・・・父兄会・地元の議員さん。国会議員さん文部省は・・・マスコミは・ジャなリストは・・・ほんとに日本が嫌になる・・・何も動こうとしない・・みんなグルでは・➗若いあんたにお願い・・・改革して・・・聖域を作ってはいけないのです・・・アメリカ大統領・ローマ法王・・・トップがめちゃくちゃセクハラ・・・そんな人たちを崇めているのだ・・・そんな先生を刑務所に入る入れるべきなのに・・・他の学校へまた先生を・・・その人は病に冒されているのだ、治るまで刑務所からだしては・・・民間ならすぐ首なのに公務員は・・・日本を救ってください・・・