和歌山市 紀三井寺
初詣のついでに、というか文化財見学のついでに初詣でをしてきたようなものです。
しかし紀三井寺の境内へは、
「いったい何年ぶりか」
というほど来る機会がありませんでした。
「いつも楼門の前までは、」と、なかなか気軽に立ち寄れないでいるのは、
とてつもなく急で長い階段を登らなければ本堂にたどり着けないという、実はそういった立地のせいで…。
護国院楼門 永正6年(1509年)建立。
通路上部に牡丹と菊の彫刻があるのはちょっと変わっていて、よく目立ちます。
案内板によると、門の中央に板扉を設けて、その他を塗壁としているのは類例が少ない、とあります。
この楼門のあるところから本堂に続く階段を見あげると、その高さは相当なもので、さすがにこれを登りきった境内からは和歌の浦がよく見渡せます。
鐘楼内部。3mほど上に撞木が見えます。
護国院鐘楼
現地の案内板によると、天正16年に安部六太郎によって再建されたと伝えられる、桃山時代の建築様式を残す建築物だそうです。
今日は年始ということで、鐘楼の公開がありました。外観では二層の建物に見えますが、内部は吹き抜けのようになっていて、中央には鐘がつるされています。
護国院本堂
宝暦9年(1759年)の建立だそうです。江戸後期の建築だけあって、壮大なものですが木鼻などの装飾は精緻な彫刻となっています。
正面から見ると破風や瓦屋根が平面的に見えて柱の高さのみが目立ちますが、境内の一段上にある多宝塔のあたりからみると本瓦葺き屋根がずっと大きく見え、建物の複雑な構造とその巨大さがよくわかります。
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初詣のついでに、というか文化財見学のついでに初詣でをしてきたようなものです。
しかし紀三井寺の境内へは、
「いったい何年ぶりか」
というほど来る機会がありませんでした。
「いつも楼門の前までは、」と、なかなか気軽に立ち寄れないでいるのは、
とてつもなく急で長い階段を登らなければ本堂にたどり着けないという、実はそういった立地のせいで…。
護国院楼門 永正6年(1509年)建立。
通路上部に牡丹と菊の彫刻があるのはちょっと変わっていて、よく目立ちます。
案内板によると、門の中央に板扉を設けて、その他を塗壁としているのは類例が少ない、とあります。
この楼門のあるところから本堂に続く階段を見あげると、その高さは相当なもので、さすがにこれを登りきった境内からは和歌の浦がよく見渡せます。
鐘楼内部。3mほど上に撞木が見えます。
護国院鐘楼
現地の案内板によると、天正16年に安部六太郎によって再建されたと伝えられる、桃山時代の建築様式を残す建築物だそうです。
今日は年始ということで、鐘楼の公開がありました。外観では二層の建物に見えますが、内部は吹き抜けのようになっていて、中央には鐘がつるされています。
護国院本堂
宝暦9年(1759年)の建立だそうです。江戸後期の建築だけあって、壮大なものですが木鼻などの装飾は精緻な彫刻となっています。
正面から見ると破風や瓦屋根が平面的に見えて柱の高さのみが目立ちますが、境内の一段上にある多宝塔のあたりからみると本瓦葺き屋根がずっと大きく見え、建物の複雑な構造とその巨大さがよくわかります。
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