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はじめに 化けくらべ (1)森コの茂エ門の自慢コ

2009年12月22日 | 民話
昔から地域には「昔語り」(民話)があった。

市場原理社会を標榜し、格差の拡大が目に余る状態に達した8月、総選挙の「政権交代」は構造改革路線への拒否の現れだった。
しかし、旧勢力は依然として現実の状況を容認できず、旧政、官、民は既得権益死守のために「マスゴミ」を動員してネガテブキャンペーンに余念がない。50数年間の常識 ? を変えるのに3ケ月や半年では変わらない。

ブーメラン効果はことかかない。
当分この状況は続くに違いがない。逃避するわけではないが、こんな時代だから、ここに地域に伝わる民話を取り上げてみたい。

民話はその時代に生きる大衆の哀しみや喜びを伝えるメッセージとも言える。

以下は当集落出身で今は亡き高橋○○翁の記録に一部に加筆にした。無形文化財的秋田弁での昔語りは読むこと、理解することは難しいかも知れない。

化けくらべ   

昔あったけでをな、じっとむがしの川連にやぁ、森コ、平城、切崖、舘ど、このよっち(四)にやぁ、ぬしぁ(主)えで、森コの茂エ門、平城のヒラコ、切崖の季エ門、舘の太助て言て、各々の持ち場コ かだめでぇ、村の人だぢ、昔からおかね(怖い)場所だと、言ってえだどころだった。
  
あるぢぎ(時期)、この、よっちのぬしだぢぁ、平城さあじばて(集まって)、自慢ばなしコ 始めだけど。して(そして)、
四人皆しとじぇ(一緒に) さべり(喋)だしたおで、
なぇ(何)がなんだかわがらなぐなて、しとりぢち(一人)
さべる(話す)ごとぇ決めて、まじ(まず)、森コの茂エ門がら、はじめるごどぇしたけど。

 (1)森コの茂エ門の自慢コ

あるじき(ある時)、野村のあるえの(家)の、わけぇおんコぁ(若者)、明日わあえで(自分の家)、人寄しぇあて、トフコ(豆腐)どアブラゲコ(油揚げ)買いに出はたなぁ、ひらんから(午後)遅ぐえなてがらだけど。

野村のトフ屋でぁ、皆売れぎれでえで しかだねぇぐ、根岸のトフ屋さ えて見だば、「あした早ぇぐ 届げんねば でげねぇ(できない)どごぁあて、えま(今)、でげだどこだ。んだらまじ、さぎえ(先) これ持ってぇえげばええ、明日なぁ 夜なべしてこしゃるえて」て、

しんせぇぢえ(親切に)欲しだげ売ってけだけど、わげぇ(若い)おんコぁ喜ごで、アグビコダシさぁ 買たおのしぇ(入れて)で、出はたぢぎぁ、ちぎ(月)をなぇ 真っ暗な晩えなてしまたでおん。
仕方ねぇぐ、トフ屋がら、提灯コ 借りで えしょぎ(急ぎ)足で、あれぎ(歩ぎ)だしたけでおん。

して(そして)、武エ門のあだりまで来たば、たげ(竹)にしぢめ(雀)の紋ちだ提灯コ たげぇ(持つ)だ 立派なえ(家)の メラシコ みでぇな、おなごぁ 立てえだでを、して、そのおなごぁ、

「あらぁ おめぁどご さぎだ(さっきから)がら 待ぢでえだどごだんし、おらえの ひめさまぁ おめぇどこ おじれしるよえ(連れ)てといぢげ(言いつけられ)だから、どうかしとぢぇ(一緒)きてたんしぇ しぐ(すぐ)そごだんし」て、言うげでを。

わげぇおんコぁ、えぐ(行く)どもえがねぇども 言わねうぢ、手ぇ引ぱて ちで(連れて)えがれたけど、して、そごぁ 立派な門あて、どこがの御殿さ来たけでを。
 
門へぇて(入って)暫く(しばらく)えたば玄関あて、中さへぇたば、廊下の両側さ、着飾た女中だぢぁ ぢらっと ならで むげぇるおだけど。
そご(そこを)しぎで(過ぎて)奥の座敷さ ちでえがれだけど(連れて) その座敷にぁまぢ(とっても) ええ 姫様 ねまて(座って)---- だけど。

「はて? 根岸え こえたどごぁ あてぁたべが、、、、」て 不思議えおもえて、 言われだとうりぇ 姫さまのめぇさ(前) ねまたでを、(すわる) したば姫さまぁ 金のシジコ(鈴)転がしたえな声で 言たけど。

「まぢ えぐ おざたん(良く来てくれました)し あんコ どごぁ じっとめぇ(前)がらよばてける(呼んでくれるように)よえ いぢげ(言いつけて)で えだなだんし。 しぇっかぐ(せっかく)の お運びだんしがら、ゆっくり おぐぢろぎいえ(くちろぎ)なて たんしぇ」

て言われで わげぇおんコぁ、極楽でをな こえだどこ(このような) だべがど思たけど、 して姫さまぁ、「みんなぁ 用意したおの こちゃもてきてけれぇ」
て、言て、やれ酒だ肴だ なのて、山のよえ持てこらしぇで、 大ふるめぇ(振舞)えなたけど。

えっぽう(一方)、野村のわげぇおんコぁえでぁ(家)、トフコ 買いい えたきり(行ったきり) 夜中えなるたて、 戻らねおだから、むげ(迎) え ではたけど。して、根岸の武エ門のどごまで来たば、森コのほがら唄コなの歌て、おっかね(たいへん)ぇ にぎぁやが(賑やか) な 音ぁしる おだけど。

「なぇだべ? は あの声ぁ おれえの兄みでぇだ。なえしてるべ 兄いっ なえしてるけな(何をしている)、、、」て、 よばて(呼ぶ)を返事しねぇおで 森コ さえてみたけど。
したば、稲荷堂のめぇで、裸え なて歌たり踊たり してるな わえの兄だけど。して、トフコ なのアブラゲなのぁ なんにを のごて(残って)ねけど。

語り終わた、森コの茂エ門なぁ、しとえぎ(一息)ちで(ついて)、

「あはっはっはっはあ、、あのぢぎぁ(あの時) 出げだで(作りだて)のアブラゲたらふぐ(腹いっぱい)くた(食う)なや、十日ばり 寝でで くて だけなぁ」

「森しゅ(衆)あ んめぇぐ(上手く) やたなや、こだ俺だ」
て 二番手の切崖の季エ門なぁ 語りだしたど。 

つづく
(カットは拝借 以降同じ)
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