『街道を行く』 『歴史をたずねる旅』

『学び』『楽しみ』『社会へ参加』健康な日々

 平成29年遠征旅行    西九州の歴史散策

2017-07-03 17:00:50 | 日記

軍艦島
 今年度の宿泊遠征旅は、歴史の宝庫西九州に出没します。歴史と坂の町長崎から世界遺産になり、脚光を浴びている軍艦島に渡り、その足跡をたどります。
雲仙岳の雄叫びを感じながら、温泉につかり、翌日はキリシタンの城下町島原を訪ねます。そして、あの震災の傷跡も癒えない熊本を訪ね、その臨場感を味わいます。
歴史のみならず、災害の多い我が国の現状を視察し、熊本を応援しましょう。

【開催日】平成28年10月19日(木)~21日(土)2泊3日
【集合場所】 羽田空港第1ターミナル全日空受付
【集合時間】 午前7時30分ごろ
【解散場所、時間】 羽田空港午後7時ごろ
【参加費】 135,000円 航空機代(往復)、ホテル代2泊、夕食代2回、昼食代3回、バス代  ガイド代、各種交通費、入館料等込み
      
【コース】
 10月19日(木)
    羽田空港全日空661便8時15分発~長崎空港10時15分着~リムジンバス~長崎市内(居留地付近ガイドと歩く)2時間~その他は自由散策~ホテル泊
 10月20日(金)
    ホテル~専用バス~長崎港~軍艦島ツアー~長崎港~小浜日本一の足湯~雲仙ロープウエー~雲仙地獄めぐり~ホテル 
*軍艦島ツアー中止の場合はコース変更有
 10月21日(土)
    ホテル~専用バス~島原散策(ガイドと共に散策)~島原港~フェリー~熊本新港~熊本城周辺など見学~熊本空港~羽田空港全日空648便 午後7時

【ガイド】 ガイド予定 長崎さるく 島原ボランティアガイド 熊本よかとこ案内人
       
【宿 泊】
・10/19(木)JR九州ホテル長崎 
  〒850-0058 長崎市尾上町1番1号
TEL.095-832-8000
http://www.jrk-hotels.co.jp/Nagasaki/index.php 

・10/20(金)雲仙宮崎旅館    
   〒854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙320番地
TEL 0957-73-3331
    http://www.489pro.com/asp/489/menu.asp?id=42000005&ty=lim&plan=150,73,11,30,146,151&lan=JPN

【その他】
1. ホテル・旅館の追加料金の件
・10/19(木)JR九州ホテル長崎のシングルユースはお一人様あたり+8,000円
・10/20(金)雲仙宮崎旅館は和室乃至和洋室で4人部屋です。
  お一人様あたり 1人部屋は+14,050円、
  2人部屋は+5,400円

2.キャンセル料の件
  ⇒9月25日(金)までキャンセル料は発生しません。以後のキャンセル料は下記になります。
・9月26日(土)~10月12日(木):旅行代金の20%
・10月13日(金)~10月17日(火):旅行代金の40%
・10月18日(水):旅行代金の50%
・出発当日:旅行代金全額 

【訪問先メモ】

<長崎市内・居留地付近>

【大浦天主堂】

元治元年(1865年)フランス人神父フューレ、プチジャンの両神父の努力によりフランス人のための教会として献堂式が挙行されました。本来、この大浦天主堂は日本で二番目に建造されたものですが、日本初の横浜天主堂が、大正12年9月1日の関東大震災で消失したため、日本最古の天主堂となった次第です。浦上潜伏キリシタンが、プチジャン神父に名乗り出て、約250年ぶりに日本カトリックの復活が実現したのもこの大浦天主堂での出来事でした。正面に設置してあるマリア像は、信徒発見の記念であり、慶応元年3月17日と記してあります。

【グラバー園】

長崎市内が見渡せる絶景な丘にある、トーマス・グラバーさんが住んでいたグラバー邸です。イギリスの貿易商人であり、人を殺す道具(鉄砲など)を運んで来たため「死の商人」とか「禿鷹の様な商人」などと呼ばれましたが、その後の日本のためにはなくてはならぬ偉大な人だったのです。三菱造船所、高島炭鉱、私設電話、キリンビール、トロール漁業、日本青年(伊藤博文など)の英国留学援助など全て日本初の事柄で、このグラバーさんが教えてくれたのです。

【オランダ坂】

長崎の居留地にある坂道は、どこもみなオランダ坂と呼ばれております。昔より長崎は、出島貿易の関係上、オランダ人との付き合いが長く、オランダ人のイメージがものすごく強かったのです。開国の後、イギリス・フランス・アメリカ・ロシア・プロシアなどと世界各国から外人さんが来る様になり、外見を見た時“紅毛碧眼”であるため、誰がどこの国の人か区別出来なかったそうです。その時、長崎の人は面倒くさくなり外人さんを見たら「あん人達やあ、オランダさんに間違いなかばい」と言い、外人さんが通る坂道をオランダ坂と呼ぶようになりました。

【出島商館跡】

長崎の出島は、キリスト教の布教を阻止するために、徳川幕府の命令により扇形に造成された人工島で日本唯一「世界に開かれた窓口」だったのです。この島に上陸した外人さんは、許可無く二度と島外に出られなかったので「海の牢屋」とか「体裁の良い牢屋」と呼んでいたそうです。
出島に来る外人さんは、単身赴任が原則であり外人さんと日本遊女のロマンスが残っております。一番有名な話が「シーボルトと日本人妻お滝さん」です。

【平和記念像】

この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、原爆犠牲者の鎮魂と永遠の平和を願い、天を指す右手は「原爆の脅威(長崎の過去)」を、水平にのばした左手は「平和(長崎の未来)」を示し、 軽く閉じた瞼は戦争犠牲者の冥福を祈っている
北村西望氏作

【長崎原爆資料館】

被爆の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、および核兵器開発の歴史、平和希求などストーリー性のある展示を行っています。

<長崎港>

長崎港 は、1571年開港し、オランダや中国との交易で栄え、さまざまな文化や学問を発信してきました。 19世紀には、日本と中国(上海)の架け橋として、多くの人の交流の場となりました。
 現在は、日本屈指の観光船寄港実績があり、長崎水辺の森公園など親水空間が整備され、多くの人に親しまれています。

<軍艦島>


<軍艦島の歴史>
1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
 端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。

 石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいました。
当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほどでした

<軍艦島の魅力>
多くの人を惹きつけてやまない軍艦島。
その ” 廃墟の島 ” が現在でも人々の好奇心を掻き立てるのは、「島全体が繁栄当時のまま残っている」こと。
 廃墟でありつつも、テレビを始めとする家電や生活の名残がそのまま放置され、昭和の生活を実感することが出来ます。
 現在、1974年から禁止されていた一般立ち入りは解除され、毎年数多くの人が訪れる廃墟の島が重ねた歴史と魅力を体験してみませんか?

<軍艦島の今昔>
1974年(昭和49年)、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより端島炭鉱は閉山。 人々は様々な思いを胸に島を去りました
当時のままの姿で無人島になった端島は2001年(平成13年)、それまでの所有者であった三菱マテリアル株式会社(元三菱鉱業)から正式に高島町へ譲渡され、長崎市の所有となりました。
 2008年(平成20年)、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、端島(軍艦島)はますます注目を浴びはじめます。 2009年(平成21年)4月より島への上陸が許可され、観光・見学が可能になりました。
 ※安全基準を満たした時に限る。

【愛野展望台】

雲仙市の入口、愛野町の国道57号沿いにある展望スポットです。
眼下には波穏やかな橘湾が広がり、南東には雲仙岳が確認でき、美しい景色を一望できます。
物産所やレストランもあり、観光スポットとして充実しています。
「天皇陛下御展望の地」という立札が立っており、 昭和天皇が3回来られた場所です。

<小浜温泉―日本一長い足湯>

小浜温泉には105mという日本一の長さを誇る「ほっとふっと105」という足湯があるのです!豊富な湯量は「湯棚」と呼ばれる源泉から次々と流れ出るお湯を見れば一目瞭然。ちなみに湯棚の上からあふれ出るお湯は下に降りていく間に適温となり、そのまま足湯へと流れ込んでいます。まずは「湯棚」から溢れ出る、圧倒的な湯量と熱気を味わってみましょう

<雲仙 地獄めぐり>


雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)におおわれた一帯が雲仙地獄地帯です。
地獄とは仏教の教えで前世の悪業の苦報を受ける所という意味ですが、至る所から高温の温泉と噴気が激しく噴出し、強い硫黄臭が漂う中、湯けむりをもうもうと立たせるさまは、恐ろしげな地獄の景色そのものと言えるでしょう。

雲仙地獄のエネルギー源は、橘湾の海底のマグマ溜りだと考えられています。このマグマ溜りから発生した高温高圧のガスは、岩盤の裂目を通って上昇し、その途中で化学変化を起こし、いったん高温熱水となります。その熱水の沸騰によって生じたガスが、激しい噴気となって現れており、雲仙の温泉はこのガスとまわりの山からの地下水が混ざり合って生成されたものです。

【大叫喚地獄展望所】

雲仙の地獄で最も噴気の激しい場所で、間近で噴気現象を観察することができます。展望所には「大叫喚地獄」の石碑が整備されており、記念撮影にご利用ください

<島原城下町散策>


【島原城天守閣、西望記念館・観光復興記念館】

島原城は、1964年に復興された五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓を配し、安土桃山様式の壮麗な面影を残しています。

天守閣はキリシタン史料館として島原の乱にまつわる数多くの史料を展示しており、西望記念館は日本彫塑界の巨匠で文化勲章を受賞した郷土出身の芸術家北村西望氏の代表作を展示している施設です。
また観光復興記念館では198年ぶりに噴火した雲仙普賢岳の噴火活動の経過を写真、模型、200インチのスクリーンで紹介しており、火山学習に最適なスポットとなっています。

【青い理髪館】

大正ロマン香るレトロな洋館建築
森岳商店街の一角にあるレトロな洋館建築。元々は理髪舘でしたが、現在は喫茶店・ギャラリーとして島原城周辺散策の癒しスポットとしても知られているのだとか。長崎名物「ミルクセーキ」もあります

【旧平戸屋】

かつて『平戸屋』と呼ばれ、吉田松陰が宿泊した保里川家住(江戸末期建造)

【宮崎酒店】

明治の雰囲気が残る酒屋
青い理髪舘と同じく、森岳商店街にある明治の造り酒屋の景観を保った酒屋。木造2階建ての店舗は酒蔵や煙突とともに、国の登録有形文化財に登録されています。

<熊 本>

【熊本城】

加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建である[1]。宇土櫓などの現存する櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている。
2016年4月の熊本地震の際に、現存石垣をはじめ宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元・復興建築が被災した。