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第94回「歴史を訪ねる旅―逗子の古刹を歩く」のお知らせ

2014-03-21 09:58:07 | 日記
神武寺

逗子は鎌倉に近いですがあまり馴染みが無いと思いますが、奈良時代の高層「行基菩薩」は関東にも2回来た事が知られています。
逗子には行基菩薩を開祖とする寺寺(「神武寺・岩殿寺・延命寺」)や、頼朝や頼朝の長子悪源太義平のゆかりの寺があります。
初夏の逗子で古刹巡りをしませんか?


実施日 : 5月17日(土)
集 合 : JR東逗子駅改札口 9:45
※.逗子駅ではありません。逗子駅から1駅久里浜寄りです。 
交通アクセス:
  東京駅(8:11 久里浜行)→9:23 東逗子着
東京駅(8:28 久里浜行き)→ 9:39 東逗子着
  東京駅(8:21 アクティ小田原行き)→大船で久里浜行に乗換え
9:23 東逗子着
        
コース : JR東逗子→神武寺→光照寺→海宝院→東逗子=電車
(12:01)=JR逗子駅(駅界隈で昼食) 昼食後 →岩殿寺
 →妙光寺→延命寺→JR逗子駅 (15:30頃)

参加費 : 正・家族会員 3,000円、 準会員・一般 3,500円
      (ガイド代、資料代、昼食代、拝観料等を含みます)
       東逗子→逗子間のJR代は各自でお支払下さい。
ガイド : 鎌倉ガイドの会
昼 食 : 逗子駅の手打ち蕎麦や「みなも」を予約しました。
      下記から選んで下さい。
      1.小海老天丼 2.鮪とろろ丼 3.しらす・いくら丼
          ※ 小蕎麦・お新香が付きます

当日の緊急連絡先; 久保田 携帯 080-2065-5348
          國米 携帯  080-3011-1253
          宮坂 携帯  090-8749-2958

<お申込みの方> 
 1.正会員と準会員では参加費が違います。会員番号がある方はご記入下さい。 
   (会員番号のご記入が無い方は準会員・一般の価格になります。) 
 2.緊急連絡先(携帯電話番号)のご記入をお願い致します。
 3.逗子駅の手打ち蕎麦や「みなも」を予約しました。
下記から選んで下さい。
    1.小海老天丼 2.鮪とろろ丼 3.しらす・いくら丼 
 
 
訪問先1口メモ】
【神武寺】 

神武寺は724年(神亀元年)、聖武天皇の命によって、行基が十一面観音・釈迦如来・薬師如来を彫刻し祀ったことがはじまりだといわれている。薬師堂は、慶長3年造立上葺棟札のある建造物で、神奈川県の重要文化財。本尊は薬師三尊(逗子市重要文化財)。 秘仏とされ33年に一度開帳されている。境内に聳える「なんじゃもんじゃ」の木。神奈川名木100選。神武寺は鷹取山とともに「かながわの景勝50選。

【光照寺】 

沼浜郷に館を構えたという源義朝の長子悪源太義平(註1)の菩提寺だと伝えられている.本尊阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の作と考えられ、光触寺の阿弥陀如来立像の系統に属するといわれており、神奈川県の重要文化財に指定されている。
註1 :悪源太義平~
 源義朝の長子であるが、母の身分が低かったため、嫡男は三男の源頼朝であった。叔父義賢(木曽義仲の父)を討ったことで「悪源太」と呼ばれている。平治の乱で敗れて斬首された。

【海宝院】 

徳川幕府直轄地三浦郡の代官長谷川長綱が開基。家康寄進の十一面観音が本尊。山門を入って左手の鐘楼に吊された銅鐘は、1403年(応永10年)の銘のあるものいる。 
伝説では、北条早雲が新井城の三浦道寸を攻めるときに陣鐘として使用したもので、長谷川長綱が徳川家康より拝領したものと伝えられている。

【岩殿寺】

徳道上人と行基菩薩が開き、花山法皇、後白河法皇が参詣し、そしてとりわけ頼朝が篤い崇敬を寄せた観音霊場。源頼朝も参詣したという、坂東三十三観音の札所。山門脇に明治後期の作家・泉鏡花の句碑がある。「逗子景勝十選」にも選ばれています。

【妙光寺】

寛正(1460~1465)という年のある日、美濃の生まれである賢信と名乗る僧が読経三昧に耽っていたある夜のこと、岩窟の外に読経の声を聞き、また同じ頃、富長の夢枕に日蓮様がお立ちになって、戦乱の折、我が像が土中に埋められているから掘り出して祀ってもらいたいと、お告げになったというのです。 富長と賢信は読経の聞こえたあたりを掘り起こしてみました。すると日蓮様の小さなお像が出てきました。二人は近くに小さな庵を建て、賢信が庵主となってこのお像を祀りました。寺は父の法名(戒名)「法久」と母の法名「妙光」をとって、「法久山 妙光寺」と名づけました。

【延命寺】

奈良時代聖武天皇の天平年中、行基菩薩自ら作られた延命地蔵尊を安置したことが当山の始まりである。弘法大師が当山に立寄り、延命地蔵菩薩の厨子を設立せられる。その後、住民の尊信が高まり、この地を「厨子」と呼び現在の「逗子」という地名の発祥と伝わっている。