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看取り・・・最後の医療

2016年02月22日 | 一般ニュース
(フォーラム)最期の医療:1 心配なこと
2016年2月22日 (月)配信朝日新聞

 だれにでも訪れる人生の最終段階。「最期の医療」については、こうありたいという考えはさまざまです。そのとき、どうなるのか、心配なこともいろいろあります。朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた回答を紹介するとともに、最期を迎える患者を長年支えてきた看護師に、話を聞きました。

  ■痛み和らげ、家にいたい

 アンケートには、病にある方、家族をみとった方などからの切実な声が寄せられています。抜粋して紹介します。

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 ●「現在、スキルス胃がんの治療中で入院しています。何度も胃穿孔(せんこう)を繰り返し手術もできず、痛みとの闘いです。痛みを和らげて少しでも自宅で過ごしたいのが本音です」(熊本県・40代女性)

 ●「末期がん患者です。抗がん剤治療を受けると同時に、ホスピスのある病院での緩和外来受診をしています。私の最期を看病するのは夫になりますので、女性が看病する場合とは違う負担があるとわかっています。そのため、最期はそのホスピスで延命治療は一切なしで、と考えています」(滋賀県・50代女性)

 ●「現在乳がんを患っている64歳独身。在宅で死にたいが、どこまで公共医療が使えるのか知りたい。娘は独身で看護師として懸命に生きているので迷惑はかけたくないが、身内がいるのに頼れない、頼らないでは世間が許さないだろう」(香川県・60代女性)

 ●「今まさに治療不可能の状態にいます。最初の手術から30年経過しています。何回か手術し、放射線、抗がん剤を続けて今回は、自然に任せることにしました。でもこれであと何

カ月・何年生きていけるのかこれから動けなくなってどんな死に方を迎えるのか不安です。最後に家にいたいのはやまやまですが、家族に負担をかけることはしたくありませんし、できないのではないかという思いです」(栃木県・60代女性)

 ■話し合い重ね、在宅で看取り

 ●「3カ月前に夫を在宅で看取(みと)りました。スキルス胃がんでした。がんと分かったときに子どもを持たない2人暮らしでしたので、最後をどのように迎えたいかを何度も話し合いました。『最後まで在宅で一緒に過ごす』『最初の抗がん剤が効かなくなったら、その後は抗がん剤を含む延命治療は受けない』『痛みと苦痛だけは取ってもらう』。在宅医療チームのかたがたに恵まれ、手厚い看護を受けました。亡くなる前日まで意識があり会いたい人たちにも会えて、『ありがとう』を1人ずつに言って亡くなりました。見事な人生の終わり方でした」(埼玉県・70歳以上女性)

 ●「自宅で最期を迎えることを希望していた母親を病院で延命治療を施さずに見送らざるを得ず、必ずしも本人の希望通りには行かない現実を経験した。自分も自宅でと思っているがそのようにうまくいくか疑問」(神奈川県・70歳以上男性)

 ●「昨年11月、29歳の娘を自宅で看取りました。大きな病院から自宅に帰る決断は厳しく、なんだか病院から追い出されるような気がしました。昏睡(こんすい)状態でしたが、穏やかな表情に『帰ってきて良かった』と思いました。訪問看護師さんもよくみてくださってありがたかったです。最期は両親に抱かれて旅立ちました」(東京都・50代女性)

 ●「101歳の母が脳梗塞(こうそく)で倒れて4カ月になります。治療のために、静脈点滴から経鼻栄養へと移行し、哀れな姿で寝たきり状態です。リハビリ病院の治療のおかげで反応が良くなってきている姿を見ると、そして本人の生きようとする意志を感じると、どんな姿でも生きていて欲しい、治って欲しいと思います。延命治療を望まぬ姉と意見の違いで悩んだ日々でしたが、いったん、病院での治療を受けると、つながれた管を外すことなどとても出来ません」(神奈川県・60代女性)

 

 ■死からさかのぼり、人生を見つめ直す 京都大学大学院教授・田村恵子さん

 がん看護専門看護師として緩和ケア病棟で最期を迎える患者の姿を約20年間見続けてきた京都大学大学院教授の田村恵子さん(58)に、アンケートの回答を踏まえ、最期への準備のあり方を聞きました。

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 回答の傾向はほぼ予想通りです。ただ、お金に対する不安がこれほど大きいとは。ちょっと意外でした。これまでなら、まず「苦しくないように」「家族に迷惑をかけないように」と来て、次に「お金も必要」と続くのですが、お金への不安が家族への負担と同じくらい多い。経済が不調で将来が心配なのか、お迎えが迫っていない回答者が多いからか。

 私の専門のがん看護で緩和ケア病棟の例を挙げれば、差額ベッド代は確かに高額になることはありますが、終末期だからといって医療費が急に増えることは考えにくいです。

 家族に負担をかけたくない。心情は分かりすぎるほど分かります。お金はかかるし、実際に世話をしてもらわなければならない、とか。でも老若の順番ですよ、負担をかけるのは仕方ありません。ただ、過度でなければ「迷惑をかけたくない」という気持ちは世話を受けた際に感謝の気持ちにつながりやすく、良い面もあります。

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 <おろおろ、もったいない>

 死は誰にも平等に訪れます。しかし日本人は人生の最期を考えることを忌避しすぎです。考えずにいて、いざその時が訪れると「どうしたらいいか」とおろおろする。残りの貴重な時間をどう過ごすか、考えることに費やし、したいことができないかも知れない。もったいないです。

 以前、師長をしていた大阪・淀川キリスト教病院でのこと。大好きなクルーズに夫婦で何回も出かけていた社長さんが、目標だった世界一周に手が届く寸前でがんを再発、入院してきました。本人は退院の望みを持っていましたが、病状は一気に悪化。周りから見れば、お金も時間もあり、十分好きなことを楽しめただろうと思えても、本人は「え、これで俺の人生は終わるのか」とずっと泣いていらした。見ていて、切なかったですね。もう少し早い段階で自分の最期を直視していたら、人生の最終段階をもう少し別の形で過ごすことができたと思うのです。

 人生のどこかの時点で「自分もいつかは死ぬ」という逃れようのない事実をまず受け止めましょう。そこからさかのぼって人生を見つめ直し、捉え直すという作業をしてほしいと思います。

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 <病気やケガはチャンス>

 とはいえ、何事もなく生きている時に、自分の死を思うのは難しい。命にかかわる病気やケガをした時は、逆に、自分の最期とこれからの人生を考えるチャンスだと捉えてほしいのです。

 がんは今では5年生存率が6割に迫り、必ずしも死ぬ病ではなくなりました。私はがんのケアの中で、早期がんを治療して治癒した時、つまり患者さんが一番喜んでいる段階であえて「これからの人生とご自分の最期について考えてみませんか」と問いかけていました。

 「今回は『無罪放免』ですが、再発や転移の可能性はゼロではない。今ならじっくりと考えられます」と話せば、患者さんは将来に少し不安があるから、みなさん納得して、深く考えてくれます。この時間が大切なのです。

 一人で考えるのと同時に、家族と話し合ってほしい。その時に家族の方には「やっと治ったのに、死ぬ話なんて縁起でもない」という対応だけはしないでとお願いしたい。患者さんが孤立してしまいますからね。

 こうした、終着点からさかのぼって人生を捉え直す作業が、人生の最終段階で時間切れにならないための最も大切な準備だと思います。

 (聞き手・畑川剛毅)

 

 ◇次回28日は『最期の医療:2 何を望むか』

 ◇アンケート「どうする 最期の医療」をhttp://t.asahi.com/forumで実施しています。ご意見はasahi_forum@asahi.comでも募集しています。

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