鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

『アルフェリオン』まとめ読み!―第46話・前編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 まだ思い出しては駄目。
 ものごとには、そのために予め定められている《時》がある。

  (エルヴィン・メルファウス)


◇ 第46話 ◇


1 第46話「深淵(前編)」連載開始!



 昼間も薄暗い艦内の廊下、淡い闇の向こうにあやかしの娘の白い衣装が見える。
「こんにちは。銀の荊」
 エルヴィンは真顔のまま唇だけを緩めた。
「こ、こ、こん……」
 声が出てこない。にわかにルキアンは喉が渇くのを感じた。急ぎ足で格納庫へと向かっていたにもかかわらず、ルキアンの歩みは反射的に停止し、彼の動作全体も金縛りにかかったかのように強張ってしまった。
 その間にもエルヴィンは徐々に近寄ってくる。ふわり、ふわりと重力感を忘れさせる彼女の足取り。その光景は、人の子を《異界(パラミシオン)》へと誘惑するという、無邪気ながらも危険な妖精の踊り子を想起させる。
 ――何だか分からないけど、苦手というか、彼女を前にすると……。
 ルキアンは、出来損ないの機械人形のごとく、突っ立ったまま呆然としていた。
 恐れているとか、緊張しているとか、意識しているとか、そういう何らかの説明可能な心の動きゆえではない。もっと本能的で無意識な衝撃。ルキアンは、エルヴィンを前にするといつも特異なプレッシャーを覚えざるを得なかったのである。
「えっ?」
 気がつくとエルヴィンは目の前に立っており、彼女の白い指が、ルキアンの胸をフロック越しに軽くつついた。
「な、何、その、急に?」
 狼狽するルキアンをよそに、エルヴィンはさらに奇妙な振る舞いに出る。彼女はルキアンの背中に手を回し、彼の胸に耳を当て、何かを聞き取ろうというふうな身振りをしている。不意に自分の胸の内にエルヴィンの体の存在を生々しく感じ取り、ルキアンは顔を首筋まで赤らめた。
「可愛い子豚さん」
 エルヴィンは、ルキアンの上着の下に手探りで何かを発見すると、意味ありげに肯いてルキアンを上目遣いに見つめた。表情の欠如した、透き通った虚無の瞳で。ルキアンは反射的に目をそらそうとするも、むしろ二人の視線は正面からぶつかってしまった。
「あなたが肌身離さず持っているもの」
 彼女の二言目でルキアンは意図を理解し、思わず上着の内ポケットに手を伸ばした。慣れ親しんだ優しい手ざわり、例の古びた布製のマスコット、物心つく前から彼が持っていたであろう小さな豚のぬいぐるみだ。

  あなたと失われた時との唯一の絆。
  でもそんなものは捨ててしまえばいいのに。
  絆が取り戻されることは、封が切られること。
  記憶は刃となり、時に持ち主の生を奪う。
  真実は喜びのためにだけあるのではない。

  絆など永劫の淵に沈めておきなさい。
  扉の先にあったものの意味をずっと知らぬまま、
  あなたはあなたでいられるよ。
  それでも絶望に向かって希望を見いだしながら進む、
  虚ろなお馬鹿さん。

 硝子造りのベルが軽やかに響くように、エルヴィンの声は澄んだ謎歌を紡ぐ。

「どういう意味? 何ですか。からかうのはやめてよ。僕は、僕は今から……」
「くすっ。だったら、もうひとつ教えてあげる。《今回は特別》だから」
 やっと我に返りつつあるルキアンに対し、エルヴィンは予言詩めいた新たな言葉を語り始めた。不意に、彼女の体から何かが迸る。火花が――実際にはそんなものは散っていなかったにせよ――しかし青白い火花が辺りに舞ったかとルキアンには感じられた。相変わらず人間離れした、エルヴィンの凄まじい魔力。

  荒れ狂う炎を宿した戦慄の戦士。
  金剛の爪は、立ちはだかるものすべてを引き裂き、
  血に飢えた牙は敵の肉を喰らう。
  憤怒の面は顕現し、天の騎士は慈悲なき鬼神と化す。
  その無双の力の前に、抗う者は己の運命を嘆くであろう。

「私には見える。《宿命(ほし)》が見える、銀の荊よ」
 もう一度、エルヴィンはルキアンの目を真正面からのぞき込む。
 妙に長く思える沈黙の時間が、数秒――それから彼女は声を立てて笑った。

  《ごきげんよう》

 そう告げて彼女は、薄暗がりの向こうにすうっと立ち去っていく。
 憑き物でも落ちたかのように、ルキアンの体は再び自由を取り戻した。

 ――荒れ狂う炎を宿した戦慄の戦士。似たようなことを前にも聞いたような……。あれは、風の力を宿した飛燕の騎士、ゼフィロス? ゼフィロス・モードのように、アルフェリオンにはまだ別の姿があるんだろうか。いや、ともかく。

 今しがたのわずかな遅れさえ取り戻そうと言わんばかりに、ルキアンは階下の格納庫に続く階段を駆け足で降りていった。そう、このときには何も深く考えず。


2 忍び寄るソルミナ? バーンの記憶



 エルヴィンと別れた後、ルキアンは――いや、ルキアン本人の心境からすれば、エルヴィンから《解放》された後と表現した方が良いかもしれないが――格納庫に到着し、アルフェリオンの《ケーラ》にその身を横たえた。
 最初は《棺桶》のようだと違和感を覚えていた狭い箱の中も、何度かの出撃を経て、いつの間にか気にならなくなっている。
「あ……」
 機体との一体化に入ろうとしたルキアンは、目を閉じたが、不意にまた目を開いた。そして後から取って付けたように驚くのだった。
 ――こんなふうに、戦うことに対しても慣れていってしまうのだろうか。僕の中の引き金が次第に軽くなる。そうすれば、いつか僕は……。
 不安になったルキアンは、無意識のうちにリューヌに呼びかけていた。あたかも母親の手にすがる赤子のように。だが返事は無い。ミトーニアでパリスと戦って以来、リューヌは、《しばらく休めば回復します》と言いつつ、ルキアンの呼びかけに二度と応えてはいないのだ。
 精神を集中すれば、己を守護する黒き天使リューヌの気配を心の奥にかろうじて感じることができる。そのことにルキアンは安堵するも、このままでは彼女が本当に消滅するのではないかと不安でならなかった。実際、今ですら、わずかにでも気を抜くと分からなくなってしまうほど、リューヌの存在感は微かなものだった。
 ――リューヌ。僕が幼い頃から、ずっと見守っていてくれた。
 パリスとの死闘の際、朦朧とする意識の中で、真実か妄想かも分からないままに思い浮かんだリューヌの姿。木の下でうずくまる幼いルキアンに、直には触れられない手を異界から伸ばし、慰めようとしていたリューヌの姿を。
 ケーラの冷たい金属の壁に、そっと頬を寄せてみたルキアン。兵器としてのアルフェリオンに乗り込むことは嫌いなはずなのに、この狭くて静かな、暗いケーラの空間に抱かれていることに対し、ルキアンは何故か不思議な安逸を覚えてしまう。

 ――それでも僕は……。今はリューヌの助けが無くても、メイやバーンたちを助けるために、行かなきゃ。
 彼は深呼吸し、まぶたを閉じた。意識が遠のき五感が消えてゆく。それと相応しつつ、別のどこかに意識が次第に転移し、徐々に明確になる。魔法合金の複合装甲に覆われた白銀の機《体》を自らの身体として認識し、アルマ・ヴィオと一体になった少年は立ち上がる。
 クレドールの飛行甲板に姿を現したアルフェリオン。兜のバイザーが降り、その下で目が青く光る。輝く六枚の翼が雄々しく開き、風を受けた。
 甲板に艦の念信士、つまりセシエルの声が伝わってくる。
 ――気をつけて、ルキアン君。ナッソス城を囲むあの赤い結界がどんな力を持っているのか、まったく予想がつかない。くれぐれも慎重にね。メイたちをお願い。
 ――了解です。ルキアン・ディ・シーマー、アルフェリオン・ノヴィーア出動します。
 中央平原にぽつんと取り残された丘、その中腹、先程までナッソス家の城が見えていた場所には、半球状の結界が陽炎の如く揺れながら、赤々と明滅していた。その不気味な様子は、遙か高空からもこうして観察することができる。
 意を決したルキアン。アルフェリオンは甲板を飛び立ち、雲の間をすべるように滑空し、待ち受ける《盾なるソルミナ》の領域を目掛けて降下していくのだった。

 ◆ ◆

 ムートとの戦いの途中で不意に意識を失ったバーンは、再び目覚めていた。
 ぼんやりした視界、次第に周囲の様子がはっきりとし、背中に柔らかい布団の感触があった。状況はまったく分からないが、とにかく眠っていたらしい。
 寝ぼけ眼をこすりながら、バーンは視線を真っ直ぐ先に向けた。質素な天井が見える。明らかに見覚えがあった。寝転んだまま彼は周囲を見渡す。
 四方は薄緑色の壁紙に覆われている。そのまま目線を移動していくと、壁に剣が掛けられているのが分かった。
「あれは……」
 知っている。あの剣はバーン自身のものだ。いや、正確には、かつて使っていたサーベルであった。鳥やツタをあしらった透かし彫りの鍔、螺鈿細工の施された鞘、黄金色に輝く金具がふんだんに使われている。これを支給され帯びることのできる名誉とともに、彼は、このサーベル自体を手放してしまったはずだ。クレドールのエクターとしての彼は、カルダイン艦長にならって、やや広刃の旧時代的で無骨な剣を帯びている。
 続いて視界に飛び込んできたのは、白地に金と赤の装飾が施され、真鍮のような金属でできた大きなボタンの付いた衣装。バーンには似合いそうにもないお上品な制服である。
 そう、それは《制服》だった。
 クレドールに来る前にバーンが所属していた、近衛機装隊の訓練生の制服に相違ない。
「俺は一体、何を……。これは、夢?」
 バーンはおもむろに上体を起こす。
「いや、夢を見ていたのか」
 さほど広くもない部屋の中、隣には別のベッドがもうひとつ置いてあった。
 ――あいつ……。
 一瞬、ある人間のイメージが彼の脳裏をよぎった。
 少し肌寒く感じながら、バーンはベッドを離れて窓の方に向かおうとした。明るい日差しが差し込んでいる。出窓状になったところに、素焼きの鉢と植木が置かれている。殺風景な部屋にあって貴重な緑だ。水やりが足りないのだろうか、朝顔を思わせる鉢植えの植物は少し元気が無さそうにみえた。
 背後で声がした。よく知っている響きだ。
「おはよう、バーン。また寝坊か――と言いたいところだけど、今日は珍しく朝の訓練がないからよかったね」
 筋肉隆々のバーンとは対照的に、細身ながらも引き締まった体格の若者がそこに居た。背丈はバーンと同じくらいだから、かなりの長身だ。おかっぱ風の髪型は、金髪であることをのぞけば、どことなくルキアンにも似ている。だが、ルキアンとは違って明るく輝くような微笑みの持ち主である。彼は笑顔とともに言った。
「そうそう、その鉢植えに水をあげないと。ここのところ訓練も試験勉強も大変だったから、ほったらかしで、可哀想に干からびているよ」
 いかにも貴族の御曹司といった上品で優雅な雰囲気の若者だが、《お坊ちゃん機装騎士団》と呼ばれる近衛機装隊にあって、他の訓練生にありがちな慇懃無礼さや気位の高さ、そして無邪気な意地の悪さが彼には見られなかった。

 急に深刻な顔つきになり、考え込んだ後、バーンはつぶやいた。彼の名を。
「エミリオ?」
 近衛機装隊・訓練生時代のルームメイトだ。庶民出身でなおかつ田舎者のバーンが上手くやっていくことのできた、数少ない友人。

 しかし彼は、もうこの世には……。


3 「ダアスの眼」が開くとき、御子は…



 地平にまで及ぶ春草の絨毯、光翠の大洋が果てしなく広がり、所々に赤茶けた荒れ地が見え隠れする中央平原。そこにただひとつ、絶海の孤島さながらに取り残された緑の丘。だが、自然の創り出す美とは明らかに異質な何かが、先ほどまでナッソス城のそびえていた場所に姿を現していた。
 ――嫌だな、この感じ。さっきから、じっと見つめられているような気味の悪い感じがする。あの赤い光、まるで《生き物》みたいにみえる。
 あってはならないもの。異様な光景にルキアンは思わず息を呑む。丘の中腹に現れた血色の壁、陽炎の如くゆらめく紅玉。その表面のあちこちで光が赤々と明滅する様子は、見る者にやはり何らかの意志を感じさせずにはいない。あるいは霊的な鼓動が伝わってくるとでも表現すべきだろうか。
 結界の向こうを見通すことはできないが、今までと同様、ナッソス城がそこにあるはずである。連絡の途絶えた仲間たちも、恐らく、その中に……。
 クレドールから出撃し、ナッソス城前の主戦場に到着したアルフェリオン・ノヴィーアは、問題の結界から十分な距離を取りつつ、蒼穹と大地の間で静止した。輝く6枚の翼を広げ、白銀の甲冑と光の矛で武装した天の騎士。その姿はまさに雲間から降臨した神の御使いを思わせる。乗り手の頼りなさとは裏腹に、やはり恐ろしいほどの威厳を備えた機体であった。
 一旦は後退し、ナッソス城のある丘を遠巻きに包囲していたギルドの陸戦隊は、天空から突如として舞い降りたアルフェリオンの姿に、本能的に畏敬の念すら覚えた。
 ――何だ、あのアルマ・ヴィオは?
 ――見たこともない機体だが、いや、ひょっとして……。
 ギルドの繰士たちは念信で口々に言う。
 ――えぇ。クレドールが来ているから間違いないわ。
 ――コルダーユでガライア艦2隻を一瞬で沈めたという、あの旧世界の怪物か?
 ――ナッソス家の《レゲンディア》クラスのアルマ・ヴィオを倒し、ミトーニアを守った、あれか。
 そのうち1人が機体の名をつぶやいた。

 ――銀の天使、アルフェリオン。

 その名を確認するかのように、しばらくの沈黙があった。賞賛とも好奇ともとれる様々な心の声が、念信を通じてあちこちからルキアンにも伝わってきた。
 ――あれがアルフェリオン? 初めて見たぜ!
 ――勝てる、これで勝てるぞ。
 ――結界の向こうに消えた相棒たちも、きっとアルフェリオンが助けてくれるさ。
 これらの念信は、別にルキアンに直接語りかけているわけではない。だが、飛び交う言葉を聞いているうちに彼は、恥ずかしいような、むしろ褒められたくないような、複雑な気持ちになった。
 この思いは何なのだろう。彼自身、うまく心を整理できていないが、これは《戸惑い》なのか。どのように受け止めて良いものか。現状と照らし合わせて考え得るほどの、同様の《経験》が彼の中には無かったのである。そう、多くの人々にこのように褒め称えられ期待されることなど、ルキアンの18年の人生の中で初めての体験に他ならない。
 ――僕は……。
 だが、これまで思い至ったことのない不思議な気分になり始めた少年を、それ以上に強烈な《直感》が現実に引き戻す。ナッソス城を呑み込んだ結界がどのようにして生じ、いかなる力を持っているのか、ルキアンには分からない。それにもかかわらず、ひとつの生々しい衝動のようなものが彼に教えた。
 ――嫌な感じが心の中からわき上がってきて、止められない、胸が苦しい。よく分からないけど、とにかくあれは危険だ。早くメイたちを助けなくちゃ。
 曲がりなりにも魔道士の素質を持つ少年は、自らの直感に二種類のものがあることをすでに経験的に知っていた。ひとつは漠然とわき上がってくる意味不明なそれ。そしてもうひとつ、本人自身にも否定し難い、理性のもつ批判の眼差しすらもねじ伏せてしまう《啓示》のような類のものがあることを。彼がいま感じているのは、明らかに後者だ。
 ――どうしてだろう。コルダーユの街を離れて以来、日に日に、この手の直感が以前より強く働くようになってきた。いや、違う。本当は……。
 彼自身、よく理解していた。認めたくない結論。
 ――戦うたびに。戦うごとに、何かが僕の中で物凄い勢いで変わっていく。それが怖いんだ!
 一刻も早くメイやバーンたちを救わねばならないのだが、一瞬、ルキアンの心は別の何かにとらわれてしまった。
 ――そう。特にあのとき。ミトーニアの闘技場跡の戦いで、アルフェリオンをゼフィロス・モードに変形させたとき、心にイメージが。《目》が開いたような気がした。あれは……。
 あの得体の知れない表象は何を意味していたのか。突如として脳裏に浮かんだ《眼》、それはルキアン自身を凝視しているようにも思われた。だが、彼は何故か直感したのだ。あの《眼》は、自らを見つめる別の何かに属するものではなく、まさに自分自身のものなのだと。
 ――僕の中の《眼》は、眠りから覚めたばかりのように半開きで、戦う僕をずっと見ていた。同時に僕は、戦っているときに、時々、心の奥の《眼》を通して敵を見ているという錯覚にとらわれた。必死だったからよく覚えていないけど。そして、何度か戦闘の中で激高して我を忘れた瞬間、僕は感じた。あの《眼》が、なんていうのか、開こうとしているのを。
 不意にルキアンには、周囲の風景を見ることが――ただ見るというだけの行為が――怖く感じられた。なおもその間、アルフェリオンの魔法眼を介し、盾なるソルミナの赤い結界がルキアンの視界にぼんやりと映っている。

 ◇

「漠然とは気づいているようだな。《ダアスの眼》を完全に開いたとき、《御子》としての力は真に覚醒し始める」
 薄暗がりの中、ランプの灯りを映して鈍く光る水晶玉。それを見つめる者。影の形からして女性であった。暖炉に燃える火が、彼女の映し絵を石壁にぼんやりと描き出す。炉にくべられた薪がときおりパチパチと音を立てる。彼女の背中で1本に束ねられた金色の髪に、炎の揺らめきが鈍く照り映えて、夢幻の光の粒が闇にこぼれては消える。
「《ダアスの眼》は現世(うつしよ)のことわりを超え、人の子には知る由もない幽界の果てを見通し、やがて《対なる力》との間に《通廊》を開く」
 独り言、いや、預言のように彼女は――紅の魔女アマリアは――つぶやいた。
 と、他に誰もいないはずの部屋の中で別の声がした。たしかに何人の姿もないが、一瞬、部屋の空気全体が揺らいだような、静かながらも重々しい霊気が周囲に漂う。
「あの少年には、まだ迷いがある。自らの中に眠る力の大きさを無意識のうちに感じ取り、それを手にすることに戸惑っておるのじゃ。とはいえ、さすがに我らが盟主《闇の御子》だけあって、何の力もない今でも直感は鋭いのぅ」
 地のパラディーヴァ、フォリオムは姿を見せぬまま語り続ける。
「《ダアスの眼》を一度でも開けば、もう二度と普通の人間には戻れなくなる。覚醒した御子は、人の子にして人の子にあらざる者。本当にそれで、彼は納得するのかの?」
 アマリアの瞳に微かに感情の炎が灯った。低めの声をさらに落とし、しっとりとした声色で彼女はささやく。
「……愚問であろう、ご老体」
 彼女は水晶玉を見つめ、そこに映るルキアンに何かを語りかけようとしているかのごとく、語り始めた。
「《予め歪められた生》の呪いを背負って生まれた御子が、人としての平凡な生の喜びを自らも味わいたいとどれだけ望んでも、それは叶わぬ願い。近くて遠い、手が届きそうで決して触れることのできない憧れに溺れ、見えない檻の中でただ失望を繰り返す日々から、貴君はすでに一歩を踏み出したのであろう? ルキアン・ディ・シーマー。些細なボタンの掛け違いの繰り返しで《普通》に生きることから外れてしまったのではない、宿命とも言うべきもっと巨大な力が貴君の生の背後にあることを、何かが違うということを、感じ取ったのではないのか」
 アマリアは、暗がりに光る水晶玉の上にその手を組み、溜息をついた。
「ならば、恐れずにその《眼》を開け。夢から覚めて夢を見る者、御子よ。運命と戦うためには運命と向き合わねばならない。それに私の占いでは……」
 冷厳なたたずまいの彼女にはいささか不似合いな、何かに陶酔するような、虚無的ながらも妖艶な眼をして、アマリアは遠くどこかを見通した。
「闇の御子よ、今回の戦いには特別な意味がある。結界の向こうに何が待っているのかは私にも読めないが、物見の水晶は告げている。この戦いは、貴君にとって目覚めのための糧であると。そう、《対なる力》の影響力も、《あの存在》の司る世界の因果律と同様に、人の子の思惑など遙かに超えたものなのだよ」


【続く】



 ※2009年11月~2010年4月に、本ブログにて初公開
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