かつて巨人の上原投手が、ベンチから敬遠を指示されて、泣き出したことがあった。
ピッチャーは、バッターを打ち取るために、マウンドに立っている。闘争心をかき立て、渾身のボールを投げ込むために、そこに立っている。
とくに、ピンチの場面ほど、相手が強打者であるほど、その思いが強くなる。
そんなときに、打者と勝負するな、歩かせろ、と言われるのは、とても辛いことである。ムチを入れた馬に走るなと言うのと同じくらい、無理なことである。
そして、良いピッチャーであればあるほど、そう感じるだろう。
WBC決勝戦の10回表、二死一三塁で、イチローを迎えたイム・チャンヨン投手も、敬遠の指示を怖れていたはずだ。
ヤクルトで33セーブも挙げたピッチャーである。
「ああ、イチローと勝負せずに助かった」
と思うようであれば、韓国代表チームの抑えの切り札なんかには、なっていない。
そういう心理状態にある投手に対して、
「きわどいコースを突いて、うまくいかなかったら歩かせる」
という指示は、極めて危険だ。
危険である理由は二つある。
一つめは、ピッチャーは、強打者に対しては、いつも「きわどいコースを突いて」勝負しているので、この指示は、「勝負してもよい」と同義になってしまう。
何としても勝負がしたいピッチャーからすれば、格好の免罪符である。
二つめは、勝負を挑んでいるのに、「ストライクは投げられない」という制限が入ることだ。
例えば、ど真ん中のストレートであっても、バッターが緩い変化球を待っている場合は、非常に有効な球である。つまり、通常ならば、組み立てに応じて、ストライクゾーンにどんどん投げ込んで良いし、むしろ、そうでなければ、打ち取るのは難しい。
しかし、「ストライクは投げられない」となると、途端に、組み立てが難しくなる。
手足を縛られている分だけ、投手が不利になって、打者有利となる。
「きわどいコースを突く」という指示が、あまり良い結果を生まないのは、このためだ。
そして、イム・チャンヨン投手も、イチローに打たれてしまった。
彼は、ベンチの指示を忠実に守りながら、窮屈な制限の中、投手の本能に従って、大打者イチローに立ち向かった。
そこには、目の前のバッターを何とか打ち取りたい、という思いがあるだけで、それ以上でも、それ以下でもないだろう。
一方、サインを出したキム・インシク監督の心には、イチローか中島かという以外に、韓国メディアのイチロー・バッシングやドジャース・スタジアムでのイチロー・ブーイングなど、さまざまな思惑が交錯していたと思う。
そして、「捕手を立たせての敬遠」という決断が出来なかった。
これだけの名将である。「きわどいコースを突く」という指示が、いかに危険であるか、事実、カットを繰り返すことで、イチローが圧倒的優位に立っていたことが、分からなかった筈はない。
興味深いニュースがある。
キム・インシク監督は、ヤクルトの高田監督に、謝罪の言葉を述べたそうだ。イム・チャンヨン投手に47球も投げさせて申し訳ないと、イム・チャンヨン投手に伝言を託したのだとか。
彼が、一番謝罪したかったのは、高田監督ではなく、イム・チャンヨン本人だった気がする。
試合後の記者会見で、キム・インシク監督は、イチロー「敬遠」の意図が、バッテリーに上手く伝わらなかったと釈明した。
一種の、責任転嫁である。
しかし、その後、一部の韓国メディアが、打たれたイム・チャンヨン投手を非難し始めたのを見て、激しい良心の呵責を感じたのではないか。
10回表イチローの打席。
大きなミスを犯したのは、誰なのか。キム・インシク監督自身が、それを、一番よく分かっているのだと思う。
国の威信をかけた代表チームの監督。
そこにかかる圧力は、計り知れないほどに、深く重いということだ。
ピッチャーは、バッターを打ち取るために、マウンドに立っている。闘争心をかき立て、渾身のボールを投げ込むために、そこに立っている。
とくに、ピンチの場面ほど、相手が強打者であるほど、その思いが強くなる。
そんなときに、打者と勝負するな、歩かせろ、と言われるのは、とても辛いことである。ムチを入れた馬に走るなと言うのと同じくらい、無理なことである。
そして、良いピッチャーであればあるほど、そう感じるだろう。
WBC決勝戦の10回表、二死一三塁で、イチローを迎えたイム・チャンヨン投手も、敬遠の指示を怖れていたはずだ。
ヤクルトで33セーブも挙げたピッチャーである。
「ああ、イチローと勝負せずに助かった」
と思うようであれば、韓国代表チームの抑えの切り札なんかには、なっていない。
そういう心理状態にある投手に対して、
「きわどいコースを突いて、うまくいかなかったら歩かせる」
という指示は、極めて危険だ。
危険である理由は二つある。
一つめは、ピッチャーは、強打者に対しては、いつも「きわどいコースを突いて」勝負しているので、この指示は、「勝負してもよい」と同義になってしまう。
何としても勝負がしたいピッチャーからすれば、格好の免罪符である。
二つめは、勝負を挑んでいるのに、「ストライクは投げられない」という制限が入ることだ。
例えば、ど真ん中のストレートであっても、バッターが緩い変化球を待っている場合は、非常に有効な球である。つまり、通常ならば、組み立てに応じて、ストライクゾーンにどんどん投げ込んで良いし、むしろ、そうでなければ、打ち取るのは難しい。
しかし、「ストライクは投げられない」となると、途端に、組み立てが難しくなる。
手足を縛られている分だけ、投手が不利になって、打者有利となる。
「きわどいコースを突く」という指示が、あまり良い結果を生まないのは、このためだ。
そして、イム・チャンヨン投手も、イチローに打たれてしまった。
彼は、ベンチの指示を忠実に守りながら、窮屈な制限の中、投手の本能に従って、大打者イチローに立ち向かった。
そこには、目の前のバッターを何とか打ち取りたい、という思いがあるだけで、それ以上でも、それ以下でもないだろう。
一方、サインを出したキム・インシク監督の心には、イチローか中島かという以外に、韓国メディアのイチロー・バッシングやドジャース・スタジアムでのイチロー・ブーイングなど、さまざまな思惑が交錯していたと思う。
そして、「捕手を立たせての敬遠」という決断が出来なかった。
これだけの名将である。「きわどいコースを突く」という指示が、いかに危険であるか、事実、カットを繰り返すことで、イチローが圧倒的優位に立っていたことが、分からなかった筈はない。
興味深いニュースがある。
キム・インシク監督は、ヤクルトの高田監督に、謝罪の言葉を述べたそうだ。イム・チャンヨン投手に47球も投げさせて申し訳ないと、イム・チャンヨン投手に伝言を託したのだとか。
彼が、一番謝罪したかったのは、高田監督ではなく、イム・チャンヨン本人だった気がする。
試合後の記者会見で、キム・インシク監督は、イチロー「敬遠」の意図が、バッテリーに上手く伝わらなかったと釈明した。
一種の、責任転嫁である。
しかし、その後、一部の韓国メディアが、打たれたイム・チャンヨン投手を非難し始めたのを見て、激しい良心の呵責を感じたのではないか。
10回表イチローの打席。
大きなミスを犯したのは、誰なのか。キム・インシク監督自身が、それを、一番よく分かっているのだと思う。
国の威信をかけた代表チームの監督。
そこにかかる圧力は、計り知れないほどに、深く重いということだ。