ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

オガサワラヤマネコ(なんて動物はいませんが・・・)

2011-08-27 16:21:30 | 諸々
震災後の何月頃だったか、小笠原が世界自然遺産に登録された頃だったでしょうか、テレビを見ていると小笠原(父島)で野生化してしまった猫を捕獲する、というニュースを目にしました。

父島へは10年くらい前までの数年間、年に1~2回行っていたことがあります。
島では春にザトウクジラを見ることが出来、夏はダイビングやドルフィンスイムが盛んです。
私はダイビングはしないし、どちらかというとイルカよりもクジラの方が好きだったので、春メインで行っていました。
そのうち、夏にもクジラ(マッコウクジラ)が見られる事がわかり、彼らにも何回か会いに行った事があります。



小笠原の島々は殆どが海底火山の隆起によって出来た島なので、島の周りはほとんどが直ぐに深い海になっています。
海底の見えない深い海は絵の具で色をつけた様な濃い群青色で、身を投げ出すと海の底へスーッと落ちていきそうな何とも言えない感覚になります。
クジラや魚に会えなくても、海に身を投じ、太陽の光が真っ直ぐ射す海底の方角を見つめているだけで地球への畏怖や愛情が込み上げてくる、そんな場所でした。
泳ぎが苦手な私に海に入る事を決意させた、それが小笠原というところです。



大自然の中に出かけていくと、彼らへの思慕の様な敬意の様な、少し恐怖が入り混じった幸福感の様な、言葉では言い表せない感情が沸いて来るのを感じます。
海に出るときはワクワクしながらも心のどこかで
「お・・・お邪魔致します」
という感覚になるし、
水中でイルカやマンタのエネルギー溢れる泳ぎをみると、人間には到底追いつく事はできない世界を彼らが持っている事を知ります。

こういう感覚を地元へ戻ってからも(自分を含め)皆が持ち続けたら、また、自分が住む土地の中でも感じる事ができたら、人間以外の命についてもっと注意深くなるのではないだろうか。
人間同士だってお互いを、またお互いの住む土地を大切に扱う事ができたんじゃないか。
そうすれば原発だって建ってなかったかもしれない。
そんな風に思ったりもします。



その小笠原では、第二次世界大戦前に人間によって持ち込まれたヤギやイエネコなどが野生化し、島の生態系を崩す(固有種の植物や動物を食べてしまう)、という様な事が問題となっています。
そこで、ヤギや猫(他に外来の爬虫類なども)の捕獲が進められています。
テレビの中に映し出された野生化した猫は、確かカラスバトを咥えていました。
イエネコが野生の鳥を捕食する姿は衝撃的でした。
でも彼らはただひたすらに生きているのでした。人間がそういう環境に追い込んだのですから食べる為に狩りをするのは、彼らにとって当たり前の事に過ぎません。獲物が固有種であろうとなかろうと関係なく、生きる為に狩をするしかありません。それが生き残る為の手段だったからです。

捕獲された一匹の猫がカメラに映し出されましたが、ケージに入れられたその子は普段私たちが接してる飼い猫とも、近所にいる野良猫とも違う、”野生”むき出しの表情と迫力で人間を威嚇していました。

その姿を見て一人暗たんたる気持ちになってしまいました。
だってその子はどう見ても人との生活を送る事は不可能な様子だったからです。
この猫が人間と同じ空間で安心して暮らすという事を想像できませんでした。
何の落ち度もない動物達が日々殺処分されている現実を知っている身としては、
この捕獲された猫達もこの状態ではやはり・・・という想像で頭の中がいっぱいになっていました。

ところが。
テレビの中の獣医さんは
「これからこの子達を家庭で飼える様に慣らしていきます」
と言いました。

嬉しい気持ちの反面
「む、無理ーーー!」
ともう1人の自分が心の中で叫びました。

でも、何週間か後にカメラがお邪魔したお宅に、その猫はいました。
ちゃんと飼い猫として暮らしていました。
それも
「生まれたときからここで暮らしています」
みたいな顔をして、ちょっとふっくらした体をその家の人達にすり寄せ、床にゴロンとなってくつろいだりしているのです。
食べ物に困らない生活を手にいれ、何者からも脅かされない環境を手にいれ、彼は幸せそうでした。

でもそこでまた私は考えこんでしまうのです。
この子が助かった代わりに助からなかった命もあるんだろうな・・・。

だって、人一人が養える動物の数はやはり限られています。
父島から何百匹の猫が運ばれて里子に出されているという事は、違う経路でセンターなどに来た子達は行き先がなくなってしまうのは当たり前の現象です。

やっぱりセンターに連れてこられる動物の絶対数を減らさなければ。
飼い切れなくなったと自分のペットをセンターに連れてくる一般飼い主の数も、
動物を商品として売り出す業者や購入する人の意識も、
器物として扱う人間の感覚も、なんとかして変えたい。
 
そんな事を、オガサワラヤマネコ(そんな種類の動物はいません)の話題を見ながらつらつらと考えていた事を思い出しました。
 
本当はみんな、動物は物じゃないってわかっているのでは?
でも既存のシステムがそうなっているからそれに乗っかっているだけ。
とか。
システム、変えられたらいいなと思いませんか?
 
今日がパブリックコメントの締切日です。
宜しくお願いします。

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