乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

なぜ苦しみがあるのか . 2

2017-08-27 21:48:18 | シルバーバーチの霊訓
運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。

つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。

もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。

その時点において取りまかれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。

地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。


地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。

選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まります。

単純なようで実に複雑なのです。

そのことに関連して忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるということです。

地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。

才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。


当然のことでしょう。

悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。

悲しみはそれが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。

魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。

悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。

もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。

悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。


繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べるのです。

霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。

こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。

霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。魂の進化の程度が決するのです。

肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来ごとを物的モノサシで測り、考え、評価するのは無理もないことですが、それは長い物語のほんの些細なエピソード(小話)にすぎません。


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