情報が多いことは良いことだが、そうなると自分の責任の大きさが増すことを認識したい。
少し前に通院したが、完治していない虫歯があり歯医者へ行った。するとレントゲンをとり細かい説明。その歯には銀がかぶせてあるのだが、これをとった後の「可能性」を幾とおりも説明していただける。
(かなりいい加減な記憶ではこんな感じ・・・)
「歯自身の芯が残って(生きて)いれば、こいつを使って治療をできますが、これがダメな時は抜歯することになります。でも、見てみないと分かりませんし、これを確認することで残っているのが折れてしまうことがあります。」
「とりあえず痛み止めを飲んで様子を見て、それでも痛むようならその後に考えるのもテです。でも、ほっておくと突然歯がボロっと取れることがある」
「抜歯したばあいは、3ケ月くらい左では噛めない可能性があります。その場合は不便です。でも、歯(の根っこ?)が残っていなければそれしかありません。その場合の対処法は3種類あります。一つは、隣の歯を使ってブリッジを作り・・・」
・・・
って、説明はいろいろしていただけるのですが、結局「どうしますか?」と聞かれるわけです。インフォムドコンセントという言葉が有名なように、医療現場での情報開示は極めて大切ですが、素人に選択を委ねられても困るのも事実。
そういえば、ある(かなりアウトローな)医者は、インフォムドコンセントのことを「医者の責任逃れのための言い訳」といっていました。
一理あると思います。
最近、「責任力」=「断言力」だと思うことがしばしばです。完璧な確信がなくとも、部下や仲間が安心して行動できるように「断言」することがとても大事だと。もちろん、その裏には何かあれば自分が責任を取るということです。任された人の自主性や創意工夫は、そんな「責任力」のうえに成り立つと思うわけです。
ロクに方針も出さずに「君に任せる」と上司ぶってみたり、やり方もルールも示さずに「君のやり方で」といったり。効果的な部下育成やコーチングには、大前提となる価値観の提示は絶対に必要だと思うのです。
初めて飛行機の操縦席に座った人に、エンジンの掛け方も教えずに「どうやったら飛べると思う?」「空を飛んだらどんな気分だろう?」「大空を飛び回る素敵なイメージをしようよ」・・・なんていう上司やコーチが実在します。しかし、それは違う。もしかするとそういう人は、実は飛行機の操縦の仕方やエンジンの掛け方を自分自身がしらないのかもしれません。
ところで、いのちに関わる医療の現場はそうはいかない。だから、受診した歯医者を「責任逃れ」とは思わないけれど、判断しかねる私には「断言力」の重要性を再確認するには十分だった。ところで、ビジネスの世界でいのちにかかわるようなことがどれだけあるだろう。医者に比べれば、どんなに失敗が許される世界だろう。
そう考えれば、ビジネスでの「断言力」など、簡単なものだと分かる。ビジネスで「責任力」を発揮することなど、簡単で仕方ないことなのだ。