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サッカーあれこれ(6)

◎決勝のPK戦には反対
 またしても欧州チャンピオンリーグ(CL)の決勝がPK戦になりました。5月19日、イングランドのチェルシーがバイエルン・ミュンヘンを破った試合です。テレビを見ていて、こんな好試合が、こんな形で決着していいのか、惜しいなあ、もっと見ていたいなあ、という思いにかられました。
 PK戦の結果は4-3。バイエルンの最後の2人が珍しく失敗しました。念願の初優勝をとげたチェルシーはよく知られている通り、ロシアの大富豪アブラモビッチが買収したチーム。この3月に前監督がクビになり暫定監督が就任したばかり。まずはオメデトウというしかありません。
 CLでは1993年以来、決勝でのPK戦は6回目と聞き、驚きました。PK戦で勝ったユベントス、バイエルン、ACミラン、リバプール、マンチェスターUが、トヨタ・カップで東京にやってきていたのです。タイトルがかかると、どうしても守備的になって引き分けが多いのかもしれませんが、今年のCLはバイエルンが常に猛然と攻めていました。翌日の新聞にはバイエルンのシュート35本、チェルシー9本とありました。
 クラマーさんはこう言っていました。
 「PK戦にはたしかに問題はある。だが規則で決まっているのだから練習するしかない。ドイツではゴールの両ポストの1メートル内側にボールを置き、ボールとポストの間を通す練習をみんなにやらせている」
 そんな練習をやっていたであろう、バイエルンがPK戦で敗れ、また延長前半せっかくもらったPKをロッベンが失敗しているのですからあきらめきれない思いでしょう。

◎再試合が望ましい
 もともと私はPK戦反対論者です。どんな凡戦でもPK戦になると興奮するという人がいますが、どうも好きになれません。息詰まるようなすばらしい試合を、最後にやってくるPK(罰キック)というまるで刑罰の執行のような決着方法で、すべてを水に流してしまう。こんな野蛮にして容赦ないやり方は、試合の否定だけでなく、サッカーを否定するものです。チーム全体の戦いが、にわかに個人の戦い、それも個人の運不運にかかってしまう。こんな不合理なことはない。
 優勝するチームは技術的にも、体力的にも最高のものでなくてはならない。それがサッカーでしょう。PK戦の勝者イコール最高のチームではない。とくにCLのような大きな試合では、みんな守備を固めて安全第一主義をとるからPK戦が多くなりました。こんなことばかりしていたら、得点をとるという本来のサッカーの衰退につながります。
 しからば、「勝敗を決めるのにほかの方法があるか」と問われるでしょう。再試合。これしかありません。
 ワールドカップでPK戦が採用されたのは、1982年スペイン大会からですが、それまではすべて再試合でした。1938年のフランス大会では同点、延長戦ののち、3試合が翌日あるいは数日後に再試合になっています。
 なぜ1982年からPK戦が採用されたのでしょうか。私の想像ですが、日程のやりくりが難しくなった。とくにテレビが全世界に放送されるようになると、日程は容易に動かせない。一つ動かせば全体の日程までがめちゃめちゃになってしまう。警備や宿泊など大会運営も狂ってしまう。勝負はすべてその日に決着をつけねばならない、ということになったのでしょう。
 昔、日本では抽選勝ちというのがあり、次のラウンドに進むチームを無理やり「くじ」で決めていました。インターハイあたりでは、決勝で勝負が決まらない時は、両者優勝という奇妙なことになりました。
 驚くことに、1956年メルボルン・オリンピックのアジア予選、日本対韓国では、2試合の得点が2-2となって「くじ」で日本が本大会への出場権を得るというようなこと、つまり国際試合でも「くじ」があったのです。それにくらべれば、PK戦は、選手と選手が対決するのですから「くじ」よりは数段マシといえます。
 ですから、私も百歩ゆずって1回戦から準決勝までは、次の回戦に進むチームをきめるためには、PK戦も仕方ないと思います。だが、決勝だけは再試合すべきだと思うのです。
 もし今年のCLが再試合をやることになっておれば、ファンの楽しみも、テレビの視聴率も倍増、主催者や選手は収入が増えるし、みんな大喜びしたでしょうに。

◎名手でも失敗するPK
 PK戦は魔物。ワールドカップでは、1982年大会から私が最後に取材した2002年まで21試合が、その犠牲になっています。その間マラドーナ、ソクラテス、プラチーニ、ストイコビッチらが失敗し絶望の淵に追いやられました。1986年メキシコ大会のフランス-ブラジル戦後、リオで死者6人、病院へ2000人が搬送されたと記録にあります。私が最も印象に残るのは1994年アメリカW杯の決勝ブラジル-イタリアです。
 イタリアのバレージを中心とした守備陣がMVPになったロマーリオを完璧に押さえ、0-0のままPK戦になりました。イタリアは何とバレージ、バッジョ、マッサーロの3人が失敗しました。これ見よがしに喜ぶブラジル。とくにロマーリオの派手な喜びようは、思わず「点もとれないのに喜ぶな。王者ブラジルらしくない」と言いたくなるほどでした。(本当の余談ですが、最近のニューズウイークで、あのロマーリオは国会議員になったことを知りました。「2014年ブラジルW杯の入場料は高すぎる。年金生活者はW杯から締め出されたも同然だ」と語ったと伝えられます)
 当時、私は週刊朝日に「決勝でのPK戦はやめろ」とこう書きました。
 「まがりなりにもブラジルは4度目の優勝を果たした。PK戦が終わった直後、悲しみにくれるイタリア選手を尻目に、ブラジル人たちは、オレたちは世界チャンピオンだとばかりに、自慢げに、しかも大仰に騒ぎまくった。だが、彼らはサッカーに勝ったわけではない」
 「PK戦は試合を終わらせるためだけの手順でしかない。ただ形式的にチャンピオンを決める手段にすぎない。サッカー大国ブラジルがPK戦でしか勝てなかったこと、史上初めて無得点でチャンピオンになったことを恥じるべきではないか。1978年アルゼンチン大会までは引き分ければ48時間後に再試合していた。せめて決勝だけは再試合するべきではないか」
 「前代未聞のPK戦で決着がつくという何とも後味の悪い幕切れだった。PK戦が始まったスペイン大会以来、いつかはこうなるだろうと心配されていた”決勝戦のPK戦”が現実のものとなった。華麗な試合の代わりに最も醜悪な形で結末を迎えた。PK戦で勝った国を真のチャンピオンと呼ぶことができるだろうか」
 昨年、なでしこジャパンがワールドカップ決勝のPK戦で、アメリカを下し世界チャンピオンになりました。おめでたいことですが、真の世界一になったわけではない。サッカーで勝ったわけではないからです。佐々木監督が「ロンドン五輪ではチャレンジャーの気持ちで戦う」とおっしゃっているのは、そこらあたりすべてがわかっているからでしょう。
(以下次号)

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