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Title: [Broadside for the Capture of John Wilkes Booth, John Surratt, and David Herold]
Maker: Unknown (American)
Artist: Alexander Gardner (American, Glasgow, Scotland 1821-1882 Washington, D.C.)
Photography Studio: Silsbee, Case & Company (American, active Boston)
Photography Studio: Unknown
Date: April 20, 1865
Medium: Ink on paper with three albumen silver prints from glass negatives
南軍のリー将軍ががアポマトックスで北軍のグラント将軍に降伏してからわずか5日後の
1865年4月14日の夜、ジョン・ウィルクス・ブースはワシントンD.C.のフォード劇場でリン
カーン大統領を射殺した。シークレットサービス長官であるラファイエット・ベイカー大佐は、
それから24時間以内にブースと彼の共犯者2人の写真を入手した。3枚の写真はすぐに
アレクサンダー ガードナーのスタジオに持ち込まれ複製された。上の写真のように、肖像
写真つきの手配書は、アメリカでは初めてであり、新聞にも掲載された。
手配書の写真はおおいに役立ち、公開されてから6日後、ブースとヘロルドは第16ニュー
ヨーク騎兵隊の師団に見つかった。 指揮官エドワード・ドハティ中尉は、バージニア州ポート・
ロイヤル近くの納屋で二人を追い詰め降伏を要求した際、ヘロルトは従ったが主犯ブースは
拒否した。 騎兵隊に同行していたシークレットサービスの刑事2人が納屋に火を放ち、ブースは
逃げようとして射殺された。軍事裁判の後、ヘロルトは7月7日にワシントンD.C.の旧アーセナル
刑務所で絞首刑に処せられた。
スラットはカナダ経由でイギリスに逃亡し、最終的にはローマに定住した。 2年後、メリーランド
州の元学友が当時教皇衛兵隊員だったスラットをみつけ、彼は裁判を受けるためにワシントン
に連れ戻された。 1868年9月、裁判は陪審員の意見が割れ、彼に対する告発は行われなかった。
スラットはメリーランド州に引退し、その後事務員として働き、1916年まで生きた。
池袋2023_04_22
豊島区東池袋1
[M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]
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