やっぱ、だめでした。
がんの診断から丸4年になる今年3月頃から、極度の倦怠感を訴え始め、娘の中学の卒業式は何とか出席。
4月になり、高校の入学式は、出席できませんでした。
時期がその頃かはよく分かりませんが、胸の患部から出血がみられるようになっていましたが、痛みを訴えたことは、一度もありませんでした。
5月、日中でも寝ている時間が多くなり、全身の筋力がかなり衰え始め、家事や買い物は、僕と娘で協力してやるようになりました。
6月、自分で立って歩くことが次第に困難になり始め、ふろやトイレは自分でするのもやっとであったと思います。というのは、風呂は僕たちが寝た後に入っていたから。見られるのが嫌だったのだと思います。
22日、午前5時30分頃、トイレで倒れているのを僕が発見。上半身を起こし、おしりを足マットに乗せ、マットを引っ張ってトイレから引きずり出し、茶の間に寝かせる。意識は朦朧、息をしているのがやっとの様子。
5時45分頃、娘を起こし、身支度をさせて救急車を呼ぶ。救急車が到着し、娘に同乗させ、北見赤十字病院に搬送される。
6時15分頃、僕が病院に着き、娘と一緒に廊下で待機。
6時30分頃、医師からの説明。なぜ病院に入れなかったのか?なぜ手術をしなかったのか、などと質問されたかと思いますが、どうでもいい質問なので、僕の記憶も定かではありません。
今の状態(病状)については、ほぼ手遅れ状態で、手の施しようもなく、亡くなるのは時間の問題、延命措置はしても意味がない、といったような説明だったかと思います。
6時40分頃、集中治療室のようなところで再開。左手に点滴、酸素マスクを着け、心電図や血圧を測る機械(機器名が分からないので)につながれた状態。
当然だとは思いますが、娘は大泣き。僕もつられる。
7時頃、(彼女の両親の実家が、病院から歩いて10分くらいなので)まず両親に連絡。次に、彼女の姉さんが北見市内に住んでいるので、連絡する。
7時30分頃、両親が到着。
8時頃、姉さんが到着。みんな大泣き。
8時30分頃、病院の看護師さんから、入院の手続きについての説明。
9時頃、病室に移動したが、その頃にはほとんど息もしていない様子。手足を触ってみると冷たくなり始めていたと思います。
9時35分頃、医師・看護師が駆け付け、死亡の確認。医者から、「9時37分、ご臨終です」と告げられる。みんな大泣き。
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6月24日、18:00通夜
翌25日、9:00告別式でした。
あっけないものですね。
ついこの前までおしゃべりしていたのに、骨になってしまいました。
6月に入ったころから、いずれ近いうちにこうなることは予測していましたが、こんなに早いとは思ってもいませんでした。
亡くなる前の日まで会話も出来ましたから、もう少しいろんなことを話しておけばよかった、彼女の体の状態をあまり分かってあげていなかった、などと、後悔しております。
がんと分かってから、4年3か月。
やはり、病院に行かなかった方が正解であったと確信しております。
なぜなら、亡くなる前の日まで会話も出来たし、テレビをみたりお茶を飲んだり、携帯のゲームをしたりと、いろんな事が自分で出来たから。さらに、何といっても、痛みを訴えなかったから。
もし、病院に入院していたら、植物人間状態で最期を迎えたのだろうと思います。
また、薬物療法により、患部がそうとう痛んだのではないかと思います。
周りの人間は、「なぜ、病院に連れて行かなかったのか?」と、よく質問をぶつけてきますが、全く分かっていませんね。入院すると、どんなひどい目に遇うか、また、病院には病気を治すことができないという事に全く気が付いていない。
少しは考えてからそういう質問をしなさい、と言いたくなりますが、病院の真実・本質を理解するのは無理でしょうね。
ご冥福をお祈りします