Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

INTENSIVIST Vol.4 No.1 特集End-of-life 刊行です

2012-01-18 03:01:18 | 集中治療

 

今回は、このテーマの日本における第一人者と言ってもよい東京女子医科大学救急医学の矢口有乃先生をゲストエディターにお迎えし、JSEPTICメーリングリストでご活躍中のご存知松江赤十字病院麻酔科の橋本圭司先生にも大々的にご協力いただきました。また、編集作業を総括していただいた東京ベイホスピタルの藤谷茂樹先生、大変ご苦労さまでした。

 

読者が、こういうものがあったらと潜在的に思っているが気づかずにいる「ああこれが知りたかった、読みたかった」と思う内容を毎回目指していますが、今回はその典型号になるでしょう。自信作です。

ますますグローバルな見識が求められる若い方へのIntensivistからの挑戦状として、「諸外国の事情」はあえて英文のまま掲載しました。その一方で常に「できるだけ多くの方にわかりやすく」も目指していますので、その日本語訳も、いつかどこかに掲載したいと思っています。

 

End-of-life(終末期)医療は、Intensivistの創刊準備に取りかかった2008年夏から編集会議をやるたびに、「いつか、できるだけ早い時期にやろう」と毎回議題にあがったテーマでした。

というわけで、念願がかなってとっても晴れやかな気持ちでいます。

以下コンテンツです。

 

<特集・End-of-life>

高齢化社会を迎えている我が国において,終末期医療は避けて通れない問題です。欧米諸国では,終末期医療に対して一般市民や医療従事者間での双方向のコミュニケーションが積極的にとられています。一方,我が国においては,「死」を語ることについてタブー視する習慣や,宗教的背景,死生観などの文化的背景が異なり,海外での終末期医療の概念をそのまま導入するのは困難な感があります。そのため,日常医療のにおいて,医学的な判断だけではなく,法的,倫理的,そして医療資源を考えたときに,頼るべき指針も法律もない医療従事者は常に葛藤せざるを得ません。そこで本特集では,日本救急医学会,日本集中治療医学会で終末期医療のリーダーである先生方と,法学,経済学の専門家にもご執筆いただき,現時点での終末期医療の考えと状況を把握し,現場で問題に直面した際に解決の糸口を見出せる,教科書となる特集を狙いとしております。

 

1. 日本の現状と取り組み:

  終末期医療に関する取り組みは多くの学会との協働が必要

  氏家 良人 岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科 救急医学講座/日本集中治療医学会倫理委員会 委員長

 

2. 用語の解説

  飯塚 悠祐・橋本 圭司 松江赤十字病院 麻酔科・集中治療室

 

3. 終末期医療の中止と刑事裁判例の歴史

  池田 守  弁護士

  前田 正一 慶應義塾大学大学院 健康マネジメント研究科

 

【コラム】川崎協同病院事件について:自身の「最期」を考えるという視点で終末期医療を考えてほしい

      須田 セツ子

 

4. 終末期医療と法:

  「刑法」でも「民法」でもなく,医療のための「医法」の整備を

  井上 清成 井上法律事務所

 

5. 米国における終末期医療:withdraw,心臓死後臓器提供,教育,研究

  松崎 孝 岡山大学医学部 集中治療部

  酒井 哲郎 University of Pittsburgh Medical Center, Department of Anesthesiology

 

【コラム】米国医学部での生命倫理教育:一般臨床でも重要なbehavioral science

      北野 夕佳 聖マリアンナ医科大学 横浜市西部病院 救急集中治療部

 

6. ヨーロッパにおける終末期医療:

  個人主義の国々における終末期医療の考え方

  矢口 有乃 東京女子医科大学 救急医学

 

【コラム】その他の国々①英国:End-of-Life Decision―a United Kingdom Perspective

     Joel Branch Medical Education and Simulation Skills Training,

             Shonan Kamakura General Hospital

 

7. オーストラリアの集中治療における終末期医療:

  患者の望みと医学的判断に基づいた集中治療医主導の終末期医療

  後藤 幸子 大阪大学医学部附属病院 集中治療部

 

8. 終末期医療と医療経済:医療費の実態と今後の対応方法

  池上 直己 慶應義塾大学医学部 医療政策・管理学教室

 

【コラム】高齢者医療とmedical futility:

     社会的コンセンサスを形成し,患者・家族の価値観にあった治療を目指す

      金城 紀与史 沖縄県立中部病院 内科

 

【コラム】futile careと経済:結論の得られていない課題:米国での臨床経験から

      反田 篤志 Beth Israel Medical Center

 

【コラム】その他の国々②中国:End-of-life Care in Chinese ICU

      Teng Yan Department of Critical Care Medicine, First Affiliated Hospital of Medical College of Xi'an Jiaotong University

      Feng Wang Department of Surgery, Xi’an Hospital of Aviation Industry Corporation of China

      Heli Xiang Department of Kidney transplantation, First Affiliated Hosptial of Medical College of Xi'an Jiaotong University

 

【コラム】その他の国々③韓国:End-of-life Care in Korea: Current situation

      Ilhak Lee Department of Medical Ethics and Law, Yonsei University College of Medicine

      Shin Ok Koh Department of Anesthesiology and Pain Medicine, and Anesthesia and Pain Research Institute, Yonsei University College of Medicine

 

【コラム】その他の国々④タイ王国:End-of-Life Care in ICU: Thailand Perspectives

      Phornlert Chatrkaw Department of Anesthesiology Faculty of Medicine, Chulalongkorn University

      Dusit Staworn Department of Pediatrics, Phramongkutklao Hospital

 

9. 看護師の立場からICUでのend-of-lifeケアを考える:

  必要なのはすべての医療者がよりよい“cureとcare”に思いをめぐらすこと

  山中 源治 東京女子医科大学病院 看護部/東京医科歯科大学大学院 保健衛生学研究科

 

10. 小児:多職種のチームで取り組む小児の終末期医療

  川口 敦 University of Alberta, Stollery Children's Hospital, Pediatric Critical Care Medicine

 

11. ICUにおける緩和ケアpalliative care:米国との比較にみる日本の課題

  関根 龍一 亀田メディカルセンター 疼痛・緩和ケア科

 

【コラム】拝啓 これからの日本の医療を担う医師の皆様へ:正義も人権もベッドサイドにのみある

    伊藤 雅之 高岡みなみ病院 外科

 

12. 今後の方向性と課題:我が国のガイドラインからみえてくるもの

  中村 俊介・有賀 徹 昭和大学医学部 救急医学講座

 

13. 「特集 End-of-life」解説:

  (1)「End-of-life」特集を終えて

     矢口 有乃 

  (2)“a man can die but once.”人間1度しか死ぬことはできない

     橋本 圭司

 

【連載】

■Lefor's Corner 

第2回:Nutritional Management of the Critically Ill Patient: Part I

  Alan T. Lefor Department of Surgery, Jichi Medical University

 

■集中治療室目安箱:ナース/ME,私の言い分

 第12回:オーストラリアのチーム医療と集中治療看護師

  飯田 英美 Royal Brisbane and Women’s Hospital, Intensive Care Unit

 

■ICUフェローからのメッセージ

第14回:タイで学ぶ熱帯医学:マヒドン大学ディプロマコースに参加して

    石岡 春彦 自治医科大学附属さいたま医療センター 集中治療部

第15回:香港留学記:医療経済で異なる集中治療事情

    竹田 健太 兵庫医科大学 集中治療医学科

 

■ICUと皮膚病変

 第4回:水疱

  笠井 弘子・大山 学 慶応義塾大学病院 皮膚科学教室

 

【コラム】急性膵炎における鎮痛薬の基礎知識:使用法と注意点

  古屋 智規 秋田赤十字病院 総合診療科

 

■集中治療に関する最新厳選20論文

  柳井 真知 Division of Infectious Diseases, Veterans Affairs Greater Los Angeles Healthcare System

  藤谷 茂樹 東京ベイ・浦安市川医療センター/聖マリアンナ医科大学 救急医学

 

■日本集中治療教育研究会(JSEPTIC)

 JSEPTIC簡単アンケート

  第3回:体重測定,重症度スコア,重症急性膵炎

      内野滋彦 東京慈恵会医科大学 麻酔科 集中治療部

 


M&Mとは何か:総論2

2012-01-09 15:05:31 | M&M

 

 前回からの続きです。

 M&Mは、1900年頃にマサチューセッツ総合病院外科医であったErnest A Codmanによって始められたとされています。その後、外科系を中心に広まり、主として医師個人の教育、資質向上を目的として、全米のレジデントプログラムに組み込まれるようになりました[1]。

 一方、現代の医療安全を追求する社会的要求に呼応して、“医療システムの安全性と質の向上”を主眼として開催されるM&Mも増加し、米国では米国保健医療政策研究庁(Agency for Healthcare Research and Quality: AHRQ)がインターネット上で“web M&M”を公開するようになりました[2](注1)。日本でも医療安全全国共同行動という団体によって“地域におけるM&Mの開催”が奨励されています[3]。これらの2つは、Ernest A CodmanのM&M原型とは少し方向性を異にした医療安全型のM&Mと言えるかもしれません。究極の医療安全型M&Mは、いわゆる事故調査委員会になるのでしょうか。

 つまり、M&Mは大きく両極のかたち、すなわち医療者教育型と医療安全型にわけられ、“極論“で色分けすると、

医療者教育型

・症例:教訓的、教育的症例

・目的:個人の診療を改善

・やり方:要点を絞る

・参加者:医師のみ

・議論の根拠:文献ベース

 

医療安全型

・症例:医療事故、過誤のあった症例

・目的:チーム診療、院内診療を改善

・やり方:時間をかけた十分なRCA

・参加者:多職種

・議論の根拠:院内ローカルルール

と言えます。ただし両者を厳密に区分することは難しく、筆者は目的や参加者に応じてあらかじめどちらの型に近くなるか意識しながら準備、運営すればよいと考えています。

 ちなみに、Root cause analysis(RCA: 根本要因分析)の手法による原因追及のプロセスは以下の通りです。前回述べた起こった事象に関わる多様な因子、すなわち、1. 人的要因/コミュニケーション、2. 人的要因/教育、3. 人的要因/疲労/労働環境、4. 設備・機器の運用、5. 設備・機器の設定、6. 規則/方針/手順、7. 防止策、8. 患者・家族の対応、9. 管理などの、いわゆるスイスチーズの一切れずつ、それぞれに穴があいていなかったかどうかチェックします(前回参照)。そこであげられた事象や問題点について、なぜ起こったかその要因を見つけていきます。同定が可能な要因がたった一つで他に関与する要因が見つからない、あるいは、さらに遡って考えうる根本原因(root cause)が見つからないと言った、要因と事象が1対1対応で独立するケースは稀です。通常は考察の過程はすぐには終わらず、ひとつ要因が見つかれば、それがなぜ起こったか関連要因や根本要因を考察していく作業が必要になります。このようにして、要因の連鎖を見つけ、最終的に究極の原因(root cause)を探す行程がRCAという作業なのです。

 このRCAは、表面的な問題をあげつらって、それに対処をすることで満足しがちな我々にとって最適の「原因同定のやり方モデル」になるでしょう。実際、RCAのような系統的手法を使わずに、目についた問題をあげてそれに関して議論を行って満足し、根本的に解決されるべき問題に関する議論が抜けてしまうということも起こります(医療者教育型M&Mに起こることが多いかもしれません)。

 たとえば誤投薬という事象があったときに、薬剤自体の問題(たとえばラベルが他のと似ている)、医療者自身の知識不足、仕事量、時間帯、環境、機器など多種にわたるはずで、結論・提案が「この薬はラベルが似ていて間違いやすいから注意するように」で終わってしまえば、他の薬剤で、違うシチュエーションで、M&Mに参加しなかった他の医療従事者で同様の誤投与が起こる可能性を防止できないかもしれませんよね。

 一方で、このようなRCAの作業は、時間もかかり忙しい医療者にとっては大きな重荷になりシステムとして挫折したり、早急に解決策を提出したいときなどに対応できなかったり、何回も会議を行っているうちに事象の記憶が薄れたり、いくつも上がった要因の中で最も改善すべき「重要かつ本質的な1個か2個」へ注ぐべきエネルギーが切れてしまうかもしれないという欠点を持っています。

 したがって、筆者は、正式なRCAをすべてのM&Mで行うことは現実的ではなく、表層的な原因分析と対処に終始しないように“RCAの精神を尊重”すればいいのだ、と割り切っています。繰り返しになりますが、施設ごと、部門ごと、事象ごと、最終的な“その”M&Mの目的ごとに可変式にしておく、という“いい加減さ”を残しておくと長続きすると信じています。

 以下、筆者が好むM&Mの例です。医療者の負担を考えて一回の開催でできるだけ多くの参加者が集れる時間を選び、議論のテーマを「重要かつ本質的な」ものに絞って、(1)何が起きたか、(2)なぜ起きたか、(3)どうすべきであったか、3つのキーワードを念頭に1時間で1個か2個の結論を導くようにします。その後のプロトコール作成、改訂作業が必要なときには、ワーキングチームを作って行います。

 良いM&Mは、記憶が鮮明な早期に開催され、司会進行者、発表者、コメンテーターが十分に文献をレビューの上、事前に打ち合わせを行い、「誰が何をどうした」と言わずに「何がどのようにおこなわれた」という言い回しを使い、司会進行者が個人攻撃や本論とかけ離れた質問をコントロールしながら、できるだけ文献ベースにディスカッションする。一方、悪いM&Mは、参加者が主旨を理解しておらず、表面的な原因の指摘に終始し、体系的に要因を分析できず、改善のための有効な解決策を導くことができないと言ってもよいでしょう。

 つまり、良いM&Mのイメージは

1. 記憶がフレッシュな早期に開催する

2.「誰が何をどうした」という言葉を使わず「何がどのようにおこなわれた」という言葉を使う

3. シニアレジデントクラスが症例提示を担当(指導医クラスでは参加者が厳しい質問をしにくくなり、ジュニアではプレゼンするだけで精一杯になる)

4. 外部、内部のコメンテーターがいるとbetter

5. 司会進行者、発表者(当事者)、コメンテーターがよく下調べし、打ち合わせする

6. 参加者の意見もできるだけ文献ベースに

7. 年長者の発言は支配的になりがちなので注意する

8. 本論とかけ離れた質問には司会進行者が制限を

9. 個人攻撃と取れる発言には警告を

10. 最後に司会者がtake home messageを発する

11. その後のプロトコール作成とその周知徹底

になるでしょうし、悪いM&Mのイメージは

1. 主催者がRCAの概念を知らない

2. プレゼンテーションがよく準備されていない

3. 参加者が趣旨を理解していない

4. 本論と関連のない質問をおこなう

5. ただの「原因指摘会」になってしまう

6. 改善のための有効な決定打を打ち出せない

になるでしょうか。

 すこしイメージが湧いてきたでしょうか。まだ湧かない方は、2月28日~3月1日に幕張メッセで開催される第39回日本集中治療医学会学術集会のワークショップ 「M&Mカンファレンスを始めよう」を、是非覗きにきて下さい(3月1日(木)9:00~10:00 第11会場(104))。

 最後に一言。M&Mカンファレンスをやったらやりっ放しにせず、プロトコール改変などの何らかの診療の改善につなげることが必須です。失敗から学んだことは患者さんの診療に活かさないと意味がありませんよね(注2)。我々医療者の基本姿勢です。

 さらに、プロトコール作成だけでも満足してはならない、ということを最後につけ加えて終わりにします。作成したプロトコールが日々の臨床で遵守されているか、そのプロトコールが患者診療の役に立っているかなどの視点からの評価と、それにもとづく弛まない改善が必要です。

 2000年以降、医療安全、チーム医療、医療教育など、今までこの世界で注目を浴びて来なかった分野が脚光を浴びるようになりました。院内外で、耳障りの良い受け入れやすい目標、テクニック、プロトコールが披露されるようになりました。それらを掲げるのは大歓迎ですが、我々は掲げること自体に満足してしまいがちで、その内容が根拠にもとづくものなのか吟味が不足しているな、と感じることもしばしばあります。さらに、そのような介入、変更によって患者アウトカムが改善されたのか、という視点がまだ見えてこない気がしてなりません。

 すると、「じゃあM&Mはどうなのよ」とおっしゃる読者がいらっしゃると思います。残念ながらM&Mが患者診療に有用か否かも実は現段階では不明と言わざるをえません。これについてはすこし文献検索をしましたので、また別の機会に述べたいと思います。

 

参考:1. http://en.wikipedia.org/wiki/Morbidity_and_mortality_conference、2. http://www.webmm.ahrq.gov/、3. http://kyodokodo.jp/index_b.html

 

注:

注1: AHRQ web M&Mは、各種の重大事象やエラーの宝庫です。えっ、そんなことあるの、と驚くものもあります。自分の周囲に何か起きたら、もちろんPubMedなどの通常の文献検索を行うことも有用ですが、このAHRQ web M&Mを除いてみることもお薦めします。

 

注2:「失敗から学んだことは患者さんの診療に活かさないと意味がありません」という一文の、「失敗から学んだこと」は、「文献から学んだこと」、「EBMのステップ1~4で得た結論」、「自らの臨床研究で得た結果」、「朝の回診で学んだこと」、「朝の回診で決まった治療方針」、「指導医から教わったこと」「レジデントから教わったこと」、「患者やその家族から教わったこと」など、いくらでもいい替えが可能ですね。

 

 


M & Mとは何か:総論1

2012-01-01 00:20:13 | M&M

 

M&Mケース1ディスカッションが続くかと思わせておいて、いったんあらためてM&Mとは何か整理してみたいと思いましたので、まず総論1です。

 Morbidity & Mortality(合併症および死亡: M&M)カンファレンスは、診療の質および安全性を改善する目的で、不幸にして合併症が起きたケース、死亡したケースを同僚間で振り返る事例検討会の一つと言えるでしょうか。もう少し具体的には、事例を通して

(1)何が起きたか

(2)なぜ起きたか

(3)どうすべきであったか

の三つのキーワードを呪文のように唱えながら明らかにし、最終的にプロトコールの導入や診療の改善を図るものと筆者は定義しています(注1)。“失敗を認めそれを共有し、それまでの医療者個人や病院システムとしての判断や行動を修正する文化”が広まればいいのにと思い、ここ5年ほど院内外で活動してきました。

 では、M&Mと症例報告(検討)会はどのように違うのでしょうか。

 症例報告会は、外部公開が原則で、珍しい症例、困難だったが成功した症例を主な題材とし、ディスカッションは、「私たちは世界に珍しいこんな凄いことを行いました」ので「是非同じような経験をしたら試してみてください」という少し(かなり?)自慢の匂いのする、かつ学術的な内容がメインになると言えます。

 一方M&Mは外部非公開を前提とし、日常遭遇する症例の中から「やっちゃった」、「通常起らないとんでもないことが起った」教訓的な症例を題材として、root cause analysis(RCA: 根本要因分析)の手法を用いて体系的に要因を解析し、「そのとき何がどのような順序で起ったのですか」、「なぜそれをしたのですか(あるいはしなかったのですか)」、「どうすればよかったのですか」などの解析を行います。M&Mの究極の目標は、診療をより良くすることであり、決して「誰がそんなとんでもないことしたんだ」、「やったのはきみか」、「きみは明日からもう病院に来なくてよい」的な個人攻撃を決してせず、自由に議論できる雰囲気づくりを心がけ、ディスカッション後にtake home messages(お持ち帰るべき教訓)を持って帰ってもらうだけでなく、後日プロトコールやルールの改訂や作成、さらにその周知徹底を心がけます。

 ただし、事故の起り方として一般的に言われているように、事象は故意に起るものでは極めて稀ですし、単独の過失によって起るものも少なく、たとえば以下の要因が複数重なって起るものです。

 

人的要因/コミュニケーション

人的要因/教育

人的要因/疲労/労働環境

設備・機器の運用

設備・機器の設定

規則/方針/手順

防止策

患者・家族の対応

管理

 

いわゆるスイスチーズ・モデルですね(注2)。自分のM&M歴上もまったく同感です。

 ですから、医療ミスと騒ぎ立てられるべきものは本来的に少数派と思います。すなわち、医療ミスの正確な定義は知りませんが、多くの医療者が当然行うべき(または行ってはならない)標準的な医療行為を、怠った(またはやってしまった)結果、患者さんに不利益がもたらされたもので、明白な因果関係が認められるものと定義するとすれば、そのようなケースはむしろ少数派のようだ、ということです。実際は、それ単独では患者さんに害を及ぼさない程度の小さい過失や怠慢、リスクがあるのは承知で止むにやまれぬ理由があり行った(または行わなかった)結果起った合併症などがいくつも重なって起ることが多いでしょう。

 静かな当直中にブログを書いていたらいつの間にか年を越してしまいました。サンデーモーニング(TBS)の張本さんに“あっぱれ”をもらえるような一年にしたいと思います(日曜朝の寝ぼけた耳には“喝”はつらい)。

 つづく。

 

注1:実はM&Mの正確な定義、型が確立されているわけではありません。できるだけ事実関係をクリアーにしてRCAを行う事故調査委員会に近いもの、症例検討会に近いもの、レジデントと対話をしながらのインターアクティブカンファレンスに近いものなど、施設、目的、好みに合わせて変幻自在であってよいと考えています。

 ただし忘れてはならないのは、(1)何が起きたか、(2)なぜ起きたか、(3)どうすべきであったか、の3つの呪文です。これを忘れてしまうと、“失敗から学ぶ”モードから逸脱してしまいます。失敗は我々に強烈なイメージを与え、学ぶのに最も有用な材料に違いありませんが、同時に人間は忘れやすい動物でもあります。失敗から学ぶだけでなく“失敗しないシステムを作る”ところまで昇華させなければなりません。

 

注2:http://www.niph.go.jp/entrance/pdf_file/chapter5.pdf

 何スライスか重なったスイスチーズの一つのスライスに穴がいくつか開いていても、スライスが重なっていれば、通常はその穴が一直線に結ばれることはないので事故は起らない。事故が起る時にはその穴が一直線に連なった時である、というモデル。有名ですね。

 筆者は米国のサンドイッチチェーン店で始めてサンドイッチを注文する時にどのチーズを選ぶか店員に尋ねられ、雪印プロセスチーズ、カマンベール、ブルーチーズ、雪印ストリングチーズ以外にこんなにチーズの種類があるのかと、気を失いそうになった記憶があります。そもそも、このサンドイッチチェーン店は、パン、ハム、野菜、調味料などすべて自分で選ぶオーダーメイドシステムを採用しており、それらを英単語で店員に伝えなければならない、(鶏肉はムネでもモモでも同じ鶏肉じゃねーか [育ちが悪くてすいません]とか、ターキーとチキンどう違うんだろうと真剣に悩んだり、tomatoやmayonnaiseの発音に自信がない多くの)日本人(紛れもなく私もそうでした)にとっては大変面倒なシステムを採用しています。ただ、半年我慢して通いつづけると、everything(全部入れ)という便利なマジックワードも覚えるので餓死せずにすむようになり、スイスチーズなんか発音通じやすいから、注文できれば初級編クリアーということになります。ちなみにこのチェーン店はSubwayで日本にもできましたが、店員さんはあんまりこちらの我がままを聞いてくれず、さすが“マニュアルお客様対応天国”日本と感心した覚えがあります。