スポーツ記録箱

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貴乃花光司

2011-09-21 08:57:15 | 名選手列伝

貴乃花光司(大相撲)

1972年東京都中野区生れ

昭和の名大関初代貴ノ花の次男で、土俵の鬼と呼ばれた若乃花の甥、そして第66代横綱若乃花の弟というスーパー相撲一家の一員である。

稀代の人気力士貴ノ花の息子ということもあり、少年時代から注目されわんぱく相撲などで活躍。

中学を卒業すると父親が親方を務める藤島部屋に入門した。

入門後は次々にスピード出世記録を塗り替え、平成初期の空前の相撲ブームの主役に躍り出た。

平成4年1月に平幕せ初優勝するとその人気は爆発する。

人気芸能人並みの注目度という重圧にもかかわらず、猛稽古で大関昇進。

大関でも5回優勝(計7回)し横綱に昇進した。

横綱に昇進すると同期でライバルの曙を一気に抜き去り角界の頂点に立つ。

 

正攻法の四つ身からの寄りは万全であり通算22回の優勝を成し遂げた。

最後の優勝では、靭帯損傷という大けがの中、強行出場し優勝決定戦で武蔵丸を破ると言う伝説的な感動の一番を取った。

私的には宮沢りえとの婚約、破談、兄弟の絶縁騒動や遺産相続を巡る騒動など常に大きな話題を提供。

昨今では相撲協会の改革を訴え、守旧派との対決に踏み出している。


1948年

2011-09-14 16:59:54 | スポーツとその時代

●社会全体

終戦から3年。

復興へ着実に歩みだしたこの時代。

政界では大きな疑獄事件が起こった。

 10月に昭和電工事件の混乱により首相を辞任した芦田均が12月に逮捕された。

時の吉田内閣は、与野党話し合い結果、内閣不信任案を可決、解散が行われた。俗にいう「なれあい解散」である。


 

また東京裁判が結審。

東条英機元首相ら7名が絞首刑に処された。

占領下の勝者による裁判であり、未だにこれを引きずっている左翼の存在を考えると大きな出来事であった。


 

社会では帝銀事件が発生。

指揮を執った平塚八兵衛の名前がクローズアップされだす。

しかしテンペラ画家の平沢は再審請求する等、冤罪を訴えるこえは後年まで続いた。


 


 

●スポーツ界では

敗戦から立ち上がる過程で、スポーツの存在は大きかったが、中でも水泳の古橋広之進の活躍は日本人を勇気付けた。

6月に800mで、8月には400mと1200mで世界新記録をマーク。

フジヤマのトビウオと言われ世界中に名が知れ渡った。


学制改革により中学校が高等学校に改められたこともあり、中等野球大会の呼称も高等学校野球選手権と現在のものに変更。

センバツでは京都一商が、夏の選手権では福岡の小倉が優勝した。

プロ野球では、山本一人(のちの鶴岡一人)の活躍で南海が優勝。

首位打者の本塁打王の二冠に輝いた青田昇の活躍も光った。

 またこの年、初のナイターが開催された。

大相撲では東富士と増位山が優勝を飾った。