名勝負物語⑩
2001年5月27日
両国国技館
大相撲5月場所千秋楽:優勝決定戦 貴乃花VS武蔵丸
昭和の名横綱若乃花の甥で、名大関貴ノ花の二男というサラブレットとして角界デビューをした貴花田は、期待通りの快進撃で出世の階段を駆け上がる。
千代の富士を言う大横綱を失った後の空虚な角界を空前の相撲ブームへを導くのに時間はかからなかった。 兄である若花田とともに曙、武蔵丸といったハワイ勢をやっつける様が熱狂を呼んだのは、戦後の力道山に通じるものもあったのかもしれながい。更には当代一の人気女優宮沢りえとの婚約、破局、兄弟絶縁騒動とワイドショー的話題も次々に提供。
そんな中でも貴花田は貴乃花としこ名をかえ、スピード記録を塗り替え大関、そして横綱に昇進。優勝も順調に20回まで伸ばした。
しかし、その頃から体重過多により怪我が多くなり低迷する。 2001年に入り、初場所で復活優勝を果たした貴乃花は運命の夏場所をむかえることになる。
初日から安定した、そして圧倒的な強さで連勝を重ね13連勝。このまま全勝を飾るかと思われた14日目。がっぷりよつから武双山を寄って出ると、ゆるふんの武双山の突き落としにゆるい廻しごと土俵際に落ち初黒星。
そしてその際に、右ひざ半月板損傷をし、立ち上がるのもやっとという大けがを負った。 誰もが出場不可能と思われた翌千秋楽に強行出場する貴乃花だが、仕切りの最中にも足を引きずるなどとても相撲を取れる状態ではなく、あっさり武蔵丸に敗れ、13勝2敗で並び優勝決定戦に持ち込まれる。
出場辞退を勧める周囲の声を振り切り決定戦に強行出場する。
決定戦でも仕切りで足を引きずるなど全く勝負にならないかと思われたが、軽い突っ張りあいから上手をつかむと、渾身の上手投げを放つ。すると信じられないことに武蔵丸は土俵に転がった。
描いている今でも思い出して鳥肌が立った瞬間だ。
仁王立ちした貴乃花の姿、表情は忘れようもない。まさに神が乗り移ったとしか思えなかった。
表彰式で総理に就任したばかりの小泉首相の「痛み耐えてよく頑張った。感動した!」というセリフの素晴らしい「演出」だった。
この一番で貴乃花は伝説となり、小泉首相は人気を不動のものにした。
貴乃花はこの一番の代償で7場所休場。復帰場所で千秋楽まで優勝を争ったが、同じ武蔵丸に敗れれ、翌場所引退した。
貴乃花の引退後、日本人が横綱として番付に登場していない。