最近、韓国では「旭日旗」を「日本帝国主義の象徴」と見なして糾弾しようとする運動が

顕著化している。昨年9月、仁川アジア大会に出場した陸上ホッケーの日本男子選手が、旭日旗を

連想させる模様のバッジを記念品として韓国の女子高生に渡したことが非難の対象になった。

また、国際サッカー連盟(FIFA)の公式マガジンの表紙に「旭日旗」が描かれていたとして、

非難が浴びせられた。
 

 こうした運動は韓国国内だけではなく、アメリカやヨーロッパにも飛び火している。

2013年にはイタリアの「BENJAMINS」というメーカーが販売していたスマホケースのデザインが

旭日旗に似ているとして、「旭日旗を使うな!」と韓国人が抗議メールを送る騒動があった。

昨年にはアメリカのペンシルバニア大学構内に設置されたステンドグラスの意匠が旭日旗に

似ているとして、韓国人学生が撤去を要求している(大学側は撤去を拒否)。
 

 日本と戦争したアメリカも旭日旗を問題にしていないのに、なぜ韓国人がなぜ旭日旗に言いがかりを

つけてくるのだろうか? その理由は簡単である。彼らが旭日旗を「日本帝国主義の象徴」と

見なしているからだ。ただし、その「見なし」にはかなり突発的で恣意的な側面がある。

そうである故に、日本人は、なぜ韓国人がいきなり旭日旗を非難と糾弾の対象とするようになったのか

、いまいち理解できないでいるのである。
 

 韓国で旭日旗が「日本帝国主義の象徴」として非難の対象になったのは2012年前後からである。

サッカーの国際試合における日韓戦の応援で、日本サポーターが旭日旗を使用した

(と韓国内で報じられた)ことから、「あれは日本帝国主義の象徴だ」という非難が突如沸き起こった。

ただし、それまではサッカーの応援や公式の場(海上自衛隊の韓国寄港など)に旭日旗が登場しても

大した話題にもならなかった。韓国の有力日刊紙・朝鮮日報の記事を検索してみても、旭日旗を

非難する記事が登場するのは2012年からである。つまり、韓国における旭日旗糾弾が顕著化

したのは、2、3年前からのことであり、かなり突発的な現象なのである。
 
 
 かくして、韓国における旭日旗糾弾はどんどん拡大し、とりあえず旭日旗のように見える意匠なら

何でも糾弾の対象になる、という段階にまで至っている。2012年には京畿道高陽市の駅前広場の

設計が旭日旗に似ているとかで問題となった。昨年は、人気アニメ「ワンピース」に「旭日旗」の

ような旗が登場するという理由でイベントが中止になりかけたりした(結局、イベントは実施)。

今年に入っても釜山市民公園にある歴史館の天井の模様が「旭日旗」に似ているとして変更されたり

している。
 
 
 ただし、韓国では「日本帝国主義(=日帝)」と関連があるとして、一度糾弾や非難の対象になると

一切の反論は許されない。それまでの経緯がどうであれ、非難や糾弾の妥当性の有無にかかわらず、

一切異論をさしはさむことは許されない。異論をさしはさむ輩は、それこそ「日本帝国主義」を

擁護する「親日派(=売国奴)」と見なされる。

こう述べると、きまって韓国人から「それは極論である」「韓国人全部がそうではない」

「韓国にはそうした感情的な反日感情は存在しない」などという反論が提起される。

ならば、日本に対する非難や糾弾に対して、反論が提起できる雰囲気が韓国にあるのか問い返したい。

そうした反論を試みた場合、反論の内容や妥当性に関わらず「親日派(=売国奴)」と見なされて、

旭日旗よろしく糾弾の対象になるのは、過去の事例から見て明らかである。
 

さて、「旭日旗」を非難する韓国人も、なぜか「日章旗」や「君が代」には目くじらを立てない。

冷静に考えれば、国旗である日章旗のほうが、軍旗であった「旭日旗」よりも、よっぽど

「大日本帝国」を象徴するものだったはずである。かつて植民地だった朝鮮にも日章旗は翻っていた

わけであるし、植民地下の朝鮮人は「君が代」を歌わされていたわけである。
 

 しかし、彼らは日章旗を掲揚し、君が代を歌う日本人を非難しようとしない。ソウルの日本大使館の

前などで日章旗を焼いている過激な市民団体の示威行動が報じられることがあるが、そうした韓国人は

ごく一部である。イベントなどに用いられる万国旗にも日章旗が含まれているし、公式の場で

日章旗が掲揚される場合も多いが、これに文句をつける韓国人はいない。
 

 日本には学校行事における日章旗の掲揚や君が代の斉唱に反対している教職員がいるが、韓国人は

そうした運動にもまったく無関心である。彼らは「自国の国歌や国旗を敬愛するのは当たり前である」

という(日本とは異なる)教育を受けているため、日本人が日章旗を掲揚したり、君が代を斉唱しても、

ある意味、当然と捉えているのである(ただし、韓国人が同じような行動をとれば非難の対象に

なるだろう)。こうした理由から、彼らが「日章旗」や「君が代」を敢えて「日本帝国主義の象徴」と

見なそうとしていないのである。このことからも、韓国人が何らかの事象を「日本帝国主義の象徴」と

見なす基準が、かなり恣意的であることがわかる。
 

 韓国では「〇〇は日本帝国主義の残滓である」「〇〇は日本帝国主義の象徴である」といった

「糾弾対象探し」が常に行われている。

最近でも朝鮮日報(6月11日付け)に「日本の小学生が背負っているランドセルは帝国主義の

残滓である」という内容のコラムが掲載された。コラムを執筆した記者は大真面目に「帝国主義日本の

陸軍歩兵が担いだカバンをまねた(ものが)ランドセルだった」「(ランドセル)日本軍国主義精神を

小学生に教えることにあった」などと書いている。
 

 まあ、韓国人が何を「日本帝国主義の象徴」と見なそうが韓国人の勝手であると言われれば、

それはそうであると言うしかない。ただし、いつ何時、予想もしなかった文物が「日帝の象徴」として

韓国人の糾弾の対象になる可能性があるということは知っておいたほうがいいだろう。


水野俊平