ぢろーらものおもちゃ箱:引っ越し後

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高校時代の夏合宿

2010-08-27 22:56:26 | うんちく・小ネタ

ブログでも何回か書かせていただきましたが、ぢろーらもは高校三年間は「明星学園」の音楽部(合唱部)で、ひたすら合唱三昧の生活をしていました。運動系の人たちが3年生の夏とかで引退するのに対して、ぢろーらもは12月いっぱいまで部活やってましたからねぇ・・・。しかも、2月に大学合格が決まってからすぐ復帰して、3月の定期演奏会、そのあとの卒業合宿にも参加してました。だから、部活の引退のほうが学校の卒業式よりも後なんですね・・・卒業式の次の日はもう部活の練習、先日お別れしたはずの担任の先生に翌日には「あ、どーも(^^)/」なんて声かけたりして・・・(笑)。

部活の年間行事の中で大きいイベントといえば、やはり3月の定期演奏会、というのはお決まりなんですが、あと1つ代表するイベントをあげるとすれば、それは「NHKコンクール(通称:Nコン)」です。最近はちと早いようですが、我々のときは8月8日近辺にやってましたね。我々が現役のときはせいぜい地区予選の銅賞どまりでその先の大会には進めなかったのですが、我々なりに一生懸命やっていました。

そして、Nコン前に必ず行なっていたもの、それは「夏合宿」です。5泊6日ほどの長丁場で、朝から晩までひたすら練習です。ま、ちょっと息抜きもあるんですが、今日はそのことを中心に書こうかと思います。

合宿場所ですが、こちらは冬場にスキー場になるような場所を夏に使ってた、という感じでしょうか。あとは湖の近くにいったこともありました。だいたい日程としては、朝は散歩とラジオ体操からはじまり、朝食のあと柔軟体操や筋トレなんかやって、あとは朝、昼、晩休憩をはさみつつ練習です。全体であわせるだけでなく、1人ずつのボイストレーニングなんかもありました。まあ、このあたりはあまり珍しいこともないかな、練習するのは当たり前です。面白いのは、夏合宿をさかいにすごく上達する人とかがいることですかね、なぜだろう・・・ぢろーらもは大してうまくならなかったけどなぁ・・・

まあ、それだけだとごく普通の合宿なのですが、合宿のふしめとして決まっていたのは、

・3日目あたりに「グループコンサート」を行なう。ソプラノ、アルト、テナー、バス各1人ずつのグループをくじびきで決めて、グループごとに同じ歌を歌う。このときにやるのは、なんらかのアカペラ曲。

・合宿最終日前日にもグループコンサートを行なう。グループの決め方は同じだが、曲はNコンの課題曲と自由曲。

・そのあと、「演芸会」を行なう。こちらもくじびきで決めたグループで、なんらかの出しものを行なう。

というところです。

グループコンサートは当然のことながら1年生でも強制的にそのパート1人で歌うことになるので、少なくとも度胸は付くのかな、とは思います。もちろん、バランスとかもより考える機会になりますしね。

演芸会・・・これは面白きゃなんでもいいんです(笑)。大半のグループはお芝居(?)でしたが、こちらは内輪ネタ中心に近いような感じでしたね・・・。ただ、それだけに毎回大爆笑でしたね

演芸会の元ネタしては、そのときの合宿で起こった出来事をモチーフにするグループも最低1つありました。たとえば朝我々が起きるまえ、外から聞こえてくる、別の学校の夏合宿の女の子たち(演劇か何か?)の声です。

「ごきげんよー、x年y組ー、○山×子~」「もーいっかーい」「はーい。ごきげんよー・・・(以下同じ)」

なんだそれ・・・(笑)。まあ、なんらかの発声練習なんだろうが・・・。朝のさわやかな出来事(???)ということでネタにしてました。

あとは、2,3年で行った合宿先は全体練習に使っていたのが畳のある体育場のようなところだったのですが、その場所を時間でわけて我々の部活と、某理系の大学の合気道部(?)さんがかわりばんこで使っていました。で、我々がよるの練習をしているときに、大学生の方2人が忘れ物かなんかで体育館にきたのです。で、そのときに我々の先生が「せっかくいらしたのだから、何か歌を歌ってあげなさい」となり、大学生さん方に(半強制的に)アカペラの曲を聴いていただきました。彼らも大人なので、そのときは「すばらしい歌をありがとうございます。」なんておっしゃってくれました。ま、あとでちょっと仲間うちでは愚痴っているのが聞こえましたが・・・

で、それも演芸会のネタとなってました。「なんかよー、あいつらんとこいったら、変な歌聞かされて大変だったよー。超音波みたいで頭やられるかと思ったよー」みたいな(笑)。

繰り返しになりますが、毎回毎回面白かったです

ぢろーらもは、グループの中で3年間とも「主役級」の役をいただいたのですが、ぢろーらもは演技がへたくそな上にアドリブがききません。全くの期待外れですまん・・・。まあ、そのグダグダぶりに笑いがきていた、ということはあるけどさ・・・。

ちなみにその役どころですが・・・。

・1年:女の子に恋する公園のブランコの役(もはや人間ですらない(笑))。
 女の子に告白した翌日には取り壊されてしまう(笑)

・2年:鬼退治に向かう、おかまの桃太郎。その名も「おかまももたろう」(まんまじゃん)

・3年:あやしいイタリア人(笑)

やっぱり変です(笑)。


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MSCSとWindows NLB

2010-08-27 20:10:46 | IT(OS)

普段、ネットワーク機器のプリセールスやポストセールスなどをやっていると、サーバOSでのクラスタリング、という話も出てきます。直接かかわることはあまりないのですが、当然のことながらある程度用語くらいは知っておかないとお客さんと話ができません。

よく出てくるのはWindowsでSQL Server使っていて、サーバを冗長化するのにMSCS(Microsoft Cluster Services)を使う、というケースです。http://thinkit.co.jp/free/compare/17/8/1.html http://www.atmarkit.co.jp/fwin2k/operation/mscluster03/mscluster03_02.html などが参考になりますかね。もちろん、2台のSQLサーバでディスクは共有する必要があります。

Windowsでシステム組む場合で、前段のWebサーバにはIIS使ってロードバランサで負荷分散、IISのASP(Active Server Pages)を 使ってデータベースサーバ(SQL Server)にアクセスする、といった感じです。

別の例だと、http://www.e-postinc.jp/doc/mscs_cluster_mailserver_entryguide_10.pdf ではMSCSを使ったメールサーバの構築について書かれています。こちらも共有ディスクを使っているようです。

一方WindowsNLBですが、こちらは「負荷分散」ですね。これもたまに「使っている」という話は聞きます。確かに、バランサ買うよりも安くできる場合もありそうですね。 

一般にロードバランサを使うような場合だと、「代表ノード型(コーディネーター型」といって一台の機器が代表してパケットを受け取ってそれを各サーバに振り分けるという方法をとります。それに対して、WindowsNLBの場合には、http://technet.microsoft.com/ja-jp/events/dd696120.aspx  http://www.il.is.s.u-tokyo.ac.jp/deos/html/singl.html などにあるように「分散型(マルチポイント型)」となります。こちらは全ノードがクライアントからのパケットを受け取り、そのうちの1台のみが回答する、という方法です。この場合、どのマシンが応答するかは、クライアントのIPなどをベースとして決めるようです。もちろん、どのマシンが稼働中か、ということはお互いの死活監視を定期的に行なって確認します。この方法、単一障害点はなさそうですけど、パフォーマンス的にはコーディネータ型のほうがよいでしょう。メンテナンスなどもロードバランサ(負荷分散装置)使った方がやりやすそうです。

ちなみに、以前会社でこの話になったとき、2つの疑問があがりました。1つは「NLBとMSCSはセットで使うべきものでは?」ということです。で、こちらは調べてみると、http://support.microsoft.com/kb/235305/ja などにあるように「MSCSとNLBは同じマシンでは共存できない(この構成はサポートしない)」とのことのようです。ま、それはしょうがないか・・・。

もう1つあがったのは「WindowsNLBって、結局はネットワーク構成的にはロードバランサ使う場合といっしょになるんじゃないの?」ということです。上記のとおり、WindowsNLBはマルチポイント型なのですが、どういうわけかコーディネータ型ではないのか?なんていう疑問がでてました。え?なんで?ちゃんと違いが書いてあるサイトも多くあるんだけど・・・。

そのときに参照したサイトはhttp://technet.microsoft.com/ja-jp/library/ee886284.aspx のようです。あ、これを見る限り、確かにそういう構成に見えますね。これを最初にみたら「バランサ使う場合と大差ない」と勘違いするかもしれません。

それにしても、なんでこんな構成にするんだろう・・・と思ってよく読んでみると、要するに”Microsoft Application Request Routing (ARR) for IIS 7.0”というモジュールを使って、HTTPヘッダベースでの振り分けやCookieでの接続維持、いわゆる「L7ベースでの負荷分散」的なことをやらせるためなのですね・・・。確かにNLBだけだとL4しかできないから、こんな構成になるんですね・・・まあ、さすがにいまだに見たことないですが、けっこう使うんでしょうかねぇ・・・。


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小学校のお誕生会

2010-08-27 00:19:17 | うんちく・小ネタ

ぢろーらもが小学校時代、一番楽しかったのは小学校3,4年のクラスです。けっこう友達がみんな仲良くしてくれた、ということもあるのですが、クラス自体も割と楽しかったです。その中で思い出に残っていること、それは、そのときの担任の先生が毎月行なっていた「お誕生日会」です。

普段の体育の時間とかも、ゲームをうまくとりいれてくれたりする先生で、非常にレクリエーションには力をいれていた先生でした。そのおかげか、けっこう印象には残ってますね。

で、誕生会ですが、こちらはグループごとにわかれて自分で考えた劇をしたり、音楽演奏したりと出し物発表をしたあとで、そのあとで自分たちで用意した手作りのプレゼントをその月の誕生日のクラスメイトに渡す、という感じです。

まずはプレゼントですが、折り紙だとか、彫刻刀で木にメッセージ(お誕生日おめでとう、など)を彫って渡したり、あとはいろいろでしたね。ぢろーらもは工作は大の苦手。確か、すべての会ぢろーらも母にやってもらってました。ぢろーらも母も器用なほうではなかったのですが、職業は幼稚園の先生。この手の作業はお手の物でした。セロファンを使って作った色眼鏡だったり、牛乳パックで作った潜望鏡だったりと、割とさくさく作ってました。なので、ぢろーらも(?)のプレゼントは割と好評でした。ま、完全100%他力本願ですが・・・

出し物はいろいろやりましたね・・・。毎月、決められたグループで帰宅後に誰かの家(ぢろーらも家もけっこう使われました)に集まって、「何をやろう、じゃあ、どうしよう・・・」みたいなことを話し合い、練習するわけです。

演奏だと「かっこう」をやったことがあります。このときは歌とかピアニカ、リコーダなど習った楽器を使って演奏してましたが、ぢろーらもはなぜか「鉄琴」でした。そういえば、NHK教育テレビ(なんだかは忘れました)でマリンバとかヴィブラフォンの演奏をみて「あ、かっこいい・・・」と思って、両親にねだって鉄琴買ってもらったんです。小学生、特に当時(女の子まで含めて)クラスで一番非力だったぢろーらもには、鉄琴は重かったですわ・・・。それを学校まで運びました。

そういえば、今でもマリンバの演奏とか好きですね。宅間久喜さんの演奏とかすばらしいと思います。

演奏だと「宇宙戦艦ヤマト」とかもやりましたね。こちらは音楽会でも演奏した曲ですが、それをあえて誕生会にやりました。音楽会ではなかったパートなどあって戸惑いもありましたが、そこは音楽の得意な女の子にフォローしてもらいました。

あと、そのときのクラスには、1人バイオリンを弾ける女の子がいました。ピアノ弾ける子はほかにもいたでしょうけど、バイオリンはその子だけだったので、演奏、となると注目の的でした。その子と同じグループになったときもありました。そのときは確かクリスマスの曲だったと思います。ただ、どうしてもそのとき、「合わせやすい調」がお互い違ったんです。どっちかがハ長調で、どっちかがヘ長調だったかな・・・。確かメロディーを弾くのがぢろーらもとその子だったのですが、そのときのぢろーらも(というか、未だにつらい)には「移調」は到底無理な作業でした。その旨を話したら、彼女のほうが調をあわせてくれました。さすがにそのときは言葉には出しませんでしたが「すごいな・・・」と尊敬のまなざしで見ていました。

今だと信じられないんですけど、なぜか、ぢろーらもが「ネタ元」になることも何回かありました。先ほどの話のとおり、ぢろーらも母は幼稚園の先生だったのですが、その関係かはわかりませんが、ぢろーらも宅には絵本などの本が非常に多く(多分、少なくとも大きめの段ボール箱30箱以上)ありました。その中の本を題材にして紙芝居とかやってましたね。一回やったのが「はるのゆきだるま」という本でしたね。

こちらも当時は割と話題によくあがっていたのですが、ぢろーらもは大の「ポンキッキ好き」でした。このクラスでは、給食の時間の待ち時間(配膳からいただきますまでの時間)に日直に3回注意されたら廊下に立たされ、さらにみんなの前で歌を一曲披露しなくてはいけなかったのですが、こちらもなし崩しで「歌いたい人が歌う」という感じにかわっていきました。ぢろーらもの場合は最初は注意されたのがきっかけでしたが、意外にも歌がうけたこともあり、割とおなじみで歌ってました。ただ、そのときの歌、ほとんど全部ポンキッキの歌でした。

なんでこの話をはさんだか、ということですが、お誕生会の劇もポンキッキの歌を元ネタにすることがあったからです。たしか「ゆきのおさむらいさん」の歌をやりましたね。確か、このときは男性陣だけでグループを組んだのですが、なぜかもめたのを覚えています。原因は全く覚えてませんが・・・なんでだろうな・・・。ただ、こちらもなぜかですが、最後の「おてんとさまに見つかると、とけてながれていざさらば、とけてながれていざさらば」という歌詞にあわせて、全員でいもむしのように這う、というのを申し合わせていました。で、本番それをやったら一同大爆笑。まあ、みんなで這うわけですからこっけいですわね・・・。でも、それまでもめてはいたけど、それでみんな「よかったね」とすっきりした気分になったのは覚えてます。

ほかには、ガチャピンが歌う曲、「たべちゃうぞ」を劇にしてみたこともあります。どーでもいいのですが、このときのぢろーらもの歌の十八番がなぜか同曲でした。で、このときの誕生会でなかなかネタが出ず、迷ったあげくぢろーらも思いつきで「じゃあ、”たべちゃうぞ”を劇でやろう」と言ったらそのまま採用されてしまいました。こちらもやってることは、曲をレコードで流しながら歌詞の通り劇を遂行しただけですけど・・・。ただ、段ボールで鍋を作ったりといろいろと準備はしてましたね。ぢろーらもは「歌」の担当のはずでしたが、演者に小道具を渡したりと意外にも裏方は忙しく、歌う余裕はありませんでしたね。まあ、そのときの評価で上から2番目の95点をいただき、けっこう満足していました♪

ちなみに、グループを作る時ですが、どうしてもこの年代だと子供たちに任せると「男子は男子、女子は女子」でくっついてしまいます。ま、しょうがないんですけどね・・・。なので、先生も見かねて何回かは「お互い同性同士でグループを作ったあとで、話し合い、あるいはあみだくじなどの方法で男女(4:4くらい)のグループを作る」ということをしていました。

誕生会は2年間でトータルで24回、その中で女子とグループを組む機会はおそらく半数以上、少なくとも10回以上はあったはずですが、どういうわけかそのときに好きだった女の子とは一回も組むことはありませんでした。ま、人生そんなもんか・・・


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